第12話・岐路

「T大の歴史学部!? おめでとう」

『サンキュー。ちなみに玉城の奴も同じ大学受かったぜ。学部は違うけどな』

「そうか」


 電話越しに友人の橋爪の声を聞きながら頷く。


「家探しはしたのか?」

『ああ。キャンパスが辺鄙へんぴな場所にあるせいで、あんまり自慢出来る感じでは無いけどな』

「自然が好きなお前にはちょうど良いだろ」

『俺が好きなのは土器だ。自然じゃねーよ』

「そうだったな」


 自然と気の無い返事をしてしまう。


 軽快に喋る友人の声が何故か胸に刺さる。


 考えてみれば簡単な話だ。

 未来を向いている彼等とは違って、自分は過去ばかり見ている。ノリが合わないのは当然と言えば当然だった。


『お前は……受けてないんだよな?』

「ああ」

『そうか』


 躊躇ためらいがちに尋ねてきた質問を瞬時に返す。


『そういやこの前一緒に居たあの子達はお前の親戚か? 妙にカラフルだったけどハーフなのか?』


 重たい空気になるのを避けた親友が話を切り替えてくる。

 龍雅は一度人差し指で額を叩き、用意していた回答を放った。


「ああ。そんなとこ。訳あって預かってるんだ」

『そうか。3人も大変だな』

「まあな。毎日慌ただしいよ」

『だろうなー』


 とはいえ、初期に比べて段々と振り回されることは減ってきた。

 子供達が人間の生活に順応してきたことで、困ることも少なくなったのだ。


『ま、何かあったら言ってくれ。俺に出来ることなら手伝ってやるからよ』

「悪いな、忙しい時期なのに」

『そんなことねーよ。あ、わりぃ、そろそろ切るわ』

「おう。また」

『またな』


 スマホの通話が切れたことを確認し操作を切る。


(もうこんな時間か)


 目覚まし時計の針が示しているのは17時前。

 そろそろ夜ご飯の支度を始めなければいけない時間だ。


「りょうがー」


 自室から出ようとドアを開けたところでフレアが飛び込んできた。


「どうした? 何かあったか?」

「鼻がむずむずする」


 言って鼻水をすする長女。


 風邪かと思い、龍雅はそっと彼女の額に手を当てる。

 しかしながら、これといって熱を感じなかった。


 見た目も鼻の辺りが赤い以外は普段と変わりはない。別段気だるそうでも無さそうだ。


「鼻がむずむずする以外は何かあったりするか? 頭が痛かったり、体が熱かったり」

「うんん、鼻だけー」


(「アレルギーとか鼻炎の類いかな?」)


 しかし困った。

 彼女は人間のなりをしているとはいえこの子はドラゴンだ。安易に人間の薬を上げたり、病院に連れてって良いのかまるで判断がつかない。


(「こういう時セレスはどうしてたんだ?」)

(「寝かせておいてください。ちょっとやそっとの体調不良なら屁でもありません」)


 やはりドラゴン。

 随分と頑丈なようだ。


(「寝てもダメだったら?」)

(「私の力で浄化します」)

(「今やってやれよ」)

(「この程度で使っていてはフレアの耐性が上がりませんよ」)

(「さいですか」)


 思うところはあるが、母親が言うのだから間違いない。


「今日は安静にして寝てようか」


 フレアと目線を合わせて言う。

 思いを受け取った少女は心底渋い顔をしていた。


「いやだー。あそびたいー」


(言うと思った)


 机の上のティッシュ箱から1枚抜き取りフレアの鼻へと当てる。


「こんな鼻水垂らしながら言って良い台詞じゃないぞ」

「んー」


 ヂィィンと小気味の良い音を立てて長女が鼻をかむ。

 龍雅は役目を終えたティッシュを受け取り丸めると、ゴミ箱へ放り投げた。


「治ったら今日の分も遊んでやるから」

「やくそくだからね。ぜったいだよ!」

「ああ」


 くちゅんと可愛いくしゃみを残し、長女が笑顔で立ち去っていく。

 彼女達と出会って日は浅いが、何だかんだ信頼関係は構築されているようである。


 しかし、どうしてだろう。

 時折とてつもなく虚しく感じる。

 そして空虚な思いが胸を圧迫して苦しくなる。


 生きているのが辛い。


 子供達の世話を任されてからは考える余裕を奪われたため、頻繁に悩むことはなかった。

 だが、まれに嫌な感情が顔を出してくる。


 ねっとりとした手で胸を掴まれるような妙な感覚。

 自分は何をやっているんだろう、と冷静になってはマイナスの海へと落ちていく。


 こんな気持ちを味わう度に自身が嫌になり、世界から脱却したくなる。


 生きるのは辛いこと。


 その考えは今でも変わらない。


(「セレスは辛い時どうしてる?」)


 深いマイナス思考に陥っていてもセレスの助けは来ない。


 彼女は時折こういうところがある。

 心の中で呼び掛けてみても応えることはない。


 寝たのか。それとも敢えて無視しているのか。

 お節介な彼女のことだから後者ではないと思うが。


「ま、夕飯の準備をするか」


 龍雅は自室から出るとキッチンへと向かった。


 ★


 夜。

 夕食の席には林道家に住む者全員が居た。


「フレア、体調はどうだ?」

「まにゃひゃながむじゅむじゅする」

「ちょ、食べながら喋るなです。汚いのです」

「ストゥーうるさい。テレビ聴こえない」


 今日も今日とてご飯の場は賑やかだ。

 少しくらい体調が悪い者が居ても変わらない。


「そっか。ご飯食べたら歯磨いて寝るんだぞ」

「えー、まだねるのー?」

「調子が悪い時は寝るのが一番だからな」

「つまんないー」


 フレアが不満を露にするように口一杯に空気を含む。


「仕方無いのです。こっちに移されたらたまったもんじゃないのです」

「だるいのはいや」

「むぅー」


 更に両頬を膨らませる長女。

 さながらハムスターのようだった。


 そんな姿が、というよりも子供達の会話が 微笑ましくて自然と口角が上がってしまう。


 楽しい。


 死にたいと思う時は多い。

 が、苦しさをほんのちょっと上回る楽しさも時々顔を出してくる。


 突如任せられた子育て。

 しかしながら今となっては、物凄く嫌な気はしなかった。


(「セレス、俺この子達育てられるかも」)


 セレスに今の気持ちを伝えてみたものの返事がない。

 恐らく寝ているのだろう。


 彼女に思いを伝えられないことを残念に思ったそんな時だった。


「ひゃ、ひゃあ!?」

「くしゃみなら手を当てるので──」

「くしゅん!!」


 ストゥーリアが注意を終える前にフレアが大きなくしゃみを放つ。


 だが、それはただのくしゃみじゃなかった。

 形容するならば、火球という表現が正しい。


 少女の口から解き放たれた巨大な炎の弾はリビングに着弾すると、瞬く間に燃え広がった。


 あまりに非現実的な光景に、龍雅は呆気に取られてしまい動けなかった。

 そして、何も出来なかったことがこれからの運命を圧倒的に決定付けた。


「下がって。ボクが吹き消す」


 一言挟みゼファーが身を乗り出す。

 大きく息を吸い込むでもなく、ただ右手を前に出すモーションだけでは龍雅には到底未来を予想することは出来なかった。


 彼女から風が吹き出す。

 それもろくに前が視認出来なくなるほどの旋風だ。


「っ!?」


 腕を盾にどうにか前方を確認する。

 しかし、ゼファーの風の力であっても事態が好転しているようには見えなかった。


 火が小さければ勢いで消火出来ただろう。

 だが圧倒的な炎の前には、力強い風は燃焼の手助けにしかならなかった。


「止めろゼファー!!」

「む」


 ここでようやく思考が現実に追い付いてきた龍雅がゼファーに声を掛ける。

 更にすぐさま3人の子供達を抱えると、一目散に林道家を飛び出した。


 数分後、彼が18年間暮らした家は見事に真っ赤に染まった。

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