第6話 二人の子供たち

「お加減は、どうですか?お嬢様」

「えっ?」

 アダリーシアが午後の庭を運動のために散策していると、少年の声が聞こえた。

 振り返ると、明るい茶色の髪の美少年がはにかんだ笑顔で立っていた。

 空色の瞳で自分とはなんと対照的なのだと感じる。

(ええと…庭師の…そうだわ、薬草を届けてくれる子!)

 記憶を掘り返して名前を探す。

「ラック…かしら?」

「はい!」

 ホッとしつつ、眩しい笑顔を見上げる。

 彼は背が高いのだ。

 変な食事で自分の背が低いのかもしれないが。

「薬草を毎日届けてくれてありがとう」

「いいえ!…お祖父様の育てた薬草なので…僕は手伝いをしているだけです」

(異世界の…こちらの子は、ご老人に対して丁寧なのかしら?)

 平民の子なら”じーちゃん”と言いそうだが、そもそも公爵家で働ける人は限られている。

 もしかしたらこの子も何処かの貴族かしらと思いつつ、アダリーシアは訊いてみた。

「薬草園…見せてもらっても、良いかしら?」

「はい!いいですよ。触るとお祖父様が怖いので、見るだけですが」

 薬草とは言うが、毒草も多々ある。触るとかぶれたりするのだ。

「もちろんよ」

 丹精込めて育てたものを素人が触るのは良くないだろう。

 しかしスムージーを自作していた前世の美優の記憶のせいか、薬草というものに大変興味があった。

 最近になり書庫で本を読み漁って知識を得たが、前世では魔力の宿る植物などなかったから。

「どうぞ、こちらです」

 少年がエスコートしてくれる。

 食事を改善したとはいえまだ1ヶ月だ。ムチムチでガサガサの手を取られるのは、少し恥ずかしかった。

(しかも…凄く美少年だし…)

 横顔だけでも絵になる。

 彼の祖父は白くて長い髪を後ろで結わえ、長いひげも前でリボンで結わえている。なかなか体格が良い。

 しかし穏やかでいつも笑みを浮かべていて、一緒にいると安心する人柄だ。

 この美少年もゆくゆくは、ああなるのかしら、と思っていると薬草園に付いたようだ。

 小さなブルーベリーの低木で薬草園は囲ってあった。

「まぁ、かわいい!」

「え、かわいい…?」

 薬草は種類により色が違うようで、様々な色の薬草がグラデーションのように整然と並べて植えられている。

 青い茎に白い葉を持つものもある。

(光合成とかどうなってるの…?あっそうね、魔力というものがあるから、日本の草花の常識を当てはめてはいけないわね)

 二人分の可愛らしい声に、背中を向けて作業していた老人がゆっくりと振り返った。

「おや、お嬢様。わざわざご足労頂いたのですな」

「こんにちわ、コーエン。いつも薬草をありがとう。それと…命を救って頂いてありがとう」

 そしてアダリーシアが深々と頭を下げたので、コーエンとラックは驚く。

「お、お嬢様!使用人に頭を下げたらいかんですぞ!」

「そうですよ!」

 正確には彼女の態度は大正解なのだが、今の自分たちの立場を貫いている二人は、世間知らずの令嬢に教えることにした。

「マナーはご存知で?」

「ええと、最近、皆が教えてくれているわ」

 少し前から、僭越ながらわたくしたちがお教えしましょう、と、ハイダを筆頭に古参の使用人たちがマナーと最低限の教養を教えてくれている。

 元はご令嬢、ご令息だった人たちだ。今までも話し方は真似していた。

「だから至らないところがあれば、教えてほしいの」

 コーエンとラックは顔を見合わせる。

(おかしいのう。学がないという噂で、この謙虚さがあるのか…?)

 しかし演技には全く見えない。今までのビクビク、オドオドした態度は消えているが。

「わかりました!僕で良ければ」

「おやおや、ラック。お主に出来るのか?」

「出来ますとも!さ、お嬢様。まずはカーテシーをお教えしましょう。これさえ完璧にやっておけば初手の印象が良くなってその後も格段に対応が違うって母上も言ってました」

「ら、ラック?」

 得意げに言うラックに、コーエンは呆気にとられた。

「母上も、その…子供の頃は少しふくよかで、お転婆だったんですって。それが今はおう…王宮に勤めるくらい立派な淑女なんです。皆も褒めるくらい」

 ニコニコとラックは続けていて、令嬢の様子を見ると少し困惑していた。

 そんな事聞いていいのかしら、と思っているような顔だった。

(…こちらのほうが年上に見えるのう)

 しかし、息子の嫁がお転婆だとは知らなかった。どうやら自分も初手に騙された口らしい。

「ではラック。カーテシーを教えてやりなさい」

「はい!」

「ええと、よろしくお願いしますわ」

 一応メイドから教わっているカーテシーをやってみると、違います!と言われてしまった。

 太っていて筋肉がないせいか、矯正しようとしてもブレてしまう。

「やっぱり、運動からね。ごめんなさい」

 しょんぼりしたアダリーシアをラックは励ます。

「大丈夫です!筋トレなら僕が得意です。一緒にやりましょう!」

 確かに見目麗しい子供だというのに腕の筋肉はある。

「え、あなた庭師よね?」

「えーっと…僕は将来、剣を持つのが夢で…」

(ほほう)

 モジモジしながら話している孫と、未来の嫁候補を作業をしつつ見るコーエン。

 勉強はあまり好きではないようだが、王太子になるという責務から頑張ってはいる。

 隠れて何かをやっているなとは思っていたが、剣を持つために鍛錬をしていたとは。

(思わぬところで、次の誕生日プレゼントが決まったの)

 ただの子供の雑談だが、そんな事も王宮ではありえない。

 やはり同世代で…王太子としてではなく、ラックを一個人として見てくれる友人が必要だな、と思う。

「私も、剣を持ってみたいわ」

「えっ…うーん。確かに女性騎士もいるけど…」

 妃たちの周囲を護衛しているのは、当然、女性騎士だ。しかしみな体格がよく、男性と遜色ない気迫を持つ。

 目の前の、おっとりした少女が剣を持つ姿が想像出来なかった。

「少し使えるだけでいいの。身を護るくらい自分で出来ないと」

「……」

 ラックは言葉を失い、コーエンも手が止まる。

(なんと、可哀想に)

 命を脅かされていた事実は、執事を抑え込んだだけでは払拭できないようだ。

(妙な侍従、メイドたちも多いしの。この屋敷から出られればよいのだが)

 コーエンが屋敷を見ると、こちらを見ていた暇そうなメイドがササッと散っていった。

 隠居して年を取った自分のことはバレていないと思うが、ラックはそうはいかないだろう。

 聡い者は気がついているかも知れない。

 ラックは顔を引き締め、孤独な令嬢の手を取りもう片方の手で包む。

「では…僕でよろしければ、一緒に鍛錬をしましょう。そして戦えるようになりましょう」

「ええ。お願い」

 アダリーシアも真剣な顔で頷いた。



 その日からアダリーシアはラックに教わりながら、鍛錬を開始した。

 真面目に行い1ヶ月、みるみるうちに体重は数キロほど減ったがまだ見た目は余裕で”太っている”の範疇だ。

 マナーと教養をメイドたちに教わり、所作などをラックに正され、コーエンに薬草を教わりつつ過ごす日々。

(充実してるってこういうことを言うのね)

 今日も鍛錬の後のスムージーが美味しい。隣ではラックも一緒に飲み干していた。

「これ、美味しいね」

「そうでしょう?この味になるまで、試行錯誤したのよ」

 コックのオリスと共に、配合を変えて何度も作った。最初は苦かったりエグみが残っていたりしたが、今では雑味は減り、蜂蜜や果物の甘味とミントを加えたためか後味は爽やかだ。

「母上も飲めるかな…」

「ご病気のお母様ね。…そうね、コーエンの薬草入りスムージーなら飲めるわ、きっと」

 毒で倒れたその日に、これよりも味が劣るものを飲めたのだからおそらく大丈夫だ。

 固形物よりも吸収が良いし、すぐに病魔と戦う身体の力になってくれるだろう。

「私の魔法も、もう少し強くなれば良いのだけど」

 適正のある風魔法でつむじ風を起こせるまでになったのだが、光魔法はかなり弱く治癒は軽い切り傷を直す程度だし、毒抜きは本当に微量しか出来ない。

(もっとこう…ゲームじゃないけど、パァッて簡単に使えるものだと思ってたわ…)

 前世の妹の真由のせいではないけど、ゲーム知識を植え付けた彼女をちょっぴり恨んでしまう。

 しかしスキルが無い者は相当な努力を何年もかけてしないと使えるようにならないと言うので、あるだけマシかもしれない。

「仕方ないよ。王都は自然が地方より少ないから魔力が少ないんだ」

「…という事は、地方に行って魔法の鍛錬をすると、魔法のレベルが上がるの?」

「うん。そうなんだって」

 ラックも数年前に初めて、魔力が高いという森へ連れて行かれて少々だが鍛錬を積んだ。

 それは今も定期的に行われている。

「なるほど…」

(うちの領地は肥沃で作物の育ちが良いと言っていたから、きっと魔力が高い)

 最近はハイダが領地のことについても教えてくれている。

 王都に隣接しているので、すぐにでも行けると言われていた。

「でも、魔力が少ない場所で魔法を使えるように鍛錬すると…えっと、魔法を使う時に魔力を少なくする事が出来るって言ってた気がする」

「それは…魔力を節約して効率的に魔法を使えるってことなのかしら」

 魔力を10必要な魔法があるとしたら、5でも使えるようになるということか。

 そう考えると、今の魔法の顕現程度は至極当然なのかも知れない。

「あ、そうそう。先生はそう言っていた!アダリーシアは難しい言葉を知っているんだね」

「たまたまよ」

 前世の記憶とは言えないので彼女ははぐらかす。この世界は魔法こそ普通だが、普通から逸脱することを厭う風潮はあるのだ。

「そんな事ない。ロイドも言っていたよ。”お嬢様は賢い”って」

「あ、あまり褒めないで…」

 慣れていないのだ。今世もそうだが前世も。病気になるまでは、まるで平凡な人生だったのだから。

 しかしラックは何かに付けて褒めてくる。

「髪も肌も綺麗になってきた。きっとお姫様みたいに綺麗なるよ、シア」

 彼はアダリーシアにあだ名を付けてくれた。呼んでいるのはラックだけだけども、それが嬉しい。

「からかわないで」

「本当のことだよ」

 事実、傷んだ髪を肩で切り揃えた灰銀の髪は艶を取り戻しつつあるし、肌も爪も真っ白からピンク色がかかってきた。

 そしてよく喋るようになったためか、彼女の顔に笑顔が浮かぶようになり、古参の使用人はそれを見て影で嬉し泣きしていることをラックは知っていた。

 普段は冷たい顔なだけに、微笑まれると、こちらまで嬉しくなるのだ。

(ぜんぜん、宰相殿に似てない)

 ラックはそう思うのだった。

「きょ…今日はこれから、どうするの?」

「プリン食べたい!」

 オリスと一緒に作った生クリーム入りプリンは柔らかでとても美味しいのだ。

「えっ…私、痩せたいのだけど…」

 食べなければいいが、好きなものが前にあるのに食べれないのは辛い。

「大丈夫、食べた分また動けばいい」

「うう。分かったわ」

 ラックはその返事に満面の笑みで立ち上がり、アダリーシアをエスコートしてくれる。

 少年が育つのは早いもので、2ヶ月しか見ていないが、どんどんたくましくなっている気がする。

 自分もそうだといいのだが、と思うアダリーシアだ。

「さ、シア!厨房まで競争だよ!」

「ええ!?ま、待ってーー!」

 しかしラックは容赦なく走って行く。慌てたようにアダリーシアも走り、陽光の差す庭で子供たちの声が響き渡り…それを見た使用人たちはやっぱり嬉しそうに涙するのだった。

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