第7話 断捨離

 アダリーシアが前世の記憶を思い出してから半年が過ぎていた。

 急激に訪れた成長期に、80キロ以上あった体重は70キロになった。が、身長が130センチくらいなのでまだまだぽっちゃり気味だ。

 これでも身長は20センチも伸びたのだが、まだまだ足りないと思っている。

 体重の方が劇的に減らないのは筋肉が増えているからだろう。

 このまま行けば、基礎代謝が増えて痩せるのは時間の問題だと思われた。

「御髪もだいぶ伸びましたね」

「ええ。毛先はやっぱり少しカールするのね」

 肩を過ぎた髪はゆるくカールしている。悪役令嬢の特徴なんだろうか、とも思う。

「リージー様の御髪がそうでしたからね。お母様に似たのですよ」

「…だったら、嬉しいわ」

 母の髪色は薄い紫色。絵画ではなく生でぜひ見てみたかった。

 父親の灰銀より、そちらに似たかったと思うが、自分は聖女たる気質はないから欲しがっても仕方ない。

「そうそう、本は移し終えたとのことです」

「ありがとう。…例の物は?」

「ロイドより預かっておりますよ」

「良かった。間に合いそうね」

 ハイダが手渡してきた紙束を見る。

 新参の使用人たちの仕事ぶりを、古参の者たちに監視してもらったのだ。

 自分も見てはいるが、見えない場所が多すぎて手に負えず、ハイダに相談したら「お任せ下さい!」と言われて今に至る。

 アダリーシアは内容を確認してため息をついた。

「…やっぱり、ほとんど仕事していないのね」

「そうです。別の事が目的ですから」

「他家も必死ねぇ」

「公爵家のご令嬢ですからね、お嬢様は」

 この公爵家のご令嬢である自分がどうしてこのような事態になっているのか、自らも考えたが、ハイダたちも教えてくれた。

 彼らは一様に同じ原因を口にした。


 数年前に流行った疫病

 公爵家当主


 そこへつけ込み、自分を物理的に排除しようとする貴族たちも過激だが。

「婚約者、ではなくて、婚約者候補の一人でしょう?どうしてここまでするのかしら」

「婚約者候補の筆頭でございますよ。…公爵家の娘が筆頭なら、それはもう、余程のことがない限り確定という事です」

 ハイダははっきりと答えた。

「本人たちの意思はないのね」

「そうでございますね。血筋が何よりというのもありますが…王と宰相はご友人ですから」

 ライガスト王とアドルフは小さい頃に引き合わされて以来、同じ学園に通った友人同士らしい。

 そのせいで癒着だの、王は宰相の言いなりだという輩が多いとか。

 実際は2人以外にも人を呼んで話し合って物事を決めているというのに、嫉妬と憶測が酷いのだそうだ。

「王族に、恋愛結婚ってないの?」

「ございますよ。現王がそうですわね…少々、家柄が邪魔をしますが…」

 伯爵家以上ならばなんとかオッケーらしい。しかし、公爵、侯爵家からのやっかみは避けられないとか。

「…だから側妃がいると教えてもらったわね」

「ええ。おそらく、ですが」


 王妃は王と同じ学園へ通っていた、子爵家の娘。一部貴族が王家の貴い血が薄まると騒ぎ立て、仕方なく隣国から王女を迎え入れた。


 …というのは、表向きだ。

(実際は白い結婚で…生まれた女の子はこの国の王族の血を引いてないのよね)

 娘だったから王も黙認した。いずれ、隣国に嫁がせて血を返そうとしている。

 妹の真由が見せてくれた、可愛い少女の画像。ふわふわの赤い髪に黒い目で、王には全く似ていない。

(王様ルートの時に、障害として立ちはだかるんだっけ)

 王女は父親に懸想をする。王妃が亡くなったあと、自分が王の血を引いてないことを使用人の噂で知り…自分が王妃になろうと画策しヒロインを排除しようとするのだ。

 真由は年上の…40歳以上の男性が好きだったので、このルートを熱心に攻略していたから知っているのだが、今の自分には何の役にも立たない知識だった。

「今日はいかがなさいます?」

 ハイダは冊子を読み終わったアダリーシアに問う。

 アダリーシアは氷の微笑みを浮かべた。

「…もう、分かってるわよね?あの男を、応接室に呼んでちょうだい」

「承知致しました」

 相変わらず悪徳執事のデアーグはいるが、自分を見ると吐き気を催すのか逃げていくため、放置していたのだ。

(安心しきってる、今ね)

 今日は断捨離を決行すべく、彼を応接室へ呼びつけたのだった。



 応接室に呼ばれたデアーグは、ぐったりとしてソファの背にもたれかかっていた。

 数ヶ月前はひょろかった身体はぶくぶくと太り、脂ぎった肌に紫がかった肌色で赤毛の頭髪は艶を失くして薄くなっている。

 ブツブツと「あと1ヶ月…」と暗い目で呟いていた。

(私と逆だわ)

 自分もあのまま行けば、このようになっていたかと思うと寒気がする。

 なんとか命を保っていたのは、若さなのかもしれなかった。

「ごきげんよう、デアーグ。今日呼んだのは、あなたのことについてなの」

「はい…?」

 デアーグは酒臭い息を吐き出した。

 夕食後、ストレス発散のためか高い酒を浴びるように飲んで、死んだように寝ているのだ。

 お陰で様々な調査を彼に知られずに出来た。

 新参の使用人たちは彼の駒ではないから、雇い主に報告はしても彼には何も報告していないようだった。

「はい、どうぞ。今日はキャラメルを紅茶に入れてみたの」

 少しなら美味しいキャラメル風味の紅茶だが、いかんせん量が多い。

 スプーンにどろりと溶けたキャラメルがあたった。

 うっ、とデアーグは呻いている。

「ねぇ、わたくしの気持ちが分かった?」

 演技をする際、アダリーシアは自分のことを”わたくし”と言う。

 元の一人称だ。

 今のアダリーシアは美優の記憶が勝った状態なのだが、以前の自分のために…自分自身を演じていた。

(迫力はなさそうよね。突然、飛びかかってこないといいけど…)

 内心はビクビクしている。

 部屋の中にはロイドと護衛が控えているから、大丈夫なのだが。

「わ、分かっておりますとも…」

 デアーグは虚ろな目で答える。もう、精神の限界かもしれない。

(私ってよく耐えられたわね)

 悪役令嬢の心は鋼鉄製なのだろうか。

「あなたは今日で解雇よ」

「はっ!?」

 やっと、目に力が戻る。

 腕に力を入れてソファの肘おきを掴み上体を前へと傾けたため、彼の背後で護衛が一歩前へ出た。

「あ、あと1ヶ月!!このままで!!」

 耐えますから、と懇願している。

 何が1ヶ月なのだろうか。

「…王太子の婚約者候補筆頭の、わたくしの健康管理すら出来ない執事はいらないわ」

 氷の微笑みを浮かべると、デアーグの目には、少しだけ満足そうな光が浮かぶ。

(そう…こんな風に性格を容赦なく冷たくさせるのも、あなたの仕事なのね)

 背後に居る者は分からないが、このまま敵を雇い続けなくてももう良い。

 手はずは整ったのだ。

「荷物はもう作っておいたから、それを持って今から出ていって」

「えっ…?」

 分かっていなさそうなデアーグに、紙を突きつける。

「解雇証明書よ。公爵家で働いていた証拠よ。大事に持っておいてね」

 ロイドの助言で王宮にいる秘書エメットに連絡をとり、魔法印を押してもらった正式な書類だ。

 ロイドが歩み寄ってきたので手渡すと、彼はその紙を丸めてデアーグの懐にねじ込んだ。

「あなたは最低の執事だったわ。さようなら」

「あ、アダリーシア様!?待って下さい!!あと1ヶ月で縁談がまとまるのです!!」

「…?」

 今の役職で誰かを射止めようとしているのだろうか。

「あなたの都合なんて知らないわ」

「私ではなく!!!」

 立ち上がったデアーグを護衛が押さえる。その間にアダリーシアはロイドに背中を守られて部屋を退室した。

「やっとで、ございますな…」

「もうひと踏ん張りよ。広間に名簿の使用人を揃えてちょうだい」

「御意に」

 アダリーシアは一旦部屋へ戻ると、息をつく。

 少しするとハイダがやってきて、デアーグはすぐに屋敷を追い出して街へ捨ててきたと報告してくれた。

「もちろん、馬車はわからないように偽装しております」

「ありがとう。魔法ってすごいのね」

 公爵家の家紋を持つ馬車が朝っぱらから人を街に捨てていくと問題になるだろう。

 元々馬車に備わっている隠蔽の魔法を起動して、ぼんやりとした印象を持たせたのだとか。

 お陰で訝しげな視線もなく件の悪徳執事を置いてこれたと、ハイダはスッキリした顔で言い切った。

「次は広間ね」

「私どもに命令しても良いのですよ?」

「ううん。私がやりたいの」

 散々虐められたお返しだ。別に痛めつける訳ではないから、反論もないだろう。

 広間へ足を運ぶと、30人程の使用人が息を詰めて待っていた。元々いた使用人からすると、皆若い。

 諦めた表情の者から、自分を睨みつける者まで様々だ。

(どうして睨みつけられないといけないのかしら?)

 ついでに言えば睨みつけているのは、自分に毒を持ったメイドだ。恨まれる筋合いはない。

(さて、と。気合を入れて…)

 どうせ父は戻らないのだ。代わりは自分がやればいい。

 アダリーシアは深呼吸をすると、よく通る声を投げかけた。

「皆さん、ごきげんよう。…あなた方は今日付けで解雇します」

 ざわり、とフロアに声が広がる。

「どうしてでしょう?」

「私たちは与えられた仕事をしています」

(そうね、雇い主に言われた事をね)

 まだスパイでいたいのか、口ごたえをする者もいる。

 アダリーシアの背後にはロイド、ハイダ、そして護衛がいるが、ドキドキしつつ言い返した。

「仕事?してないわよね」

 そう言って彼女は魔法で風を起こした。

 とたんに舞う埃。使われていなかった広間とは言え、掃除の範囲に入っている。

 古参の使用人にあえて”掃除をしないで”と伝えてあった。

「ゲホッ!?」

「何このホコリ!!」

 もちろん、風の壁を作って自分と後ろは護ってある。埃にまみれた使用人たちは怒った。

「何をなさるんです!!」

「悪戯が過ぎますよ」

「そうですよ、これだから…」

 その先は本人を前に言えないらしい。

(散々、酷い噂を広めたというのに今更ね)

 アダリーシアは氷の微笑みを浮かべて、ロイドから冊子を受け取った。

「これはここ数ヶ月のあなた達の仕事ぶりを記した書類です。おわかりね?」

 目を逸らす者、ギョッとする者。

 皆答えが顔に出ている。

「…さ、荷物は整えてあるわ。解雇証明書を持って出ていってちょうだい」

 タウンハウスにはあまり物がないが、それでも飾りや調度品は一級だ。

 購入した際の目録と現品が合わないので、部屋に持ち込んで…売った者もいるだろう。

 そのため、荷物はこちらで用意したのだ。

「横暴です」

「そうですよ、よい噂になりません!」

 アダリーシアはクスリと笑う。

「どうして?あのトランクの中には退職金も入っているわ。いらないの?」

 金額を告げると、彼らの顔色が変わった。正規額の3ヶ月分の給料だから当然だ。

 そのお金はデアーグの隠し金庫から出てきたお金で、余裕で賄えた。

 金に目がくらんだのか数人がトランクを手にとり、指示通りに別室で着替えて屋敷を出て行く。

「あなたはこちらです」

 ロイドは一人のメイドの手を引いた。彼女の顔色が変わる。

 最初にアダリーシアを睨みつけていた、例の毒盛りメイドだ。

「私が何を…」

 ロイドは直球で告げた。

「別室で警邏隊がお待ちです」

「えっ…やめて、私が何をしたと…お嬢様!?」

 しかしアダリーシアは振り返らない。殺そうとした相手に縋るとはどういう事か。

「さ、新天地が待っておりますよ」

「いやっ!!」

 暴れるメイドを護衛が拘束し、連れて行く。

 その様子を目の前で見せられ、後ろめたい思いのある者たちは我先にトランクを受け取り出て行った。

 ものの20分で彼らは居なくなり…空いた広間を、古参の使用人が喜々としながら掃除を始める。そのすっかり片付いた様子を見て、アダリーシアはこの5年、何だったのかな、と思ってしまった。

「…早かったわねぇ」

「ええ。警邏隊が効きましたな」

「嘘ではありませんからね。全員捕まえても良かったのですが」

 エメットに真実を告げて警邏隊を手配してもらった。

 証拠はメイドの使った毒だ。コーエンが分析した結果と、部屋の中にまだあった瓶の中身が一致したためスムーズに事は動いた。

 彼女は履歴書通りなら伯爵家ゆかりの家の者だそうだが、早々に縁を切られて、牢獄のある島に行くのだという。

 公爵家の一人娘の殺人未遂となると、当然の結果だとロイドは教えてくれた。

「私って思ったよりも権力があるのね…」

 ロイドとハイダは顔を見合わせて微笑む。

「やっとお気づきになられてくれましたか」

「その通りでございますよ。これから、貴女を阻む者はございません」

 タウンハウスの中は粛清された。

 外ではまた別の噂が広まるかも知れないが、これから始める事もあり知ったことではない、と思う。

「…そうね。少し頑張ったらお腹が空いてしまったわ。早いけれど、昼食をいただける?」

「少しではなく、大変頑張りましたよ、お嬢様」

「さっそくご用意致しましょう」

 敵の居なくなった屋敷は随分と居心地が良いが、やはりいい思い出はない。

 午後はコーエンに話をしなくては、と思いつつハイダに付き添われて食堂に行くのだった。


◇◇◇


 アダリーシアがその事に気がついたのは、ごく最近の事だった。


 タウンハウスって、いるの?


 その疑問が発端だ。

 ハイダに「帰らない父はどこに住んでいるのか」と質問したところ、王宮の執務棟に専用の部屋があると教えてくれた。昔はあまり使っていなかったが、5年前からずっとそこに住んでいるらしい。

 元は母を住まわせるために買い上げたタウンハウスだったので、荷物が少ないのもそのせいだ。

 両親の部屋を見たが、殺風景で何もない。

 父の書斎と思われる部屋には、小さめの額縁に入った母の肖像画のみ。

(お父様はこの家が嫌いなのかも)

 最愛の妻が亡くなった家だ。よい思い出はないだろう。

 その肖像画は外して今は自分の部屋にある。

 鏡の横に肖像画を掛けて前に座り、微笑んでいる母を真似て、笑顔の訓練をしていたりもしている。

 無理に笑うと父似の冷たい微笑みになってしまうので、母のような優しげな微笑みをぜひ目指したい。

(書庫以外は、ほとんど物がないのよね…)

 装飾品も買い上げた当時そのままだという。幾つか無くなっているのは、誰が盗んだのかもう分からず戻らないから仕方ない。

(でもさすが公爵家。相当な金額で売れて良かったわ)

 そう、アダリーシアはタウンハウスを売却したのだ。そのお金は引越し代になる。

(あとは自分たちの移動だけ…)

 残った使用人ともども、領地にある屋敷に引っ越すことにしている。

 領地は王都に面していて、幾つかある屋敷のうち王都近くにある建物もそう遠くない。馬車で数時間ほど街道を行った先にあるという、ウィールという大きな町。

 ここにいる使用人たちも、元はそちらにいたと言うので、引っ越しには問題がないという。

(それに…)

 アダリーシアには気がかりなことがあった。

 自分は前世で妹の真由がプレイしていた乙女ゲームに酷似した世界で、悪役令嬢と呼ばれる娘になっている。

(デビュタントはまだまだ先だし、継母と兄に虐められたくないし、ヒロインを選ぶ王太子との婚約は解消したい)

 領地で静かに、良い人を見つけて結婚してひっそりと過ごしたい、と切に願う。

 生まれてから10歳になるまでの短い人生が激動過ぎたのだ。

 父も今まで放置してきたのだから、引っ越しと聞いて急に動くこともないだろう。

 現に、父の秘書の…元はこの家の執事であるエメットには連絡してある。エメットからは返事はキチンと届くが父からは返答がないので、このまま決行しようと思っていた。

「えっ?」

 考え事をしながら廊下を歩いていたら、酒の匂いが漂ってきた。

 なんだと見れば、悪徳執事のいた執務室だ。床に酒をぶちまけたらしく、絨毯が酒臭いのでクリーニングに出すとロイド言っていた気がする。

 公爵家のタウンハウスで酷い痴態を晒していたようだ。煙草を吸わなかっただけマシか。

「…くさっ。に、庭に出ましょう…」

 口を押さえて慌てて遠ざかる。

 デアーグが泥酔して寝てから、彼をロイドに見張ってもらい部屋の中を単身で漁った。

 書類には、領地の家令との繋がりがあるものも見つけてしまった。

 さすが没落する悪役令嬢の家だな、とつい思ってしまったが、これから送ろうと思っていたスローライフの障害でしかない。

 その事もあり、タウンハウスを閉じようとも考えたのだ。

 アダリーシアが「行きましょう」と言えばすぐにでも決行されるが、気がかりな相手がいた。

「あ!シア!こんにちわ!」

 そう、コーエンとラックの事だった。

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