第5話 悪路
おかしい。
いつからこうなったのだろうか。
計画は完璧だったのに。
(うっ…)
目の前にある、脂っこく分厚いステーキに吐き気を催してきた。
ここ一ヶ月毎日、朝昼晩に訪れる苦行は監視付きだ。かつて自分がしたように、今日も令嬢と使用人に見張られている。
「お嬢様、これ以上は…」
「あらもう音を上げたの?私よりも軟弱ね」
冷たい目を向けて、しかし口元は笑っている。凍れる月と揶揄されるこの国の宰相のようだ。
自分たちの目的である、"見た目が悪く性格も悪い令嬢"に仕上がったようだが、いかんせん、その力が発揮されるのは己の前だけだ。これではいけない。
「食べ終わるまで、他の行動は禁止よ」
そう命令してアダリーシアは少し離れたソファで本を読み始めた。
いつもは食堂へ行く以外は部屋に籠もって出ようとしなかった彼女だったが、いつの間にか屋敷内をあちこち出歩き、図書室にも行っているようだ。禁止したいが、会うとポケットからチョコレートやキャラメルを出して薦めてくる。条件反射のように吐き気がしてトイレへ駆け込んでしまうのだ。
手にしているのは光魔法の本。
(たしか、少し適正があるとか…)
光魔法は傷を癒やしたり、身体に入った異物を取り除くこともできる。
(毒は…バレていたか)
過去に何度も倒れているから当たり前かもしれない。
メイドに扮したスパイも、調味料だと言わんばかりに毒を思い切りふりかけていたから、味もおかしかっただろう。
あの日は厨房の方から見知らぬ老人がやって来て、お嬢様を攫うように連れて行った。
"手を出すな"とアドルフに命令をされていたはずの古参の使用人も、ハッとしたように後を追っていた。
思えば、あれ以来だ。
お嬢様や使用人がおかしくなったのは。
(まったく、余計なことを…)
他家の者たちに"やり過ぎるな"と注意しておけばよかったと、今更ながらに思う。
「手が止まっているわよ」
「くっ…。はい…」
今この部屋にいるのは、自分よりも貴族としての位が高い…古参の侍従やメイドだ。
屋敷の中を熟知しているから逃げても見つけられてしまうし、自分が雇った者は主が別にいてその命令に従っているから仕事以外の命令をしても、バカにしたような顔をされて動かない。
知ってて雇ったのは自分だから当たり前だ。
(クソっ…)
冷えて白くなってきた脂を避けて肉の部分を口に運ぶが、塩に随分漬けこまれたのだろう、肉の味は全くしなかった。
この後に甘い…今日はチーズケーキが刺さったパフェだったか。それに蜂蜜と生クリームたっぷりの甘い甘いミルクコーヒーがつく予定だ。
自分の決めた献立だから覚えている。
結局、一時間以上かけて食事を終えて、彼は部屋から逃げ出した。
「グッ…」
トイレへ駆け込み、吐き出す。
もう胃が食事を受け付けない。食べたものを全て出して洗面台で洗い流し、その後すぐに給湯室へ行くと胃薬を飲み込んだ。
以前は苦くて飲み込むのも一苦労だったが、甘くない、塩っぱくない、脂っぽくない味は非常に貴重だ。
ジュースではなく水が美味しいと思う。
給湯室から出てくると他家のメイドが通りかかり、嘲る色を顔に浮かべて微笑んだ。
「あら、デアーグ様。ごきげんよう」
この青白い顔を見てそう言うのか。
デアーグは舌打ちした。
「…辞めさせるぞ」
「どうぞご随意に。次が来るだけですわ」
その通りだ。自分の雇い主が次を連れてくる。
「クソッ…!今夜は、誰かを寄越せ」
「あらまぁ、またですか。別料金ですよ?」
「それでいい」
メイドはクスクスと笑った。
「どこからそんなお金が出ているのかしら?」
「フン。知っているくせに」
単純明快だ。
自分が新たに雇った者たちは、本来の主たちから給金が出ている。
だから公爵家から彼等に払っている金額は微々たるものなのだ。
もちろん、帳簿には正規の金額を書き込んでいる。差額は自分の懐だ。
公爵家が雇う者は伯爵家以上の家柄の出身の者の筈だから当然給金は高い。
毎月湯水のように入ってくる金に、彼は魅了されていた。
「ゲホッ」
喉に残った苦い薬でむせてしまう。最近は太ってきたし、夜も眠れずにいる。
だから夜伽をさせているのだが。
「あらあら。そろそろ止めたらどうです?舵を切る方向もご自分で示す事が出来ませんの?」
図星を指されてデアーグは不機嫌な顔で言う。
「煩い。…いいか、約束は守れ」
メイドは肩をすくめた。
「はいはい」
踵を返して去っていく彼女は、偶然通りかかったのではなくて、自分の様子を見に来たのだろう。
(監視か…)
逃げれるならとっくに逃げている。
食事から異物を除く事ができる非常に高価な魔道具を雇い主に所望したが「子供が5年も食しているのにお前は耐えれないの?」と一蹴された。
使えないのなら次を用意するとも。
(5年じゃない、正確には1年だ)
アダリーシアに対しては、最初の1年は甘味を多くした。
当然の如く令嬢は太り始め、しめしめと思いつつ次の1年は、油分を徐々に増やしていった。
体が丸々としたあと増やしたのは塩分。こちらは2年かけたのだ。
肌の色も質も悪くなり、髪もパサパサ。
そして最後の1年で全てを混ぜたものを提供し、そろそろ気が付き始めた子供に容赦なく論破してきた。
性格の悪さを滲み出しながら。
自分の物言いを真似してくれないかな、とまで思っていたのだが。
(真似されるとこうも苛つくものだとは)
有り余る金を持って逃げたいが、雇い主からは逃げられないだろうし、隣国は海の向こうだから気軽に行けない。乗船の際に捕まるだろう。
しかし成功すれば伯爵位を貰えなおかつ、領地か王宮での要職を用意してもらえる。
失敗すれば、死、あるのみ。
(そんな事は分かっている)
地方男爵位の、どう足掻いても兄に使われるか追い出されるしか道がない平凡な5男坊に降ってきた夢のある仕事…幸運なのだ。
少なくとも彼はそう感じている。
(しかし、突然豹変したのはなぜだ)
あの日突然、少女は反旗を翻した。
日常と異なる部分は、死にかけたことくらい。
(そういえば治療をした爺…エメットから言われたのだったか)
気がついたら庭に居て「誰だ」と問えば「エメット様にお問い合わせ下さい」と言われた。
問い合わせてみれば、王都にある侯爵家のタウンハウスに勤めていて領地に戻るはずだったが、手違いで別の者を雇われてしまい、次の雇い先が見つかるまで置いてくれないかと相談を受け、引き受けたらしい。
(確かに侯爵家なら恩を売っておいて損はないが)
先に説明してくれと思ったが、エメットも伯爵家の人間。自分より格上なのだ。下手に意見して、今の職を失うのは死を意味する。
(爺はともかく、あの日からか…)
さすが元侯爵家の庭師、普通の庭師でない技能を持っており薬草に詳しいその老人は、見事に令嬢の命を取り留めた。
そんな人物を偶然よこしたエメットに色々とバレたのかと思ったが、庭師も秘書も、その後は動きがない。
警戒しつつも放置して良いだろうと思われた。
(いざとなれば、孫を人質にすればいい)
彼はニヤリと笑う。
万が一、庭師の老人が自分にとって危険な人物でも、弱点を抑えておけばどうということはない。
(絶対に、逃げない。あともう少し辛抱だ)
先程まで食事をしていた部屋を睨みつけ、彼はその場を後にした。
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