第3話 反撃

「さて、と」

 決意して質素な薄い青色のワンピースに着替えたものの、胸やけが酷い。

 朝に倒れて今は昼過ぎだが、今日に関わらず年がら年中ずっとこうなのだ。

(食事よねぇ、絶対)

 毎日毎日、朝から脂身の残ったステーキをこれでもかと出される。

 付け合せの野菜はほとんどないか、バターでソテーしたものだし、食後のデザートも甘ったるい上に紅茶も砂糖が溶けてないんじゃないかというくらい甘い。

 アダリーシアは5年前からずっとこんな食事なので「貴族の食事というものは、こういうものなのだ」と思っていたようだが、美優の記憶が思い出された今は、どう考えてもおかしい。

「普通なら、コース料理で少量ずつ、でしょう」

 メイドと全く遭遇しない、埃の積もった廊下を歩いて厨房へと向かう。

 それだけで膝は痛いし、息切れがした。

(痩せないと駄目ね)

 まだ10歳なのだから、痩せようと思えばあっという間に痩せるだろう。

 むしろ、成長期の今しかない。

「お嬢様!?」

 厨房に行くと、コックが驚いて出迎えてくれた。

(この人…小さい頃にお菓子をねだった人だわ)

 意地悪なメイドと違い、オリスと名乗った初老のコックは親切なようだ。

 椅子に座らせてくれ、果実ジュースを出そうとするので断って水にしてもらう。

「あのね、食事の件で来たのよ」

 そう告げると、コックは申し訳ないといった表情になる。

(良かった。彼は味方についてくれる)

「誰が決めているの?」

 どうも自分が話すと詰問口調になってしまう。悪役令嬢の設定なのだろうか。

 萎縮しながらオリスは答えた。

「…デアーグ様です」

 すぐに諸悪の根源を暴露した彼に、これは幸先が良いと思いつつ、内容を聞いてみる。

「一食に入れる塩分量と糖分量、そして油分を管理されています」

 一週間の献立は日替わりで決めてあるが、それが延々と繰り返される毎日。

「そう。しょっぱいし脂っこいし、甘すぎるのだけど」

「はい…その通りです…」

 コックとしても食事の味を決める3大要素が管理されているとあって、困り顔だ。

(しかもあの人、残すと怒るのよね)

 苦しくなって食べる手を止めると「最高級の食材で公爵家が雇ったコックが腕を振るったものなのだから残すなど言語道断」と言うのだ。産地で農民が苦労している話や、食事もできない子供もいると、知ったふうに諭してくる。

 美優の日本人の心も、食事を残すのはいただけないと思うが、体調を崩すように味付けを管理されたものを食べる義理はない。

 …が、やっぱりもったいない。

「そっか、残さなければいいのだわ」

「え?」

「いえ、なんでもないわ。…あのね、私がいいと言うまで、味付けはいつも通りで出してちょうだい」

 デアーグはアダリーシアのために作られた食事を、毒味と称して一口食べるのだ。

 そしてキチンと決めた味付けになっているのを確認してから、壺に吐き出す。

 味が普通になったらオリスが叱られてしまうし、味方である彼を追放されたくない。

「しかしお嬢様。お嬢様の身体が…」

「大丈夫よ。まだね。…でも、そろそろ変えないといけないと思うの。だから、協力してくれる?」

 変えるというのに、今までと同じ味付けでいいのだろうか。

 首をかしげたオリスだったが、小さい頃のように自分の目を見て話してくれるアダリーシアに嬉しくなり、頷いたのだった。

「わかりました。止める時はすぐに仰って下さいね」

「ええ!もちろんよ。あとね、こういうのを作って欲しいの…」

 

◆◆◆


「お嬢様、お手が止まっておりますよ」

「ええ、でも…」

 ニマニマと笑みを浮かべたキツネ顔のデアーグが、待ってましたとばかりにいつもの言葉を伝えた。

「その食材は最高級でしてね。わざわざ領地の方からお取り寄せしているのですよ?お嬢様が食されるそのお肉はまだ仔牛だというのに命を落として、お嬢様の血肉となっているのです…」

 少し食べて手を止めたアダリーシアに、デアーグのお小言が流れるように落とされる。

(いつも通りね)

 思わず心の中で笑ってしまう。

 幼く教養も持たせてない非力な少女から反撃を受けるなど、彼は一欠片も考えていないだろう。

「お聞きになっておられますか?お嬢様。お嬢様の、その話を聞いていない態度はいけ」

「聞いているわ、デアーグ。どうぞ、席についてちょうだい」

「…いま、なんと?」

 アダリーシアが目配せをすると、老齢のメイドがささっと動く。

 彼女はオリスの紹介で引き合わされた、この屋敷に仕えているメイドのハイダだ。

 悪徳執事が雇った者はみな若く、年寄りは皆、昔から仕えている者なので味方になりましょう、と彼女は言ってくれた。

 ハイダはアダリーシアの正面へ席を作り、そして椅子を引くとデアーグを見る。

「どうぞ」

「?」

 訝しげな顔をしながらも、デアーグは席につく。

 それを待っていたかのように、ハイダはアダリーシアの食べかけの食事を全て、彼の前に置き直した。

「何をしている!?」

「お嬢様のご命令です」

「お嬢様!?」

 彼は執事ごときが向けるような物ではない険しい表情を、雇い主の娘へと向けた。

(普通の小さい子なら、怖がるんでしょうけど)

 しかしアダリーシアは父親譲りの冷ややかな目線でここぞとばかりに彼を見る。

「最高級の食材と、凄腕コックが作った食事を残すことは出来ないというのは賛成なの。でも、私はもうお腹いっぱい。…だから、あなたが食べてね?」

「…は?」

 その間にも、ハイダがデアーグの首元に子供にするようにナプキンをかけた。

 まるで逃げ道を塞いでいるようだ。

 その場にいる老齢の侍従も、厳しい目をデアーグに向けている。

(おかしい)

 普段はどこかぼんやりした表情で、こちらを見ないようにしていたのに。

「な…何をおっしゃいますやら…この食事はお嬢様のためのもので」

「ええ、知っているわ」

 自分専用の、健康を害するために提供されているものだ。

「貴族の食事をお相伴出来るのよ?とても名誉なことだと思うの。そうでしょう?」

「!」

 それは事実だ。味付けを別にすれば。

 しかも今日の食事は、配膳する前にどこかの貴族のスパイであるメイドがさり気なく粉をまぶしていた。

「どうぞ。冷めないうちに。油が固まるわよ?」

 固まった後の油のしつこさは、形容し難いまずさで舌にいつまでも残る。

「くっ…。あ…ありがたく、頂きましょう」

 一食だけなら大丈夫だと思ったのだろうか。デアーグは懐から何かを取り出し、それを食卓にある熟れた甘い果実のジュースで飲み干してから、食事をし始める。

 何度も何度も手が止まりかけるが、その都度、アダリーシアは「手が止まってるわよ」と言い続けた。

 椅子を引こうとすれば侍従が背後について阻止する。

「ぐっ…」

 徐々にデアーグの顔から余裕と血の気が失せてきた。

(自業自得よね…)

 今まで散々お残しはいけません、貴族ならばお皿ごとに味の感想を、と高説を垂れていたというのに、自分は食事の内容について一言も話さない。

 食事が終わると腰を浮かせかけたデアーグの前に、すかさずハイダはホイップクリームと熟した果物を乗せた甘い甘いプディングと、ティーカップの底に砂糖が残っている甘すぎる紅茶を出した。

 もちろん、ミルクではなく生クリームをいつものように強制的に入れる。

「どうぞ」

「……」

 食事で既に気力を無くしたのか、デアーグは無言でプディングをかき込むように食べて、紅茶を一気飲みした。

 そして食事なのか毒のせいなのか、顔が完全に白くなった彼は口を拭いて立ち上がると浅くお辞儀をして一目散に退室していった。

「…プッ」

 思わずその様子に、アダリーシアは吹き出してしまった。

 その後すぐに、はしたないかしらと、口元を抑える。

「お嬢様、良いのです」

「そうです。お嬢様はこの屋敷の主ですが、まだ10歳なのですよ?」

 ハイダと老齢の侍従…ロイドがそう言ってくれて、アダリーシアはぽろりと涙をこぼした。

「お嬢様!」

「ああ、おいたわしい…」

 二人は直ぐ側に来てくれた。

(良かった…敵だらけかと思ったら、違ったわ…)

「…ありがとう」

 その涙を拭きながら、ハイダは小さく首を振る。冷たい顔をした主、アドルフを思い浮かべながら。

(ようやく…)

 ずっと魔法でも掛けられていたのか、手を差し伸べられなかった少女に手が届く。

 ハイダは決心して告げた。

「お嬢様が反撃なさるのなら、我らも協力致しましょう。旦那様の命令なぞクソくらえですわ」

「は、ハイダ!」

 ロイドが慌てたように制止しようとするが、アダリーシアのぎこちない笑顔に手が止まる。

 そして決心したように襟を正して告げた。

「…そうですな。デアーグは我々を解雇出来ません。思い切りやってしまいましょう!」

「えっ!そうなの?」

 一番の心配事が吹き飛んだ。

「ええ。我々の主はアドルフ様ですから」

 聞けば、古い使用人については元の執事であるエメットが様々な権限を持っているらしい。

「分かったわ。明日も同じようにするつもりよ」

「承知いたしました」

「部屋にこもった場合はどう致しましょう?」

 味見だけをして、アダリーシアが食べる際に食堂に現れない可能性もある。

「もちろん、部屋へ持って行くわ」

 父親のように口角を少しあげた笑顔で言うと、ハイダも黒い笑顔で返した。

「その時のお顔が楽しみでございますね」

 二人の様子にロイドは、お嬢様は主のような性格の女性に育つのでは、と危惧し慌てて話題を変える。

「お嬢様!お嬢様の食事は新しく作り直させましょうか!?」

「あ…ええと、オリスが用意してくれているわ」

 事前に打ち合わせしてあるのだ。ロイドは急いで厨房へ行き、何かをお盆に乗せて戻ってくる。

 一つはグラスいっぱいの、緑色の液体だ。しかもドロドロしている。

「スムージーというの。野菜や果物をすり潰したものよ。あと薬草も入っているわ」

 庭で薬草を育てている庭師がいるというので、少し分けてもらいましょう、とオリスが貰いに行ってくれたのだ。

 聞けば今日の朝、自分が倒れた時に駆けつけてくれたのも偶然厨房に薬草を届けに来ていたその庭師で、更には薬草を煎じて飲ませてくれたという。その庭師には後でお礼を伝えようと思っている。

 ロイドは視線をさまよわせた。

「こちらは…?」

 およそ貴族の食事とは思えないものが、白磁の皿の上に乗っている。

「鶏の胸肉を茹でたものよ。皮は取ってもらっているわ」

 前世の記憶を総動員して、作ってもらったものだ。

 白い肉を割いたものに、茶色いソースが掛かっている。この色の源は醤油だ。流石に漢字はないがショーユと呼ばれている。

 さすが乙女ゲームの世界、なんでもありだわとアダリーシアは関心してしまった。

「ナッツのソースなの。オリスが作ってくれたのよ。美味しいわよ!」

 味は胡麻ダレに近い。

 他にも野菜を蒸したものなど、全て身体に良いものばかりだ。

 味は薄味だが、今まで散々濃いものを無理に食べてはお腹を壊していたので、身体の中に栄養として染み渡るように思えた。

「お嬢様…この食事を続けるおつもりですか?」

 ロイドが若干悲しげな目を向けてくるので、アダリーシアは苦笑した。

「ええ。痩せないと病気になってしまうし…痩せたら、美味しいものを普通に食べるわ」

 その言葉にはハイダが賛同してくれた。

「そうですわね。スムージーとやらは…見た目はよくありませんが、先程味見させて頂いた所とても美味でしたよ、ロイド」

「これが??」

「ええ。騙されたと思って…気が向いたら飲んでみて!」

 好みは人それぞれだ。美優は好きで自分で作って飲んでいたが、真由は嫌そうだった。

 そんな他愛もないことを思い出しつつ、アダリーシアは新しい一歩を踏み出したのだった。

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