第2話 王宮の執務室にて

「…あれは、生きているか」

 アドルフは執務の合間に、ふと、傍らにいるエメットに尋ねた。

 書類から顔を上げてエメットは答える。

「気になさるならば、お帰りになればよいでしょう?」

「……」

 ふいと逸らされる、氷の目。

 太陽のような容姿の王と相対して月と評される冷たい表情だが、身体に流れる血はもちろん人間のもので、情に厚いことを彼の右腕であるエメットはよく知っていた。

 しかしそれは、過去のことだ。

「”深層のご令嬢”でしたか。あの状態をお気に召しているのですか?」

「…外に出なければ、それでいい」

「教育者もつけず、お茶会もなさらず…世間知らずになっていても?」

「死ななければ、それでいい」

 主の短い回答に、エメットはわざとらしくため息を落として抗議した。

 ローガン公爵家の一人娘であるアダリーシアの置かれている状況を、エメットはもちろん知っていた。

(奥方様があのようになったからとはいえ、お嬢様は別人だ…)

 5年前に亡くなった、アドルフの妻であるリージーは准聖女だった。

 聖女に近い薄紫色の髪に、明るい緑の目。

 伯爵家に生まれ見た目はたおやかな令嬢だが、世間知らずのお転婆だった。誰にでも優しく光魔法を惜しみなく…平民相手にも使っていた。

 アドルフとは学園で出会い、優しく芯が強い彼女に惚れて求婚したのだ。

 幼少期から仕えているエメットは「主には生涯、伴侶になるお方がいらっしゃらないのでは」と懸念していたため、諸手を挙げて喜んだものだ。

(…しかし、あのような事になるとは…)

 当時、流行病が王国に蔓延し、リージーは毎日遅くまで神殿で光魔法を行使し患者を救っていた。

 アドルフはアドルフで、当時王太子だった親友を手伝い、王の栽培した熱冷ましや痛み止めなどの薬草を国内に広めていて…病も収束に向かっていたのだが。

 そんな光明が差していた矢先、リージーが倒れた。

 魔力を使いすぎたことによる魔力欠乏症だった。

 医者や神官が言うには、生涯で使える魔力を全て出しきってしまったという。

 魔力は生命維持にも必要だ。魔力が無くなるという事はつまり、死を意味する。

 自然豊かで魔力もある領地に置いたほうが延命が出来たのだが、リージーは死期が近いと悟り、執務に追われるアドルフと共に王都に居ることを選択した。

 …と、表向きそう公表しているが、領地に置くと未だ残る病人が屋敷へ押しかけ、リージーはそれを命を削って治癒しようとするため、アドルフが無理に王都へ連れてきたのだ。

 リージーはそのように身も心も聖女たる気質だったが、娘は違う。幼少期の体験により、これからどのような女性になるか決まるというのに。

(やはり、光魔法の素質があったのが堪えたのか…)

 アダリーシアが5歳の時…リージーが死去する前に、洗礼式を行った。

 その際にどのような素質があるのか神殿から告げられるのだが、当時、よく笑いよく遊んでいた活発なアダリーシアはリージーに似たのか、光魔法の素質があった。

(しかし、そちらは微々たるものだった)

 それよりも父の仕事に影響されたような、特殊スキルがあったと言うのに、アドルフは”光魔法”に絶望してしまった。

 その頃、タイミングの悪いことに王位を継いだばかりのライガスト王の妻…王妃様の体調が思わしくなくなり、王が引きこもりがちになったのもいけなかった。

 アドルフは王に代わり王宮に住まいを移して執務を行うようになり、自分を王宮に呼び寄せ、職歴のあまりよくない執事を雇ってタウンハウスに置いた。

 そしてアダリーシアを屋敷に閉じ込め、外界と隔絶させて育てよと命令した。

(人と触れ合わなければ、准聖女とならないとお思いなのだろうが)

 これでは病気になってしまう、と何度も忠告したが、生きて屋敷に居ればいいと言う。

 果たしてそれが、生きている状態と言えるのだろうか?

(先日もお嬢様は倒れられたという。おそらく毒だな。…どこから仕入れているか、調べないと)

 アダリーシアを閉じ込め、無関心を装って歪んだ愛を向ける主にかわり、エメットはさり気なく動いていた。

 アドルフからは黙認されているから、止めるつもりはない。

 時折、淋しげな目を窓の外…公爵家のタウンハウスの方角へ向ける事があるからだ。

(意固地なお方だ)


 主もまた、自分を助け出してくれる方を切望しているのかも知れない。


 最近はそう思うようになっていた。

(それは私でもなく、別の女性でもなく。…お嬢様でなければ)

 エメットはそう決意すると、窓の外へ目を向ける主へお茶を淹れるために立ち上がった。

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