第3話 僕の話

 彼女と初めて出会ったのは、身体中の水分が奪われるような、そんな日差しの強い夏の日だった──。



「大丈夫ですか?」

 公園のベンチに横たわって動けずにいた僕に声をかけてくれたのが彼女だ。

「だ、いじょうぶ……です」

 その時の僕は、あまりの具合の悪さから目をつぶったまま声を出すのもやっとだった。大事にしたくない一心で、僕は声をかけてくれた彼女に弱々しくそう返した。

 そんな僕の気持ちを察したのか、彼女は『すぐ戻ります』と言ってどこかに行ってしまい、足音と共に人の気配が遠ざかっていくのを感じた。

 正直な話、大丈夫だとは言ったものの大丈夫ではなかった為、心細くなってしまったことを今でもよく覚えている。


 蝉の鳴く声が遠くなっていくような感覚を覚えながら、不眠不休が祟ったなとネクタイを力なく緩めた。風も吹かず蒸し暑い中、木陰になっているのだけが幸いだった。

 それから程なくして、足音が近づいてくる気配で微かに目を開くと、汗を拭いながら大きなレジ袋を抱えた彼女がいた。急いで走ってきたのだろう、息も少し上がっていた。

「少し起き上がれますか?」

 そう言って僕の頭を支えながら隣に座ると、袋からスポーツ飲料を取り出し、それを差し出してきた。

「まずは水分をとって、それから涼しい場所に移動しましょう」

 乾いた喉が潤ったにも関わらず、人の温かさに触れて泣きそうになった僕は、喉の奥がぎゅっと閉まってしまい、声にならない程小さな声で『ありがとう』と呟いただけだった。

 彼女は凍ったペットボトルをハンカチで巻くと僕のうなじに当て、もう片方の手で何のキャラクターだっただろうか……可愛らしいうちわで僕を扇いでくれた。


 それからどのくらいの時間が過ぎたのか分からないが、だいぶ気分が良くなり目を開けると、最初は自分の置かれた状況が分からず微動だにできなかったのだが、その突如僕は慌てて飛び起きた。なぜなら知らぬ間に彼女の膝枕で寝ていたことに気づいたからだった。

「すみません‼︎」

 突然動いた僕に驚いてはいたものの、彼女はふわっとした笑顔で『顔色がよくなりましたね』と笑いかけてくれた。

 それは文字通り恋に落ちた瞬間だったと、あらゆる人に説明できるほど、それはもうストンと簡単に。


「あ、ありがとうございます! こんな……すみません! 寝てしまったみたいで、いや、ずっと寝てなかったから、いや違う」

 自分でも何を言っているのかさっぱりわからなかったが、自分の晒した醜態を思い返しながら、気恥ずかしさと照れとがごちゃ混ぜになってしまっていた。

「大丈夫ですよ。元気になられたみたいで良かったです」

 長い髪を耳にかけながら微笑んだ彼女は、横に置いてあったスポーツドリンクを僕に差し出してきた。

「凍っていたのが溶けただけなので、まだ冷たいですよ。水分補給はしたほうがいいと思います」

 言われるがままに未開封だったペットボトルのキャップを開けて飲むと、まだ少し氷が溶けきっていなかったため、カランと音が鳴った。

「ありがとうございます。いろいろ買ってきてもらったみたいで……あの……全部払います!」

「いえいえ勝手にあれこれ買ってきただけなので」

「いや、でも……」

 その時スマートフォンの着信が上着の内ポケットから鳴り、慌てて胸を押さえた。とっさに彼女を見る。

「どうぞ! 気にしないでください」

 会社からだと勘付いた僕は軽く会釈をすると急いでスマートフォンを取り出し、通話ボタンを押した。

『あ、やっと出た! どこにいるんですか?』

「ごめん。具合悪くなって少し休んでたんだ」

 『えっ大丈夫ですか? 打ち合わせ別の日にしましょうか?』

 咄嗟に腕の時計を見ると15時を過ぎようとしていた。その最中、目の前の彼女がこちらにアイコンタクトを取り、立ち去ろうとしている。

 電話の向こうで心配してくれてる後輩をよそに僕は慌てた。

「いや大丈夫だ。打ち合わせまでには戻る」

『本当に大丈夫ですか? なんなら迎えに……』

「悪い。すぐ戻る」

 後輩の言葉を遮って電話を切ると、僕は彼女を追いかけた。

 もちろんちゃんと御礼もできてないからだ。でも、逃したくないと思ってしまった。



 これが僕と彼女との出会い。

 ここから何度もアプローチして恋人になるまで1年半、恋人になってから3年が経とうとして、そして──ピリオドが近づいている。

 

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