第2話 嘘のはじまり

 見慣れない家具。

 見慣れない間取り。

 数々の見慣れない風景に若干の居心地の悪さを感じながら、ほんの数日前に名前も知らなかった男を目の前にしてコーヒーを飲んでいる。

 目の前の男──高橋直樹は自分の部屋にも関わらず落ち着きのない様子で今にも吐きそうだ。

「直樹さ。今から本気で嘘つく気あんの?」

「──大丈夫だ」

 俺の質問に少し間を空け、自分に言い聞かせるように直樹はそう答えた。


「彼女は俺がここにいること知ってるんだろ?」

「会ってほしい人がいると伝えている」

「ふーん」

 コーヒーを一口含み、噂の彼女の到着を待つ。

 あまり時間をかけすぎても直樹がボロを出すだろうし、かと言ってあっさりするのも信憑性に欠ける。

 無意識に二口目のコーヒーを口に含むと、突然我に返った。

 なんで俺がこんなに入念にプランを組んでるんだアホらしい。さっさと終わらせて、せっかくの休日を満喫してやる。

 約束の時間までまだ時間があるものの、残ったコーヒーを全て飲み干し、さっさと帰る準備を整えた。

 そもそもこの話を受けたこと自体俺らしくない。少しイラつきながら数日前の出来事を思い返す。




「で? 頼み事って何ですか?」

 閉店業務を終えた店内で、ずっと待っていた男に声をかけた。

 誰もいない無音の店内、男の前に置かれたコーヒーカップを下げようとして、ほんの少し甲高い音だけが響く。

「無理な頼みなのは重々わかっているんだが……」

「何ですか」

「頭がおかしいと思われても仕方ないとも思う」

「失礼ですが、もう既にそう思ってるんで」

 男は苦笑いを浮かべると、開き直ったかのように淡々と言ってのけた。

「僕の恋人になってくれないか?」


 あぁ……。

 あと数センチで流しにそっと置けたのに。

 ガシャンと大きな音を立てたコーヒーカップが店内に大きくこだました。


「いや、そう言う意味ではないんだけど」

 男はなぜか少し照れたように頭を掻いている。

 もう既に何から突っ込んでいいのか、イライラを通り越して呆れてきた。

「おっさんさ、からかってんなら出禁にするけど?」

 腕を組んで睨みつける。

「からかってないよ」

 そう言って笑うと、男はその場に立ち上がって深々と頭を下げた。

「1回だけでいい。僕の浮気相手のフリをしてもらえないだろうか」

「──はぁ?」




「もうすぐ彼女が来る時間だ」

 直樹の声があの日から俺を現実に引き戻した。

 本気でヤバイ奴だと思った。

 ただ……話を聞いている内に、そんな想いもあるのかと。そんな風に思わせる女性を一目見てみたいと思ってしまった。

 単純な好奇心とほんの少しの同情。

「最後にもう一度聞くけど。本当に彼女とこんな茶番で終わらせていいんだな?」

「茶番なんて酷いな。一生懸命考えたのに」

「茶番だろ? 好きで仕方ない彼女と別れる為に、わざわざ同姓に惹かれてるなんて嘘つくんだから」

「僕もそう思うよ」

 力なく笑う直樹にそれ以上何も言えず、とっさにマグカップを手に取った。

 さっさとコーヒーを飲み干した自分を恨みながら、さも飲んでいるフリをしたのは自分もどこか緊張しているからだろうか。

 そんな風に考えていると『ピンポーン』とはじまりの音が聞こえた。


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