それが運命なら僕たちは嘘をつくしかなかった

杏藤哉依

第1話 嘘の序章

プロローグ

 あの日あの時。

 いや……。

 産まれて生きてきた、そのどこか一瞬でさえも今と違えば、あんたに会うことはできなかったかもしれない。

 それが幸か不幸か。

 あんたはどっちだ?

 応えがほしい。

 だけどこわい。

 たださ、あんたの心臓が動いてるなら俺はそれだけでよかったのに。

 ごめん……。


1

「頼みがあるんだ」

 かれこれ2時間程、そこを動かず黙ったまま

だった男性客が突然カウンター越しに思い詰めたように話しかけてきた。

「へ?」

 あまりに突然すぎて自分に話しかけられてるのかさえわからず、思わず左右を確認しつつ

も、男性は真っ直ぐこっちを見ている。


「ご注文ですか?」

絶対に違うと分かっていながら、咄嗟に出たのは使い慣れた言葉とセットの営業スマイル。

 もちろんそんなのは通用しない。

「個人的に君に頼みがあるんだ。僕のこと覚えてないかな?」

 覚えていない……わけがない。

 時間は決まってないが、週に3回は来る常連のお客様だ。

 1人の時もあるし、同僚らしき人物と来ることもある。

 まあ、客だから知ってるってだけではないから少し気まずい。

「もちろん。いつもご利用ありがとうございます」

 あのことには極力触れたくないが、男の反応を見る限り絶望的だ...


「今日は随分と丁寧な言い方だな」

 自嘲気味にそう言った男は、カウンターに両肘をつき頭を抱えはじめた。

 どんよりと哀愁が漂っている…これはもう話を聞いてくれと無言の圧力でしかない。

 あれから1週間か……。

 聞きたくない。

 が、仕方ない……。

「どうかされましたか?」

 男は少し間を置いて顔を上げた。


 ああ。

 あの日もこの男はそんな顔をしていた。

 だから無性にイラついたんだ。

 どうしていいかわからない。

 誰か助けて欲しい。

 酷く情け無い。

 いつでもそんな顔をすれば誰かが助けてくれると思ってる。

 幸せに生きてきたやつ。

 俺が一番嫌いな人種。


「彼女と寝てしまった」

 口にして改めて自覚したのか、男は再び頭を抱え始めた。

「へぇ」

 心底どうでもいい。

 確かに煽ったのは俺だけど。


 男は連れが一緒の時は決まって自分の彼女について相談していた。

『彼女の気持ちがわからない』

『彼女に愛されていない』

『彼女には他に男がいる』

 それを聞いて笑うやつもいれば、また始まったと面倒臭がるやつもいた。

 その中でも後輩の女性らしき人物は、いつも真剣に話を聞いて励まして、アドバイスをしていた。

 明らかにその男を好きだと全身で物語っているのに、当の本人は気づいていなかった。

 客の恋愛事情なんてどうでもいいが、あの日は俺もどうかしていた。

『だったらあんたも女つくれば?』

 気づいたらそう吐き捨てており、場が一瞬で凍りついたのを覚えている。

 すぐにマスターが間に入ってきたので後のことは知らずにいたのだが、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。


「俺が煽ったからだっていうなら、謝ります。ただ……」

「違う。いや、違わないけど違う。謝ってほしいとは思ってない」

 男は慌てたように俺の言葉を遮った。

 確かに、頼み事と最初に言っていたのがふと頭をよぎった。

 だからわざわざ他の客がいなくなるまで待ってたのか──。


「お客様に失礼なことを言ったのは間違いありません。なのでそのお詫びに話を聞くのは構いませんが、引き受けるかどうかは別の話です」

「それでもいい。話だけでも聞いてほしい」

 男はその場で立ち上がると頭を下げてきた。

 そこまでするのはよほどなことなのだろう。

 しかし、なぜ俺なのか?

 いままでろくに会話を交わしたこともなく、客と定員というだけの関係だ。

 あらゆる考えが頭の中を巡ったが、まあ話を聞くぐらいならいいか。

 そう安易な結論に至ってしまった。

 そのせいで、俺はこの先嘘を重ね続けることになるとは思いもよらなかった。

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