第2話

 赤坂陽音は病弱な少女だった。子供の頃に患った大病が尾を引いて、今でもちょこちょこ入退院をしているらしい。

「土いじりなんかして、大丈夫なの?」

花壇の前二人並んで花を植えながら雅が尋ねると「運動もしなきゃいけないからさ」と頬を掻きながら笑った。

 しかし彼女はその手をはたと止め、少しだけ俯いた。自嘲的な微笑みが貼り付いていた。

「…だけど、卒業はできなさそうなんだぁ」

「え?」

眉をへの字にして笑う。土で汚れた指で掻くから、真っ白な頬が汚れていた。

「出席日数足りないし、私馬鹿だからさぁ」

かくりと首を傾け、声が萎む。

「あーでも、学校はやめないよ?ここ辞めちゃうと、もうどこにも行けなくなっちゃうからさ」

どうしてどこかに行きたいのか、そんな疑問が雅の中にふと浮かんだが、黙って飲み込んだ。

 誰でも、成長したい、という思いはそれぞれ大小あれど持ち合わせるものであろう。

 しかし陽音はなにかに囚われてしまうとでも言うような口ぶりだった。

 何と言うか思い悩んでいた雅はやっとこさ小さな声で「俺がいるじゃん」と呟いた。

 雅が陽音を見ると、顔を真っ赤にして目を瞠っていた。

「あ、あぁ〜そぉだね!じゃあもう先輩じゃないや!」

わざとらしく伸びをした陽音は、にこっと雅に笑いかけた。

「いや、でもせんぱ―」

言いかけた雅を抑えるように、陽音は唇に指をあてる。

「距離感じるじゃん!雅」

心臓の音が耳に響き、彼は目をそらした。

「え、と…赤坂」

「何故に名字!?」

ぷっと噴き出した陽音をじとっと睨んだ雅は耳まで赤くなって「…はるね」とたどたどしく言った。

 言われてみて恥ずかしくなったのか、陽音も頬を掻きながら目を逸らす。

 やけに暖かく、気まずい空気が流れる。

「っだぁぁぁ!あいつらは何してんだよぉ」

遠くでむず痒そうに身をよじる男がひとり。

 どうやら女関係に緩い竹井には、二人の掛け合いは奥手過ぎたらしい。

 教室の端っこで窓にかぶりつきながら二人の恋路を見守る彼は、案外少女漫画好きなのかもしれない。


 そうして雅に関わる上で流れから園芸を手伝い始めた陽音はその奥深さにすっかりのめり込み、どうせ半年ほどで引退になるというのに、園芸部に入部したのだった。

 また雅のほうも陽音が入部したことで触発されたのか、サボり気味だった早朝の水やりを欠かさずするようになった。高校から歩いて5分ほどのマンションに住んでいる陽音と違い、片道1時間近くかかる雅は朝4時起きがザラになっていった。

 眠気を感じないわけではなかったが、花を愛でる陽音を見ていると、眠いとかそんなの気にならなかった。

 陽音のほうも毎朝早起きするために、早寝になったため、多少健康になっていった。また土いじり等々で食べる量も増え、痩けていた頬には肉が付き、血色もよくなった。それを陽音は「太る」と感じたのか、肉付きのよくなった頬を両手でブニィと挟んでは「このままじゃほっぺが肉まんになっちゃうよぉ」と嘆いた。

 そして雅が「ほっぺの肉まんかわいいじゃん」とふざけ調子で返すと、陽音がぷんぷん怒りながら「肉まん!否定しなさい!」と言う。そこから二人でケラケラ笑いあう。

 彼らは近年稀に見る、反吐が出るほど純粋な付き合いをしていた。


 そんな彼らの周りには、やはり異質な優しさが、ゆっくりと蜷局を巻いていた。


 目を瞑って笑っている間に春が来て、あっという間に卒業式になった。

 雅の席からちょうど人の間を縫ったところの先生席に陽音が座っていた。

 拳を膝の上で握りしめて、キッと前を見つめていた。その彼女の悔しさと悲しさが入り混じった瞳を見ながら、雅はふと決意した。

(せめて、せめて陽音が)

分厚いカーテンの隙間から、薄い日が差し込んだ。

(我慢せず泣ける壁でありたい)


 無理して、笑わないように――。



 春休みに入ってしばらく、二人は互いに連絡をとらなかった。長期休みを邪魔したくないという遠慮が、それぞれを携帯から突き放していた。

「俺と出かけませんか」削除

「突然ごめんなさい」削除

「調子はどうですか」削除

はじめの一歩をどう出したらいいものかと思いあぐねている雅のスマホの画面に、軽やかな通知音とともに吹き出しが現れた。

「雅くん、私とお出かけしませんか」次いで「お休み中ごめんねm(_ _;)m」

 それを見た雅はさっきとは打って変わってすぐに「オケです。いつ空いてますか」と返信した。

 それから、なんだか気まずい敬語のやり取りを済ませた二人は、一週間後カラオケに行くことにした。


 さて当日、約束の一時間前から待ち合わせ場所に待機していた雅はそわそわと周りを見ていた。

 往来する人々皆、オシャレでキラキラしていた。これでも考えて来たのだが、そのきらびやかさに圧倒されてばかりだった。

 日々陽音の可愛さが増している気がする雅は、その彼女の隣に立って遜色ない自分でいたかった。

 実は雅もそれなりに目鼻立ちは整っていたが、あまり恋愛に積極的でなかったため、女子らに注目されることなど一度もなかった。その経験不足が今、彼に必要以上に周りを気にさせているのである。

 彼がせわしなく目玉を動かしていると、駅のほうから駆けてくる少女に気づいた。

 濡れ羽色の髪の編み込みハーフアップを白い蝶々の髪留めでまとめ、小花柄のフレアスカート、ヒールの高いサンダルに七分袖の白シャツを身に着けていた。

 そこいらを歩いている女の子たちとさして変わらなかった。彼女らよりいくらかメイクが薄く、肌が白く、足が細いくらいだ。

 けれど、雅の目に彼女は輝いて見えた。

「ごめんっ!遅れた!」

ぜぇぜぇ肩で息をしながら頭を下げる陽音に申し訳なさそうに雅が手を振る。

「いやっ!俺が早く来ちゃっただけだし!」

「え?」

彼女が顔をあげて確認すると、その時計の針は待ち合わせ時刻の180度反対にあった。

「あ、ほんとだ。はやいね」

状態をあげ、耳に髪をかけながら微笑む。うっすらと額に汗が光り、綺麗に巻かれたのであろう髪が乱れていた。

「・・・焦らせちゃった。ごめん」

顔を赤くしてうつむく雅に陽音は困ったように笑った。右頬を掻く。

「や、いいのいいの。さ、カラオケ行こ?早く来た分多く歌えるよー」

そっと雅の手を引きつつ進む陽音を見上げ、彼は唇を噛んだ。

 なんとも形容しがたい感情が、彼の中を甘く満たしていた。


 彼らのわくわくデートのお話は、どうぞご自由にご想像くださいませ。

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