第30話 闇の真骨頂 ~いつつめ~


「ファビアーっ?!」


 貴族用の地下牢を渡り歩きつつ、トリシアはある一室に国王夫妻を隠すことにした。そこは奥まった牢のさらに奥。どうやら要人のための牢みたいである。

 入口は三重。重厚な格子と重い扉。その先の通路を経て、ようよう辿り着く一室だ。


「ここなら安全そうですわ。両陛下はここに御隠れください。わたくしは妹を探さねばならないので」


 このままでは何が起きるか分らない。正直、国王達を連れ歩くのは邪魔でしかなかった。

 だが、ファビアの魅了から醒め、王宮の異変を目の当たりにした国王は、神殿騎士を置いていけと喚き立てる。


「わっ、わしがあらねば、この国が終わるっ! そなたら騎士が守るべきは国の重鎮であろうがっ!!」


「我々は神に誓いをたてた神殿騎士です。守るべきは無辜の民であり、聖域を維持し人々を癒やす神官や巫女であります。聖女様をさしおいて、誰が貴方などにっ!」


「……陛下。いい加減になさいませ」


 眼を剥いて騎士の腕に掴みかかる国王と、それを唾棄するような眼差しで見つめる王妃。二人の妙な温度差にトリシアは首を傾げた。


「王妃様…… なにかございましたか?」


 純真無垢なトリシアな顔。途端に言い知れぬ怒気を帯び、王妃が般若のごとく彼女を睨めつける。


「聞いたわよ、王太子から。貴女、私達を騙していたのですってね? あの御茶会の時、アルフォンソは国王に殺されたと嘆いていたのでしょう?」


 瞬間、トリシアの表情が硬質さを増した。

 王妃は沸き上がる憤りを上手く隠し、それでも抑えきれない怒りの滲む嘆息を扇の下で震わせる。


「分からなくもないわ。王家に確執を与えたくなかったのよね。自分さえ黙っていればと、当たり障りない言葉に変えたのでしょう。でもね……」


 微かな涙を烟らせ、王妃はトリシアから眼を逸らした。そこにあるは、ただの無力な母親。


「……最後の恨み言くらい聞いてやりたかったじゃない? あの子の気持ちに添えはしなくとも、それを分かつことくらいは出来たはずよ?」


 悔し、哀し、我が子の無念。彼は何も悪くなかった。ただ、聖女の妹に恋しただけなのに。その結果は若い身空を散らすに終わった。

 それだけに飽き足らず、可愛い息子の魂は浮かばれないまま現世を彷徨っている。ファビアという稀有なパートナーが支えてくれておらねば、今頃悪霊になっていても可怪しくないアルフォンソ。

 切なげに眉を寄せる王妃に比べ、未だ神殿騎士に張り付いて離れない国王が、トリシアにはやけに滑稽に見えた。

 同じ親という生き物なのに、なんと違うことかと。


「……申し訳ありません。あの時は、王家に確執を生ませないようとしか。……正直、わたくしは死人の未練よりも、遺された人の未来が大切だと思っております」


 その考えは今も変っていない。


 堅固に揺るがぬ翡翠色の瞳。


 その静かに凪いだ瞳を見て、王妃も力なく頷いた。


「分かっているわ。王太子もそう言っていたしね。貴女が王家に骨肉の争いを起こさないよう配慮したのだろうと……… 正しいわ。一日前ならね」


 一日前なら………?


 妙な含みを感じさせる王妃の言葉。それに首を傾げるトリシアの視界で、王妃は騎士から国王を引き剥がしている。


「いい加減になさいませ、陛下っ!」


「ええいっ、離せっ! おお。そうだ! 聖女殿もここにおれば良いのだっ! わざわざ危険な場所へ向かう必要はない。そうすれば、騎士もここにおろう」


 厚顔無恥も極まれりな言い草だ。


 さも名案のように顔を輝かせる国王の言葉に、その場に居た者全てが、苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。

 ふてぶてしいにも程があるだろう。今の事態を引き起こした一端は、間違いなく王にあった。


 ……このクズがアルフォンソを殺しさえしなければ。


 異口同音が、今にも口から飛び出しそうなほど喉に迫り上がってくる王妃とトリシア。その脳内の思考は似て非なるものだが。


 この愚か者がアルフォンソを殺したがため、ファビアは闇に染まり禍となった。王太子や王妃も筆舌に尽くし難い罪悪感と後悔で身悶えた。

 それが呼び水となり、業の汚濁に花を咲かせてしまったのだ。禍という苛烈な毒花を。


 過去の王侯貴族達がやらかしてきた同じ轍を、今代も容赦なく踏み抜こうとしている。


 引っ張る王妃の手助けで、ようよう国王を振り払った神殿騎士は、神妙な面持ちでトリシアを振り返った。もの言いたげな色を醸すその瞳。


「分かっているわ。危険なことをするなと言うのでしょう? でもね? ファビアは、わたくしの妹なの。あの子が地獄に堕ちると言うなら、わたくしも堕ちます。それがかなわないのであれば、全力であの子を地獄から引っ張り上げてやるわよっ!!」


 むんっと気合を入れ直して国王夫妻に暇を告げるトリシア。まだ妹を探す気満々な彼女を止められる者はいない。

 虚しく牢獄に響き渡る国王の絶叫を袖にし、トリシアは騎士と神官を連れて地下から出て行った。

 それを見送る王妃の瞳が、陰惨に輝いていたとも知らずに。



「……お姉様?」


 灰塵と帰したアルフォンソの欠片を抱きしめ、一人蹲っていたファビアの耳に馴れ親しんだ声が聞こえる。それは塔の階下からしていた。

 そっと手摺の隙間を覗き込んだファビアの視界で、あちらこちらと見慣れた銀髪が波打ちながら歩き回る。慌てて追いかけていく神官や騎士を振り切る勢いで。


 ……お姉様。


 愛する少年を失ったファビアには、もはや何もかもがどうでも良い。復讐は成った。うねりを上げて押し寄せる民衆が、それを叶えてくれるだろう。

 後はこのまま劫火に焼かれるか、誰にも知られず静かに朽ち果てるか。


 ……馬鹿みたいね。


 疲れ切った笑みを浮かべ、ファビアは暖かな記憶に身を委ねた。初恋を振り切りって情を寄せたアルフォンソとの優しい思い出に。

 ……が、夢現なそれを遮る喧騒が階下から聞こえる。

 訝しげなファビアが再び下を見下ろすと、そこには王太子。そして、ファビアが惑わせ従えた貴族令息達。


 よく聞き取れないが、トリシアと何か言い争いをしているようだ。




「……来よ。もう、この国は終わりだ。私と共に落ち延びよう」


「な……っ! それでも王太子なのですかっ?! 国の有事に立ち向かいもせず、逃げるとっ?!」


 激昂するトリシアを見る王太子の眼は澱み、諦めに似た刹那的な光を滲ませている。


「……立ち向かう? なぜ? 民の怒りは正当なものだ。それだけのことを貴族らや父王はやってきた。あの碌でなしが。アルフォンソを殺し、民を虐げ、禍のつけいる隙を作ってしまった。全ては自業自得だ。……ざまあみろ」


 忌々しげに呟く王太子。それを後押しするように、ファビアの下僕らが騎士や神官らを羽交い締めにする。二人と多勢。人数差で押さえ込む彼らも、虚ろな眼差しでトリシアを凝視した。


「我らの女神に仇なすなら聖女様とて容赦はしません。彼女の望みはこの国の破滅。それこそが世界の福音。愚王を筆頭に、愚かな権力者どもなど消えてしまえば良いのです」


 うっとり恍惚とした顔で呟く多くの若者達。誰もが名のある家門の令息達だ。これだけの家が動いていたのなら、ここまで迅速にファビアの魔の手が広がったのにも頷ける。

 ひらり、ほろりと浮き沈みしつつ飛び回る青黒い蝶。

 

 ……なんてことを。ファビア、とんでもないことよ? 分かっていて?


 国家転覆。完全な反逆者と成り果てた妹は、貴族達のみならず、王太子まで味方につけているようだった。

 居並ぶ彼らの眼に燃える極寒の焔。それは辛辣に揺らめき、今の国王への反逆をトリシアにひしひしと伝えてくる。


「アルフォンソを殺した王など父ではない。……アルに何の罪があったというのだ…… 己の思惑どおりにならなかった。それだけで、私の弟は殺されたのだ。これが正しいと言えるのか? ……万一、正しいというなら、この世に神はいない。ファビア嬢の言う通りだ。神も精霊も、何もかもいらないっ!!」


 王太子の言葉に、ひゅっと息を呑むトリシア。


 魔力や魔法が蔓延するこの世界で、その根源たる尊い者らを否定するのは世界を否定するのと同義。

 思わず顔を凍りつかせるトリシアと同様に、神殿騎士や神官の全身にも悪寒が駆け抜けていった。

 彼らは神に仕える者だ。神罰や精霊の怒りを知っている。それが現実に作用する恐ろしさを。もちろん神殿で学んできたトリシアも知っていた。

 

 王太子達は知らないのだわ。遥か高みにおわす絶対者を。知識としては知っているのかもしれないけど、信じておられないのだわ。


 実際に眼にしないと人間は理解しない。その時には、もう遅いのに。


 必死の抵抗も虚しく、王太子に引きずられていくトリシア。それを塔の最上階から見送り、ファビアは蝶の風による盗み聞きをやめた。


「……お姉様。お元気で。……ふふ、望まぬ殿方と末長くお幸せにね」


 それは幸せなどではない。そうと分かっていて、王太子を唆したファビア。

 どれだけ憎んでも憎みきれない姉への情。それと相反し、どうしても嫌えない愛しい姉妹の情。だからファビアはトリシアが不幸になるよう謀った。

 恋に狂う王太子の劣情を擽り、全てが壊される前にトリシアと逃げ出すよう仕向けたのだ。唆されている自覚を持ちつつも、腐りきった王宮に彼は未練もなく、民が王家の没落を願うならくれてやると冷酷に嗤った。

 王妃も、愚王の謀で殺されるくらいならと、唯一の息子となった王太子を後押しする。もう、二度と最愛の子供を失うのは御免だと。

 ファビアに理性の箍を外され、雄の本能のみでトリシアを拐取した王太子の傍にいて、彼女の幸せは望めまい。


 ……それで良い。それだけで。


 ここに居れば、怒り狂った民らが聖女に何をするのか分らない。王家に連なる者として惨殺される可能性すらある。

 王太子にはファビアの下僕達をつけた。彼らの持つ潤沢な資産を国外に移動するようにも指示してあった。きっと逃げ延びた先で二人を守ってくれるだろう。


 ……これが精一杯よ、お姉様。


 トリシアの不幸を切実に望みつつも、最愛の姉が生き延びられるよう祈るファビア。

 矛盾にも程があろう。滑稽が過ぎると自嘲気味に嗤い、彼女はアルフォンソであった欠片に口づけを落とす。


「ごめんなさい、アルフォンソ様。……わたくし、どうしても……お姉様を殺せなかったわ」


 死人返りしたアルフォンソは、トリシアの死を口にしていた。正確には、民に与えようと。愚王や王妃。王太子共々、押し寄せてきた民に差し出して、溜飲を下げてもらおうと。

 かつての彼であれば、絶対に言わないであろう残忍なことを。

 彼は父王に殺されたのだ。愛憎の裏返しが苛烈であるのも致し方なし。ファビアは、そう思った。


 国の破滅を狙う今、本来ならそれが正しいのだろう。


 しかしそれは姉の死を意味する。散々嬲りものにされたあげく、処刑台に送られる未来しかファビアには見えなかった。

 それを思うだけでファビアの内臓が捩れる。全身が引き攣れ悲鳴を上げた。

 結果、王太子を唆すにとどめたのだ。


「愛していましたわ、お姉様。……貴女は何も悪くない。巡り合わせが悪かっただけなの。……アルフォンソ様と同じ。……お笑いよね」


 意に沿わぬ婚約から、思わぬ恋を得たトリシア。


 意に沿わぬ婚約破棄を回避したがために、死を賜ったアルフォンソ。


 禍福は糾える縄の如し。何がどう転ぶかは誰にも分らない。……しかし、結果として分かるモノもある。

 アルフォンソは愚王の悪意によって殺された。それは揺るがぬ事実だ。


「……あなただけは許さなくてよ、愚王」


 酷薄に眼を眇め、きゅっとアルフォンソの欠片を抱きしめるファビア。

 そんな彼女は気づいていない。地平線を埋め尽くすように押し寄せてきていた民の波が止まっていることに。


 歴史の裏側を識る者らが孤軍奮闘しながらも、徐々にその数を増やしていることすらも、ファビアは知らない。

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