第29話 闇の真骨頂 ~よっつめ~


「.....何が起きているの?」


『分からない..... 力が.....』


 王宮を渦巻く多くの嘆き。それが次々と浄化され、天へ上っていく。正しく弔われた死者の怨念や情念はもちろん、ファビアが集めてきた数多の哀しみすら消え失せていった。

 砕け散る青黒い蝶の欠片が、ほろほろと舞い降り彼女の中に戻ってくる。ふわりと慚愧に戦慄く蝶の成れの果て。

 それを信じられない面持ちで見つめ、ファビアは苦しげに喘ぐ最愛の少年に駆け寄った。


「アルフォンソ様っ? 大丈夫ですかっ?」


『ファビ.....ア.....っ』


 潤み悩ましい瞳を歪め、差し出された彼女の手を取ろうとした弟王子は、ファビアの目の前で灰塵に帰す。

 ざんっと音をたてて溶けるように崩れたアルフォンソの身体。一山の灰となった彼に被さるよう頽れたファビアは、冷たい灰の中に一欠片のガラス片のような結晶を見つけた。

 掌で瞬く嘆きの欠片。あの青黒い何かの空間で無数に埋まっていた欠片と同じモノ。

 

「御姉様.....っ!」


 ファビアは燃えるような眼を見開き、憎悪の涙に瞳をけぶらせた。

 

 やっと手に入れた平穏。愛する婚約者と静かに暮らせる生活が始まったばかりだったのに。

 王宮中庭に顕現させた二人の屋敷もボロボロと朽ち始め、蝶番の外れた鎧戸が今にも壊れ落ちそうに軋んでいた。キィ.....キィ.....と鳴る、心哀しい音。

 香り高く咲き誇っていた花々も萎れ、深く項垂れた植物達が音をたてて枯れていく。

 その乾いた音は花々にとどまらず、邸を囲っていた木々にも及び、剥がれる落ちる枯れ葉が静かに地面を埋めていた。

 カサカサ、パリパリと響く破滅の音色。春の陽だまりのように幸せ一杯だった風景は失われ、今の中庭はまるで焦土のごとく死と闇の気配を漂わせている。


「.....御姉様」


 その元凶が何なのか、ファビアには分かっていた。

 王宮から迸る清らかな風。ゆったりと建物を舐めるように舞い踊る温かな風。それがファビアの支配をほどいて嘆きを昇華させる。


 .....聖女か。


「.....ふふ。ふははっ! どこまでも、どこまでも貴女なのね、御姉様っ!!」


 気が違ったかのように髪を振り乱し、ファビアはよろよろとテラスへ向かった。

 そこは城の塔の最上階。はるけき彼方まで見通せる場所に立ち、ファビアは地平線を埋め尽くす業火にほくそ笑む。


「貴女に止められるかしら? 見物だわ」


 今のところトリシアの力が届く範囲は王宮のみ。ファビアの黒い蝶と薫る碧の風が鬩ぎ合い、御互いに拮抗していた。

 しかしトリシアは知らない。ファビアの黒い蝶が国中に散らばり、多くの民草を操っていることを。

 親愛を爆発させた聖女の力が徐々に増大しているとはいえ、じわじわ広がる光の風より、王都を目指して進む人々の方が速い。

 外側から上がる憎悪の火柱を鎮める術はない。王宮を駆け回るトリシアが、その現状に気づく頃、王都は壊滅状態になっているだろう。


「ふふっ、はははっ! こんな国はなくなってしまったら良いのよっ!」


 刺繍一つで初恋を失い、邪な思惑で新たな恋を失ったファビア。それもこれも、この国のしきたりや利益のためだ。

 恋情とは愚かに盲る熱病。患えば簡単には治癒せず、拗らせれば計り知れない悲劇を巻き起こすモノと相場が決まっている。


 恋する男性に一目逢いたいがため、街に火を放ち、大火事を起こしたお七のように。


 これを知らぬ異世界であっても、女は魔物なのだ。しかも彼女は闇の魔力を覚醒した禍の力を持つ。

 ファビアの引き起こした破滅は、刻一刻と国を蝕み、煽り、人々の憎悪厭悪を増幅させた。

 今ではそれぞれが自ら生み出した黒い蝶に操られている。


 泣き笑いしながら、けたたましい笑い声をあげるファビアも知らない。

 アルフォンソという依り代を失った精霊王が苦みきった顔で呻き、屑折れていたことを。




《ぐあ.....っ、なぜだ? なぜ、感応が途切れたのだ?》


 アルフォンソの魂を操り、ファビアを唆していた精霊王。

 甘やかな睦言を繰り返して、彼女を至福に浸らせ、トリシアや王太子らを騙していた。

 愉しく遊戯に興じていた精霊王を跳ね返したのはトリシアの力。

 それを自覚して、彼は心底驚いた顔をする。


《どうして.....? アレに与えた力は、我の光の力だ。我が拒まれるはずはない》


 何が起きている.....?


 愕然とうつむく精霊王。


 それを空から眺めて、神々は、うっそりと笑った。


《アレらは、やり過ぎた》


《さなり。精霊も人間も、我が世界に生きとし生けるもの全てが平等なのだと知りもせず、知ろうともせず》


《裁定として与えた力が大きすぎたのだ。だがまあ、人間らが、どうにかするだろうて》


《させねばな。全ては世の倣い。一強の世界に未来はない》


 静かに神々が見下ろす中、困惑する精霊王を余所に、知ろうと努力した者らが動き出す。




「来ましたっ! とんでもない数ですっ!」


 遠眼鏡で王都付近を警戒していた斥候が足早に戻ってきた。

 その斥候の前に立つ人物は神妙に頷き、背後に居並ぶ騎士や兵士らに号令をかける。


「必ず止めろっ! 時間を稼ぐだけで良いっ!! 奴らに王都の土を踏ませるなっ!!」


 燃え立つ銀髪が波打ち、極寒の光を宿す白群色の瞳。


 人呼んで『氷の騎士』様と呼称される人物は、妻の家系に伝わる伝聞を知っていた。そして信じてもいる。

 神殿の協力を仰ぎ、解析していた古代の文献。その進捗も確認しており、今代の聖女が生まれてからこちら、ずっと各地を警戒させていた。

 

 .....禍が生まれることを危惧して。


 まさか、目の当たりにするとはな。恐ろしいものだ。


 王都に不穏な空気が拡がり、黒い蝶が飛び回るのを見た彼は、息子であるラウールが気づくより速く行動する。

 同じ魔力を持っている親子だ。ラウールが視認していた禍の前兆は男爵にも見える。

 そして妻と相談し、神殿にも報せ、来るべき事態に備えていた。

 ここを騎士達で押さえねば、過去の逸話どおり国が倒れるのだろう。多くの人々を道連れにし、混濁の世が訪れるに違いない。


 .....そんなことはさせるものか。この時代に生を受けたことを神々に感謝しよう。


 彼の脳裏に愛しい妻の面影が浮かぶ。その横には可愛い息子の姿。

 まだまだやんちゃで未熟だが、騎士としての気概の片鱗を見せる頼もしい息子。


 これを護るために我が身はある。御大層な名目など必要はない。全ては自己満足のためだ。


 真の我が儘者は世界を救う。


「我々の背には王国の未来がかかっておるっ! 家族や子供ら、その先に生まれる後の子弟らの未来もなっ! 心してかかれっ!!」


 応っ!! と雄叫びをあげる王国軍。


 人とは道なき道より、無意識に設えられた道を通るもの。

 王国周辺の大きな公道を選んで、それぞれ二個師団ほどが配備されていた。道を外れて王都を目指す輩もいるだろうが、そういった野良は各地の兵士で対応出来よう。

 止めるべきは公道を進む大軍ども。大地を埋め尽くすかのような人々を忌々しげに見据え、男爵は奥歯を噛み締めた。


 アレらは操られているだけ。嘆きや憎悪を煽られ進む烏合の衆。

 本来、護るべき対象である民に弓を引かねばならない不条理に、男爵だけでなく王国軍全てが歯噛みしていた。


「禍って奴は、本当に手に負えないですね」


「彼等に罪はないのに..... 人の悪意なんて、どこにでも転がっているありふれた話じゃないですか。それを殺意にまで倍増するとか。悪魔の所業だ」


 そう。世に不満の種は尽きない。愚痴も溢すし、悪態だってつく。そんな他愛ない日常を惨劇に変貌させる禍の恐ろしさ。

 怒りのあまり、殺してやりたいと考えてしまうことは、誰だって一度や二度あるだろう。それを実際にやらせてしまうのが禍だ。

 人間から理性を奪い、思考力を曖昧にし、負の感情だけを増幅する。


 古代の文献の解読が進むにつれ如実になった過去の悲劇の裏側。それらは王国軍にも共有されており、あの民らが王都を壊滅させるために押し寄せて来ていると分かっていても、微かな憐憫を兵士達は抱いてしまう。

 

「.....最後にしよう」


 ほろりと呟かれた低い言葉。


「これが最後になるよう、我らが負の連鎖を断ち切ろうっ!」


 高々と剣を掲げた男爵の咆哮が王都端で轟いていた頃。


 王宮周囲にも変化があった。


「あれは?」


 何気に窓から階下を見下ろしたトリシアは、城壁に灯る篝火に首を傾げる。


「ああ、来たのですね。たぶん、神殿の者達です。今回は予め準備がされていたので」


 準備?


 共にある神官や護衛らの説明を聞きながら、彼女は不思議そうに外を見つめる。


 過去と現在が交わり、歴史の裏側を知った人間達。

 

 それぞれが思うなか最良の未来を勝ち取るため、人類の反撃の戦いが始まった。

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