第27話 闇の真骨頂 ~ふたつめ~
《また一つ.....》
誰も訪れぬ灰色の空間。
そこに佇む青黒い何か。いわずと知れた闇の精霊は、ある人物の嘆きを見守っていた。
薄闇に光る丸い檻。その中には、少女を抱いて泣き崩れる男性がいる。
『.....起きてくれ。なぁ..... 眼を開けて?』
物言わぬ少女の頬を撫で、心哀しく呟く誰か。
本来、一人ずつしか入れない檻に、二人で存在出来ているのは男性の執着。酷く乱暴された跡の残る少女は、ボロボロの衣服をまとい、蝋人形のように、どろりと真っ白な顔をしていた。
《.....憎いか?》
言葉少なに尋ねる闇の精霊。それを耳にして、涙に濡れた顔を上げる男性。
『憎.....い。俺の最愛を..... こんなめに..... だから、壊してやった。なにもかも』
《そうだな。もう休め》
『おおぉぉ..... ぁぁ.....』
透明な丸い檻が、とぷんっと大地に呑み込まれた。
《また..... ここに嘆きが増えるのか》
闇の精霊は、何もない灰色の空間で、一人呟いた。
.....はずだったが。
「ファビアーーーっ!!」
だかだか歩き回り、妹を探すトリシア。
ふらふらと揺れ動く王宮の人々を押し退け、そこいらじゅうの扉を開けている。
「なんと..... この様子では、王宮は完全に落とされてますね」
「悪意が濃くなっています。聖女様、お気をつけを」
後ろからトリシアに声をかける神殿騎士らと新官達。
彼等は、王宮から巫女を逃がして神殿に報せるよう言付け、妹と国王陛下を探すと言うトリシアを置いていくわけにもいかず、そのままついてきてくれたのだ。
夢現で泥酔したような王宮の人々。ときおり彼女を捕まえようと、しゃっと伸びる腕をいなし、神殿騎士はトリシアを守る。
そんな彼女らを遠見鏡で見つめ、闇の精霊は言葉を失った。
《なんともはや。さすが、ファビアの姉と言ったところか》
妹の方も、ある意味規格外。代々の禍達は、悪意を蔓延させるだけで、実力行使できるのは起爆剤を受け入れてからだった。
なのにファビアは、起爆剤が破裂する前から嘆きを現実世界に権限させ、采配をふるっている。
これだけ闇に同化し、操れる者も珍しい。
そしてトリシアの方も無意識に悪意を浄化していて、彼女の通った場所の人々が正気に返っていた。
拮抗して揺るがぬ二人の力。
けど.....
トリシアの方は迫り来る悪意にまでは対処出来ていないらしい。
うねる怨嗟の黒波。じわじわと王都を囲うその数は、どんどん数を増している。
『王宮を落とせっ!』
『俺達に自由を!』
『王を殺せぇぇぇっ!!』
うおおおぉぉっと吠え叫ぶ獣の群れ。
ファビアの放った蝶が人々に止まり、悪意の燐粉を振り撒いている。
そして精霊達の操る死人が、民衆の憎悪を煽り、嘆きの火柱を上げさせていた。
王宮の異常事態しか知らないトリシアは、国中に満たされた狂気に抗えるか?
ふっと切なげな笑みを浮かべた闇の精霊。
だが、彼もまた知らない。寝物語と祖先の手記で聖女の裏側を知り、あらかじめ用意していた一族がいたことを。
「ファビアが禍に.....っ?」
愕然と顔を凍らせたカルトゥール伯爵夫妻。
彼等は、いきなりやってきたカシウスや男爵夫人から聞いた話をにわかには信じがたい。
だが、聖女の逸話はカルトゥール伯爵夫妻も知っていた。しかも今代は彼等の娘が聖女なのだ。
「わたくしも、先祖の手記の範囲でしか知りません。ただ言えるのは、聖女の血族は闇に魅入られないということ。これが間違っていないのなら、貴殿方が重要な鍵になるのです」
残されたのは古い手記だった。
その解読に五年ほどかかったが、まだ明らかになっていない部分もある。
聖女の妹の手記に記されていたのは、如何にして人々が禍に抵抗したかと言う実録の日記。
過去の悲劇を淡々と記し、彼女はその後に起きた惨劇を事細かに綴っていた。
『違うわっ! 信じてっ! わたくしは.....っ!!』
王宮から追い出され、怒れる民衆の前に立たされた聖女。
ギラつくケダモノ達の射抜くような視線にさらされ、それでも説明しようと必死に声を上げる姉。
禍の撒き散らした闇は、大方払った。あとは人々の生み出す悪意の範囲だ。これは通常のモノで、禍とはいえない。
地下に閉じ込められた王太子には結界が張られている。もはや何も出来ない。
そう説明した彼女の腕を掴み、大柄な男が下卑た笑みで引きずっていく。彼は精霊の操る死人。
『そんなもん信じられるか。正直に言わないなら、本当のことを言わせるまでだ』
にいいぃぃ~っと歪に口角を上げ、濁った瞳が聖女を舐めるように見つめた。
聖女を連れて、汐が引くように去っていく民衆達。
それを王宮から見下ろしていた貴族らは、微かな安堵に胸を撫で下ろした。
これでしばらく時が稼げよう。その間に隣国や親密な国に連絡をつけ、援軍を送ってもらわねば。
今の王都は壊滅状態。押し寄せてきた国中の民が暴れまわり、そこいらじゅうから火の手が上がっていた。
「それも、これも、みんな.....っ!」
指先が白くなるほど手摺を握り締め、国王は禍の根元たる王太子の元へ向かう。
「.....彼女を民に? なんてことをっっ!!」
地下牢の向こうで怒り狂う王太子。それをせせら笑うかのように、国王は愉しげな顔で聖女の話を口にする。
「健気であったよ。お前を庇おうと必死に民へ説いておったわ。.....まあ、信じてもらえようもなかろうがな」
そして彼女が大男に引きずられ、雑踏の波に消えたこと。あの荒れ狂う民らに捕まったのだ。ただでは済まなかろうなとほくそ笑む父王に、王太子は言葉を失った。
こいつがいたから.....っ!!
好色で愚かな目の前の男は、毎夜女を侍らせ淫蕩に耽り、そんな自堕落を咎めた王妃を幽閉する。
それだけで飽きたらず、この男は、幽閉した王妃の元に複数の男達を送り込み辱しめたのだ。毎夜のように辱しめられ、正気を失った王妃は自害した。
隣国から嫁いだ王妃に、自ら手を下すわけにいかなかった国王は、お堅く口煩い彼女を厭い、人知れず処分する口実を狙っていたのである。
王太子は、静かに壊れていく母親を救えなかった。
そして次にこの愚王は、王太子の姉に手をつけた。この国の忌まわしい習慣に、花嫁の純潔を国王が確認するというモノがある。
貴族家に嫁ぐ者は、皆国王のお手つきとなるのだ。
国王から頂けるお情けを恐悦至極と受け取れる貴族らは、この忌まわしい習慣に意義はないらしい。
しかし、姉は違った。実の父親だ。その行為のおぞましさを正しく理解していた。
結果、父王の無体で暴かれた姉も無惨に心を病んでいく。
「王家の者は慣習の例外だったはず! 何故に、こんな酷い真似をっ?!」
王家の婚姻には純潔が必須条件だ。だから、国王に連なる者は慣習から免除される。
国内の貴族家に嫁ぐ予定だったとはいえ、姉を辱しめて良い理由にはならない。
詰め寄る王太子を愉快そうに眺めつつ、国王は己の心中を吐露する。
「お前達の母親は、いたく、そなたらを可愛がっておったでな。そなたらの不遇を見て、今頃、天上で泣いておろうな」
温かさの欠片もない国王の瞳。むしろ、憎悪厭悪の渦巻く淀んだ眼。
それを見て、王太子は理解した。父王は、自ら死に至らしめた王妃を言葉に尽くせぬほど憎んでいたのだと。
.....意趣返し。
彼は憮然と父親を見つめるしかなかった。
そんな夜。王太子は灰色の空間の夢を見る。
そこには死んだはずの王妃がおり、切々と国王への恨みを息子に訴えた。
『わたくしは王妃として、やるべきことをやっていたに過ぎないのに..... あのように淫蕩に耽る愚かな真似ばかりをしていたら、王宮は腐ります。民が苦しみます。そなたなら、解ってくれますね?』
『もちろんです、母上。なのに父王は.....』
『あの男は、わたくしを.....』
自分の取り巻きらに与えて、その淫らな拷問を酒を呑みつつ鑑賞していたのだ。
.....獣にも悖る行為。
灰色の空間で抱き締め合い、国王への復讐を誓い合う母子。沸々と沸き上がる憎悪を溜め込みつつ、王太子の不遇は続いた。
それを見た闇の精霊は、再び繰り返される惨劇の幕上げを知る。
だが、そんなことを知りもしない国王は、亡くなった王妃への嫌悪をその子供らへとスライドさせた。陰湿に、執拗に、微に入り細を穿ち、王太子達を虐待していく。
王妃の子供らを虐げ、遊興に耽る父王の取り巻きや王宮の人々。
中には顔をしかめ、王太子らを心配する心ある者もいたが、そんな彼等にも何も出来ない。国王とは、そういう権力を持つ者だ。
王太子の中で、着々と育っていく禍の種。狂喜乱舞する青黒い蝶。
それが芽吹いたのは、彼自身が国王の魔の手に暴かれそうになった時。
淫猥な指先が王太子の素肌に触れた瞬間、彼は心の闇を爆発させた。
滅べっ! こんな男を王と崇める国など、滅んでしまえ!!
彼の感情にシンクロし、膿むように溜め込まれていた青黒い蝶々が、悦び勇んで大空へ羽ばたいていく。
奇声をあげるかのように乱舞し、燐粉を撒き散らす禍々しい蝶。その煌めきは人々の心の闇を抉り出し、灰色の空間に埋められた死人を甦らせる。
こうして闇に呑まれた人々が狂気に陥り、国中で暴れ回ったあげく、王都は壊滅状態となったのだ。
さらに悲劇は続く。
国王から婚約者の危機を知らされた王太子は、持てる力の全てを使い、蝶々らに彼女を探させた。
神聖な結界に阻まれ、邪な力は使えないが、誰かを案じる純粋な気持ちを精霊は阻まない。
あとは御察しだ。
民によってリンチのような拷問の果てに虫の息な聖女を見つけ、王太子の心は壊れた。
真っ黒に染まり、雄叫びを上げた彼は爆発し、その命を賭して呪いを放つ。
滅せよ。この世界全てを滅せよと。
さらに、聖女を殺された精霊達も大義名分を得て顕現する。
《我らの与え賜うた聖女に、なんたる仕打ち。愚かな..... 後悔せよっ!!》
暗雲蠢く大空から降りかかる荘厳な声。
うねる雲海に恐れ戦き、人々は逃げ惑う。
空は繋がり、地を越え、海を越え、精霊達は世界の隅々まで王太子の呪いを届けた。
「聖女の死が精霊らを怒らせた? なんと愚かなっ!」
ある国の誰かが絶叫する。
「こんなことになるなら、聖女など要らないっ! まるで厄災ではないかっ!!」
ある国の者は絶望に頽れる。
禍の呪いと精霊達の遊戯によって、世界は丁寧に舐め回され、何年にも渡る執拗な蹂躙が長く人々を嘆げかせた。
「もう御許しください、お助けくださいぃぃ」
悲痛な祈りが世界を席巻し、ようよう満足した精霊らによって、人間に安息がもたらされる。
《今回も愉しかったね》
《あの恐怖に満ちた顔っ! 馬鹿みたいだなあ、自分達が犯した罪だろうに》
《祈りも真摯に変わった。しばらくは極上の祈りを堪能できるな》
天上界で精霊達が御満悦な頃。
件の愚王は、変わり果てた王太子によって指先から丁寧に削られ、その心臓を止めるのも許されず、長々と地獄の苦役に悶絶している。
その光景を静かに見守り、闇の精霊は王太子へ声をかけた。
《.....満足?》
『まだ..... もっと.....』
ふらりと立ち上がり、胡乱げな眼差しで呟く彼に頷き、闇の精霊が、パチンっと指をならす。
すると細切れにされ息耐えたはずの愚王が甦り、信じられない面持ちで辺りを見渡していた。
『わしは、今度こそ死ねたのでは.....? またっ? ぎゃああぁぁっっ!!』
耳障りな絶叫に、トロリと眼を細めつつ、王太子だった生き物は、再び、嬉しそうに愚王を削っていた。
もう、幾星霜も繰り返される惨殺の宴。彼が満足する日は来るのだろうか。
そして飽きたあたりで、王太子は愛しい婚約者の亡骸を抱えて踞る。
ほたほたと涙し、永遠に嘆く彼。そんな嘆きの魂達を保管し、慰めるのが灰色の空間だった。
聖女や禍らは精霊に深く繋がる者達。通常の転生に戻れず、永遠を得てしまった者達。その魂らを安らがせ、管理するために闇の精霊はいる。
《また一つ..... ここに嘆きが増えるのか》
つきんっと胸を過る切ない想い。
しかしそんな彼は、今現在、かなり困惑している。
そこには、妹を探して彷徨うトリシアの姿。
彼女が、歴代の聖女や禍の非業を覆す未来を、今の闇の精霊は知らない。
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