第26話 闇の真骨頂


「聖女様。王太子のお召しでございます」


 扉を軽くノックしながら、宮の女性が声をかけてきた。

 だが、それを聞いた瞬間、神殿の者達が瞬間沸騰。


「何を馬鹿なっ!! お召しが出来るのは聖女様の方だっ!! 聖女様が愛し、愛されたいと望む御方を、聖女様がお召しになるのだっ!! 寝言は大概にしろっ!!」


 お召しとは隠語で閨に侍ろということ。国に囚われず神殿に所属する聖女には、どこの国の王族であろうと勝手は出来ない。

 まして閨に侍らそうなどと言語道断。

 苛立ちが隠せず武器を構えた神殿騎士らの周りで、トリシアについてきてくれた神官や巫女らが祈りを始めた。

 歌うように荘厳な調べ。それらが周囲で目に見える風となって踊り、騎士達に巻き付いていく。


「かたじけない。これなら封ぜよう」


 扉の外のざわめきが大きくなっていき、ドアノブの鍵がカチャリとあいた。ここは王宮の離宮。当然、相手はマスターキーを持っている。

 静かに開いた扉の外には、数十人の騎士と何人かの侍女が静かに立っていた。

 その人々にまとわりつく青黒い蝶を見て、思わずトリシアは息を呑む。


 .....魅入られた? こんな大勢?


 ひらり、ほろりと浮き沈みするようにひらめく蝶。それに取り憑かれたかのように、やってきた人々の顔は無表情。

 眼の焦点も合っておらず、軽く斜め下で彷徨う視線。


「王太子様のお召しです.....」


 起伏のない淡々とした口調で同じことを繰り返し、緩慢な動きの彼等は、無防備に部屋へ足を踏み入れた。

 .....と突然、火花が上がり、踏み込んできた人々を弾き返す。

 

 何が起きて.....?


 瞠目するトリシアの周りで、さらに声高に祈る神官や巫女。彼等の声に合わせて、ふわりと風が薫り、薄い緑の空気が構築されていく。


「破邪の祈りです。神殿で鍛えられたこの剣は、魔術拡散の媒体になります。祈りを集め、魔を払ったり封じたり出来るのです」


 真剣な護衛騎士の声。言われてトリシアも気がついた。薄暗かった部屋の中で仄かな光の粒が舞っていることに。

 神官や巫女の祈りが、周りの悪意を浄化しているのだ。

 だが、逆を言えば、それに弾かれた王宮の侍女や騎士らは悪意に染まっていたということ。


「.....我々に出来るのは、こういった安全地帯を構築する程度です。もし、本当に闇が胎動したのならば。.....手に終えません、一旦、神殿へ逃げましょう」


 じりじりと歩を進め、胡乱な表情の人々を睨み付ける騎士。

 それに同意しようとした時、トリシアの脳裏に王太子の顔が過った。

 目の前の不気味な雰囲気の侍女らは、トリシアに王太子のお召しだと繰り返している。つまり.....?


「ねぇ.....? 彼女達が王太子の使いなのだとしたら。王太子が闇なんじゃ? .....神殿で習った禍?」


 限界まで眼を見開き、突然の異常事態で困惑していた騎士らも、ようよう彼女の思考に追い付く。

 そうだ、乱入者しか眼に入っていなかったが、これが王太子の命令であるのなら元凶は王太子本人。禍と見て間違いないだろう。

 そう思いいたり、神妙な顔をする神殿騎士達。


 しかしトリシアは知っている。ここで乱舞する青黒い蝶の飼い主を。その飼い主たるファビアが王宮に連行されたことも。


 .....王太子が取り込まれたかしら? .....だとしたら。


 王宮は落ちたも同然である。


 チラチラ見え隠れする艶やかな妹の姿。


 悲痛に眉を寄せて、途方に暮れるトリシア。


 そんな彼女の知らぬところで、禍は牙を剥く。




「あああ、あんたぁっ!! 生きてっ?!」


 ある農村で死人が甦った。


 この村は以前、領主の不興を買い、大勢が処刑された村である。無慈悲に処刑斧の露と消えた者達が、生前の姿のまま甦ったのだ。

 あまりの歓喜に騒然とする村。


『苦労をかけたな。.....いや、まだ苦労の連続か? 領主は相変わらず重税を要求しているんだろう?』


 抱き締め合い御互いを確認する農夫の夫婦。心配げな夫の言葉に頷き、妻はこれまでの苦しさ辛さを語る。


『それもこれも、全て無能な特権階級がのさばっているせいだ。俺なぁ、女神様から力をもらったんだよ』


 女神様? それが夫を生き返らせてくれたのだろうか。


 不思議そうに首を傾げる妻を、うっそりと見つめ、農夫は歯茎が見えるほど盛大に笑う。見るものが見れば、悲鳴をあげるだろう、おぞましい笑み。

 だが幸か不幸か、農夫の妻は酷く歪な夫の笑みに気づかない。

 殺された者らに唆され、煽られ、貧しい人々の思考が昏く淀んでいく。

 最近の不安定な世情に戦き、領主などの特権階級の人間は王都に逃げ込んだ。飢える民を放置し、数多の涙を足蹴にして。


 .....このような理不尽が罷り通る世界など要らない。


 ぎらりと眼を剥いて己の境遇を呪う貧民たち。


 世界を呑み込む異常事態がそこここで起き、王都を取り巻く土地で、数多の業火が燃え広がる。

 周囲を囲み、みるみる中央へと向かう民の群れ。その顔に浮かぶのは不倶戴天のごとき憎悪厭悪。


『倒すんだ、俺達を虐げる奴らを.....』


『聖女様におすがりしよう。きっと救ってもらえる』


『王など要らない。根絶やしにして、俺達の王を戴こう.....』


『俺は殺された。そのうち家族も殺される..... あいつらを殺さないと、俺達の暮らしは変わらない』


 呪いのごとく呟かれる特権階級への呪詛。それを耳にして同じことを呟く民達。


 ぶつぶつと呪詛を繰り返して迫り来る多くの民達。ふらふらと大地で蠢く幽鬼の塊。


 王宮最上階には、そんな情景を遠目に確認して、ほくそ笑む麗人がいた。云わずと知れたファビアだ。

 まだまだ地平線あたりではあるが、間違いなく周囲を囲う怨嗟の波。


『もうすぐだね』


「そうね。国王は事態に怯えて自室から出てこないらしくてよ?」


 クスクス嗤うファビアとアルフォンソ。


 彼女は王宮中庭に、例の空間を顕現させていた。彼女が創った二人の愛の巣。

 とうとうファビアは灰色の空間を現世に顕現させることに成功したのだ。ついでとまでに、他の嘆きも復活させる。

 あの空間には多くの嘆きの欠片が存在していたから。




『これが死者なの?』


 地面に埋もれるよう散らばっていたガラス片のようなモノ。それが潰えた嘆きの成れの果てなのだと青黒い何かに説明され、ファビアは背筋を凍らせる。

 もし彼女が訪れなくば、アルフォンソも、こんな姿になっていたのだろう。


 良かったわ、間に合って.....


 心底安堵しつつ、ファビアはひらめいた。この嘆き達も顕現させてやろうと。


 にたりと優美に微笑む彼女の瞳には、国王に対しての怨み骨髄な焔がチラチラ揺れている。

 それを眼の端に入れ、闇の精霊は心の中だけで嘆息した。


 .....ほんと。優秀過ぎるよ、君。精霊界はお祭り騒ぎだ。


 アルフォンソを操る精霊王同様、他の死人も精霊達が操っていた。死者の記憶をトレースし、周囲の憎悪を煽り立てて扇動する。


 そして怖いのは、この国で起きていることが世界中に飛び火するということ。

 ファビアは一国分の闇の力と人間を手に入れた。これが世界を舐め回し席巻する未来も確定していた。

 惑うた過去、揺れ動いた現在、王宮を呑み込んだことで決められてしまった未来。


 .....あとは起爆剤を投入するだけ。


 トリシアを愛し、憎悪し、それでも嫌えないファビア。

 姉が不幸になれば良いと思いつつも、それを心から恐れるジレンマ。

 そこを精霊達は深々と抉る。王太子を唆してトリシアの不幸を願うファビアだが、それを遥かに上回る悲劇がトリシアを襲ったとしたら、彼女はどうなるだろう。


 喜ぶか? 嘆くか? 絶望に打ちひしがれるか?


 なんとなく気になった闇の精霊は、掌に小さな遠見鏡を造り、トリシアの今を覗き込んだ。


 そして絶句する。


 きっと今の現状に狼狽え、オロオロしているか、でなきゃ騎士達に王太子の元へ連行されているかと思いきや.....


 彼女はズンズンと王宮通路を突き進んでいたのだ。


「おどきなさいっ!! ファビアはどこにいるのっ?!」


 オロオロしているのは神殿騎士や神官達。彼等は地下へと駆けていくトリシアを必死の面持ちで追いかけていた。


「ファビアーっ! 御姉様よっ! どこなのっ?!」


 .....うっそだろう?


 思わず固唾を呑み込み、遠見鏡を凝視してしまう闇の精霊。

 その彼の背後で、ふとファビアが顔を上げた。


『どうしたの?』


「いえ..... なんか、呼ばれた気がして」


 不可思議そうにアルフォンソへ答える少女。そんな彼女の呟きに、闇の精霊は、ビンゴ、と心の中だけで返事をした。

 そして彼は不気味な予感を背筋に巡らせる。ちりちりとうなじまで這い回る妙な予感。


 .....何かが、おかしい。世界は壊滅に向かっている。それは確かなのに、胸のざわめきが止まらない。


 恐ろしいモノでも見るような眼差しで遠見鏡を見つめる闇の精霊。

 その中では、相変わらずトリシアがファビアを探していた。


「ファビアーーーっ!!」


 寄せては返す波のように、どんな不遇もはね除けるトリシア。降りかかる火の粉は全力で迎え撃つ彼女の真骨頂を、今は誰も知らない。

 

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