第25話 ほつれる史実


「.....という訳で。これを外部に漏らすわけにもいかず、御相談に乗っていただけたらと」


「...............」


 ここはラウールの自宅。


 男爵夫人たる養母を前に、少年は辿々しく今の状況を伝えた。もちろん、極秘にしてくれと頼み込んで。


「.....これは。御父様に相談すべき事案でなくて?」


 それは少年にも分かっていた。だが、父たる男爵は生粋の騎士だ。周囲から『氷の騎士』と呼ばれる冷徹な。

 極秘にしてくれと頼んだところで、彼の御仁は王家や国にかかわることならば、そんな頼みは一刀両断にするだろう。

 そう呟く息子を愉快そうに見つめる夫人。

 子供なりに、けっこう良く見ている。男爵たる夫は、そういうタイプだ。


「まあねぇ。でも相手は得体の知れない何かなのでしょう? 大人の力を借りるべきだと思うわ」


「それは..... そうですが。すでに王家が動いており、ファビア嬢が連行されたと」


 カシウスの手紙にあった。王太子が元々ファビア嬢の疑いを持っており、暗部を動かしていたと。我々の児戯は彼等に筒抜けだったのだ。

 思わず奥歯を噛み締めて、そのように説明するラウール。

 しかし次の瞬間、男爵夫人が立ち上がった。その顔に浮かぶ明らかな動揺。


「不味いかもしれないわ。すぐにカシウス様と共にカルトゥール伯爵家へ向かいますっ!」


 真摯な面持ちで声を荒らげる養母を見て、ラウールは不可思議な悪寒を背筋に感じた。




「ラウールっ!!」


 連絡を受けてやってきたカシウスは、乗馬服姿な男爵夫人に眼を丸くする。凛と佇む勇ましい女性。ただの乗馬服なはずなのに、まるで鎧でも着ているかのような迫力を感じた。


「夜会で御会いしたわね。お久しぶり、ランカスター侯爵令息」


 優美な笑みを湛える夫人とラウールを交互に見て狼狽えるカシウス。その肩を軽く叩き、男爵夫人は急かすように二人を馬車へ押し込んだ。

 カルトゥール伯爵家へ馬車を向かわせながら、夫人は、自分が予想したことをかいつまんで二人に説明する。


「一連の騒動がその御令嬢によるモノだとすれば、その御令嬢は過去の聖女の話に出てくる闇だわ。貴殿方も知っているわね?」


 神妙に頷く二人。


 歴史に記された聖女の活躍。あらゆる禍に対峙して、その全てを払ってきたという輝かしい偉業。それを讃えぬ者はいない。

 だが、世界には、聖女が禍を呼ぶのだとして忌避する国もあるという。救われておいて、なんたる不遜なことか。

 そう憤慨する少年らに眼を細め、男爵夫人は小さく頷いた。


「そのとおり。でも、聖女がその後、どうなったか知っている?」


「.....神殿で暮らされたのでは?」


「そういえば..... 聞いたことがないかも」


 素直な疑問を浮かべて首をかしげる二人。華々しい偉業に隠され、誰も聖女らのその後が意図的に隠されているとは気づいていなかった。

 彼等も同じだろう。そう小さく嘆息し、夫人は歴史に埋もれ風化した史実を語る。


「歴代の聖女はね。一人残らず民衆に殺されたのよ」


 あり得ぬ事実を耳にし、ラウールとカシウスは凍りついた。




「なんで.....? そんな馬鹿なっ! 禍を払い、民を救ったのでしょう?」


「そう。でもね、根底を覆された特権階級は、大きな被害から人々の眼を逸らさせる必要があったの。でないと、絶望に陥った民の憎悪が自分達に向いてしまうから。そして.....」


 一旦言葉を切り、夫人は固唾を呑んで自分を凝視する二人を見つめた。


「.....歴代の聖女は、禍を払う振りをしていたの。.....禍は、大抵、聖女の大事な人が起こしていたから」


 そう。これが真実。


 禍となるのは、聖女に近しい者らばかり。家族や恋人、親密な友人など。

 禍を完全に滅するには、その対象たる人間の息の根を止めなくてはならない。.....どの聖女も、それが出来なかった。

 聖女が大まかに世界の禍を払いはしたが、その元凶が生かされていることを民が知ってしまい、結果、救ったはずの人々に裏切り者と罵られ、歴史の中の聖女は惨殺されてきた。

 特権階級どももそれに乗り、己らの身の保身に走る。


「そんな..... 気持ちは分からなくはないですが」


「愚か過ぎるっ! だいたい、元凶の禍が生かされているのに、聖女を殺してしまって、どうするんだっ!」


 眼を見開いて唸るカシウスを以外そうに眺め、男爵夫人は、その聡明さに舌を巻く。


「カシウス様の仰るとおりよ。特権階級の生け贄にされた聖女が死んだとしても、禍たる人間は生きていた。.....それこそが禍の真骨頂だったのよ」


「禍の真骨頂?」


 これい以上まだあるのかと、情けなさげに眉を下げる二人に、男爵夫人は本題を語った。


 静かな口調で言葉を紡ぐ彼女を凝視し、カシウスは考える。なぜ夫人は、歴史の裏側をこんなに詳しく知っているのか。

 彼は炯眼をすがめ、冷徹な眼差しで男爵夫人を見据えた。


 そんな三人を乗せた馬車がカルトゥール伯爵家に向かっていた頃。


 王宮でも騒ぎが起きていた。


 


「どうしたの?」


 どやどやとトリシアの部屋に駆け込んできた十数人。

 突然のことで慌てるトリシアを囲んで、神殿騎士らが身構える。その姿はやけに緊張し、真剣な面持ちのこめかみには微かな汗を浮かべていた。


「.....禍々しい気配を感じます。微々たるモノですが、妙に薄く、へばりつくように粘着質な」


 言われてもトリシアには分からない。神殿に仕えてきた経験の差か、資質の差か。多少の邪気なら無意識に払い、浄化してしまう彼女は、些細な歪みに気づかない。

 気づく前に消してしまうというのが正しいのだが、今回はそれも効いていないようだ。

 トリシアの部屋に集まったのは神殿関係者の従者らのみ。王宮につけられた他の従者達は、誰もやってこなかった。


 不気味な雰囲気に満たされた王宮。


 神殿関係者がトリシアを守るために神経を尖らせていた頃。


 カシウス達は、聖女の伝説の裏側を知る。




「聖女は禍を破裂させるための起爆剤?」


「.....そう。わたくしも祖母から寝物語に聞いただけなのだけど」


 男爵夫人は先代の聖女の系譜に並ぶ者だったのだ。

 彼女の祖母の話によると、当時の聖女は双子の姉妹で、妹と共に神殿で学んでいたのだという。歴代の聖女のことを。

 もちろん、闇の裏側にあたる部分ではなく、全うに継がれる聖女の歴史だ。

 しかし、その聖女が対峙した禍は、当時の王太子だった。仲の良い幼馴染みで婚約者だった王太子を聖女は殺せない。禍なのだと分かっていても、彼から邪気を払った聖女は、国王らと相談して王宮地下の貴族牢へ閉じ込めた。

 だが過去の馬鹿な特権階級ら同様、当時の王宮関係者も聖女を民の憂さ晴らしな生け贄に捧げ、嬲り殺しにさせる。結末.....


「それを知った王太子が壊れたらしいの」


 彼の心情がどういったモノだったのかは分からない。なぜに闇堕ちしたのかも。

 しかし王太子は、最愛の女性を失ったことで怒り狂い、世界を禍で満たしたのだ。荒れ狂う異常事態になす術もなく、世界は壊滅的被害を受けた。

 そのせいで、正しく聖女の歴代は継がれてこなかったのである。

 何しろ殆どの王侯貴族が潰え、新たな王家を興し、それぞれの国が新しい歴史を刻まなくてはならない異常事態だ。

 王宮の深部を知らぬ神殿は、表向きな情報しか得られない。そのため、歴代の聖女の活躍だけが長く記されてきたのである。


「.....民だって、聖女を惨殺したなどという悪辣な事実を語り継ぎはしないわ。誰もが口をつぐみ、墓まで持っていってしまったの」


 愕然と顔を強ばらせるカシウスとラウール。あまりに理不尽で凄惨な話だった。


「では、なぜに夫人にその話が継がれて.....」


 そこまで口にし、カシウスは直ぐ気がつく。夫人は聖女の系譜だと名乗った。

 それは、つまり.....


「そうね。わたくしは、当時の聖女の双子の妹を先祖とする者よ」


 当時、姉とともに神殿で暮らしていた妹は、姉と全てを見聞きしていたにもかかわらず、神殿にいたため後の禍から逃れられたのだ。

 邪気を払う術を持つ神殿は、代々、禍の蹂躙を退けてきていた。

 

「彼女もまた、沈黙を守ってしまったらしいわ。姉が惨殺され、王太子の暴虐に翻弄され、心身ともに衰弱していたのかも知れないわね。わたくしも、最近見つかった彼女の手記でしか詳しいことは知らないの」


 それもまだ解読の最中だ。かなり古いもので、油断するとパリパリ剥がれてしまうため、概要しか分かっていない。

 けれど.....


「寝物語に聞いてはいたのよね。聖女ではなく、お姫様と王子様の悲しい物語。我が家にずっと伝わっていた話で」


 それがあったため、発見された手記を即座に理解出来たという。


「わたしが話せるのはこのへんまでね。つまり、禍は何か怪しい力。そして聖女は、その何かを破裂させるための起爆剤。餌なのよ。だから必ず、聖女の愛する者が禍に選ばれるの」


 精霊らの謀略を知らねども、与えられた情報から、あらかたの仕組みは理解しているらしい聡明な男爵夫人。

 言葉もなく呆然とするラウールを余所に、カシウスが小刻みに震えながら陰惨な光を眼に浮かべた。


 .....愛する者? 彼女の最愛がファビアだというのか?


 歯を噛み締めつつ、嗤うような泣くような複雑な顔で、カシウスは心の底からファビアを呪う。


 ふざけるな。トリシアは私のモノだ。


 新たな邪悪の種を孕み、彼らの馬車は、一路カルトゥール伯爵家へと走っていく。

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