第24話 構築される悪意 ~頽る王太子~
「.....そなたが某かの力を持っているのは判明しているのだ。それも、人を破滅に導く力をな」
物言わず静かに佇むファビア。そんな彼女を見つめながら、王太子は人払いをする。
しばし逡巡した騎士らだが、ここは王宮地下の貴族牢だ。彼女は枷に繋がれているし、万一の事態もあるまいと、王太子の命令に従った。
それを見て微笑み、ファビアは初めて口を開く。
「王太子様は何をお望みですか?」
ふくりと弧を描く美しい瞳。それを興味もなさげに一瞥して、彼は本題を切り出した。
「そういうのは良い。色事など食傷気味だ。それで? そなたは何を思い貴族らを破滅させているのだ?」
上流階級のみを案じる口調の王太子。それに薄ら笑いを浮かべ、ファビアは唾棄するかのように目の前の彼を見つめる。
「貴族ね..... 貴方は御存知ないのかしら? 多くの民が貧困に喘いでいることを。その火種が着実に育っていることにも」
不審げに眉を寄せて、王太子は話を促す。
そこで白日とされるファビアの企み。
「民らは、その日の糧にも飢えているわ。貴族達の重税に喘いでいるの。.....だから、わたくしは彼等を助けるために貴族家を陥れたのよ」
でも、それが罪になって?
そう淡く微笑む少女。
実際、そのとおりである。彼女に問えるべき罪はない。
如何に巧みに貴族らを操り、唆したとしても、それをしたという証拠もないし証明も出来ない。貴族である彼女を罰するには根拠が薄すぎる。
さらには、被害にあっただろう貴族男性らを問い詰めた処、知らぬ存ぜぬの一点張り。ファビアのファの字すら出ない始末。
『至高の女神に出逢え、お仕え出来る誉れを頂き、恐悦至極。我が君のためであれば、拙い我が身を捧げる所存』
うっとりと宙を凝視する男性に、王太子は背筋を凍りつかせた。
誰もが万事この調子で話にならず、かといって人々に禍を撒き散らししていると確定出来る人物を放置も出来ず、彼はファビアの捕縛に踏み切ったのだ。
「.....そたなの身体に聞くことも可能だぞ? 地下には専門の拷問官が揃い踏みだ。如何に身体を傷つけず、心を挫くか知り尽くした者達がな」
拷問したとしても、眼に見えた傷がなくば大騒ぎにはならない。ファビアのやらかしと同じだ。証拠がなくば追求出来ない。
傷がついたとしても魔法で癒せば済む話。水責めや石積みなど、身体に傷がつかない方法も幾らでもある。
「乙女として耐え難い恥辱もな..... させて欲しくはないんだが、言わぬとあらば強行せねばならん」
うっそりと眼を細め、冷酷に囁く王太子。だが、そんなもの鼻にもかけず、ファビアは然も愉しそうに声を上げて笑った。
「なさりたいなら勝手になされば宜しいでしょう? わたくし、貴方に紳士的な行動など期待しておりませんもの」
あはは、うふふと笑う彼女を呆然と眺めていた王太子は、次の瞬間、憤怒で顔を赤らめる。
そういったことを平気で行う人間だと。そんな下劣な人間に期待などしていないと。そのように言われた気がしたのだ。
しないとは言わないが、王太子とて好きでやってはいない。それ相応の理由があってする決断だ。その懊悩を軽んじられた気がして、彼は大きな音をたてて立ち上がった。
「私を愚弄なさるか、ファビア嬢.....」
王太子は怒りに頭が沸騰する。アルフォンソが愛した女性だ。無体なことなどしたくはない。だから長く監視だけしかしてこなかったし、捕縛だって断腸の思いで下した命令だ。
なのに、この御令嬢は.....っ!!
両手をテーブルに着いて、ファビアに獰猛な睨みを利かせる王太子。だが、ファビアは座ったまま彼の胸ぐらを掴み、己の前まで引き寄せると、吐息のように熱く蕩けた声で囁いた。
「.....わたくしが知らないとでも思っておられますの? 御姉様に懸想する哀れな王子様?」
舐めるような囁きを耳にして、怒りで赤らんでいた王太子の顔から、一気に色が抜ける。
「.....なぜ?」
「分からないわけないじゃない。.....同じ経験があるのだもの」
蠱惑的に輝くファビアの眼。それに大きく固唾を呑み、王太子はがくりと椅子に頽れる。
彼の瞳に滲む強烈な欲望。姉妹と席を共にするたび、そんな溶けるような眼差しをトリシアに向けていたのだ。気づかぬ者が鈍感としかいえない。
カシウスも察していただろう。アルフォンソ様は多分気づいていない。彼はファビアしか見ていなかったから。
初恋を失い、苦渋に満ちていた幼いファビア。
あの頃のわたくしも、似たような眼差しをしていたのでしょうね。
そんな追憶の記憶を振り返り、彼女は項垂れる王太子殿下に憐憫を抱いた。
「.....わたくしばかり不幸なのは、おかしくなくて? 御姉様だって、意に沿わぬ境遇になっても良いはずだわ」
暗に唆すファビアの声音。
「王太子なら無体も働けましょう? 貴方のお情けを賜れるなんて、むしろ誉れじゃない? .....カシウス様に獲られても良いかしら?」
じわりと染み入る闇の魔力。思わぬ事実の暴露で放心してしまった彼の隙をファビアは見逃さない。
まるで全身を逆流するような劣情と欲望に息を荒らげる王太子を妖しい眼差しで見やり、ファビアは止めを穿つ。
「彼もそれを望んでいるわ。ねえ?」
『はい、ファビア』
微笑む彼女がしだれかかるのは、今は亡き弟。前にも見た姿形に、王太子は眼を見張る。
「そな.....た、生きてっ?!」
感涙を浮かべる兄を切なげに見つめ、アルフォンソは力なく首を振った。
『いえ..... 父王に毒殺された私は死にました。嘆きの淵で苦しみ消えていきそうだった私を..... 彼女が救ってくれたのです。こうして現世に顕現出来るよう力を貸してくれたのも彼女です』
「当然ですわ。憎き国王を成敗するまで、わたくしの復讐は終わりませんもの」
『私の無念のために..... ありがとうございます、ファビア。誰も理解してくれない私の哀しみを、貴女だけが理解してくれる。嬉しいです』
慈愛に満ちた笑顔で最愛の女性を抱き締めるアルフォンソ。
「前にも逢ったよな? ほら、トリシア嬢の御茶会で。あの時、そなたはそのような話をしなかったではないか」
悲しまないで、幸せになって欲しいと。そう言っていたと.....
そこまで考えて、王太子はハッとする。
それはアルフォンソの口から語られたのではなく、トリシアの通訳だったことを思い出したのだ。
「あ.....? まさか?」
驚愕に震える兄の手にアルフォンソが自分の手を重ねた。その冷たさにゾッとしつつも、愛する弟をすがるように見上げる王太子。
『なぜに彼女が嘘をついたのかは分かりません。あの時、私は兄上に己の無念を打ち明けました。なのにトリシア嬢は、それを隠したのです』
「御姉様は聖女ですから。元より聡明な御方でもありましたし、王家に骨肉の争いが起きるのを忌避されたのかもしれませんわ」
正しくトリシアを理解するファビア。
そなたこそ聡明であろうが..... 私は、そのようなことに気づきもしなかった。
騙されたと知り、トリシアに絶望を感じた王太子。だが、ファビアの説明を聞けば、それも然もありなんと納得する。
「これが、わたくしの真実ですわ。アルフォンソ様を顕現させるには多くの嘆きが必要ですの。そして民を苦しめている貴族らを破滅させることに罪悪感はございません。彼等がいなくとも国は回ります。むしろ、いなくなった方が清々する寄生虫どもですわ」
『王家は敬われるべきだと私も思います。長く国を守ってきたのですし。けれど、貴族らはいかがなものか。特権階級にへばりつき、税を搾り取るだけの者達が国に必要ですか?』
次々と注がれる新たな毒に侵され、王太子の思考がぼんやりと緩慢になる。何も考えられない。
「そう.....だな。そなたらの言うとおりかもしれぬ」
『ありがとうございます。御理解頂けると思っておりました。兄上』
「賢明な御判断です。心より感謝いたしますわ、王太子殿下」
彼等の足元に広がる青黒い染み。それは徐々に触手を伸ばし、王宮そのものを呑み込んでいく。
《ほんと。大したもんだわ、君》
実の姉すら餌に使い、着実に破滅への階段を造るファビア。
精霊に壊されることを前提として造られる彼女の理想郷は、今や遅しとトリシアを待ち受けていた。
多くの貴族家が潰れ、廃れ、重税から解放された国中の民が歓喜している。
そして彼等は思うのだ。この幸せを手放したくないと。
再び重税に泣かされたくない。爪に火を灯すような貧しい暮らしに戻りたくない。飢えで苦しみ、摘まれる幼い命を嘆いて見送りたくない。
獰猛にギラつくケダモノの群れ。
数多に満ちる国中の平民達に伝播する怨念。
それを蝶として受け取り、満面の笑みで笑う金髪の麗人。
「ふふ、この国も終わるわね」
『ああ、嬉しいね、ファビア』
《.....本当にな》
アルフォンソを操りながら、堪えきれぬ嗤いを喉の奥で噛み殺す精霊王。
せせら嗤う精霊達の望む遊びが、今、佳境を迎えようとしていた。
結末を知るは闇の精霊のみ。
《また、あの悲痛な絶叫が世界に轟くのだな》
大抵は火炙りで。なかには民の溜飲を下げるために投げ込まれ、何日も嬲りモノにされたあげくボロボロで息絶えたり、獣の檻に入れられて食い殺されたり。
どちらにしろ、禍を鎮めた聖女の辿る末路は悲惨だ。
聖女が禍を呼び寄せたのだとし、必ず断罪される少女達。そうあらねばならないからだ。精霊らが人間を罰して愉しむためには、なくてはならない惨い結末。
《.....ほんとに、ごめんな》
ひっそりと呟くしかない闇の精霊。
だが、彼は知らない。
今まで悉く精霊らの誘導を退けてきたトリシアが、未来でもやらかしてくれることを。
『確定された未来なんてないわっ! たとえ、あったとしても、わたくしは変えてみせるっ!!』
後に彼が目撃するトリシアの勇姿。
それを今は知らない闇の精霊である。
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