第23話 構築される悪意 ~精霊王の謀~


「ファビア嬢。王命です、王宮までお越しください」


 カルトゥール伯爵家を取り巻くように居並ぶ騎士達。驚く両親を褪めた眼で見つめながら、ファビアは妖艶な仕草で騎士達に尋ねた。


「罪状は何でございましょう?」


 ふくりと微笑む少女の笑みに当てられ、騎士は微かに動揺する。

 まだ若干十四歳の少女だ。今年十五で成人するらしいが、それを差し引いても魅惑的な女性だった。


.....まさに魔性の美。


 国王達から詳しい話を聞いていた騎士らは、彼女から馥郁と香る扇情的な闇の魔力に惑わされない。

 万能に見える闇の魔力も、実は存外、脆い力なのだ。

 自覚があり、それを警戒する相手には効果が薄い。

 ファビアに恋い焦がれ、彼女を求める者でなくば、この魔力を受け取れる基盤がない。

 彼女を欲するから、彼女から与えられるモノを何でも受け入れてしまうのであって、その状況が整わねば、闇の魔力で操ることも不可能なのである。


 それを知るわけではない王太子ではあるが、彼女が妖しげな力を使って貴族らを唆し、散々籠絡してきたのを知っていた。

 なので騎士団にも注意を徹底する。決して年相応の少女と思うなと。

 仕組みは分からないが、多くの男を誑かした毒婦だと、王宮中に周知する。


 結果、彼女の艶やかな女神のごとき微笑に、心惑わされる騎士はいなかった。


「極秘です。周りに露見すれば御令嬢の名誉にかかわりますので」


 居丈高に宣う騎士。


 それにやもたまらず立ちふさがったのは、父親たるカルトゥール伯爵だった。


「トリシアを取り上げたあげく、ファビアまでですかっ? 国王陛下は、我ら貴族を何だと思われているのかっ!!」


 悲痛な魂の慟哭。


 貴族としてでなく、一人の親として憤懣やるかたない伯爵に、同じ気持ちの婦人が寄り添う。

 だが、当の本人であるファビアは飄々としたもので、軽く嘆息しつつも、ぶっきらぼうな騎士達を一瞥した。


「分かりましたわ。同行いたします。ただし、何が起きてもカルトゥール家に咎めが下らぬよう御願いいたしますね」


 驚愕の顔をする両親を優しく抱き締め、彼女は、これがきっと最後だろうと、微かに疼く心に戸惑った。


 御母様も御父様も、わたくしからカシウス様を取り上げた方だ。貴族のなんたるかを諭し、御姉様を可愛がり、無慈悲にわたくしの初恋を終わらせた方。


 でも、愛おしい。無慈悲とはいえ、貴族であるなら当たり前で正しいことだったのを今のファビアは知っている。

 我が儘一杯の幼い頃には自覚出来なかったが、今は分かる。ファビアこそが甘やかされていたことを。

 トリシアから何もかもを取り上げ、満足していた愚かな自分。それを咎め、叱る両親が、当時は理解出来なかった。

 出来の良い姉をことのほか可愛がり、ファビアには買ってくれない物を何でも買い与えているように見えていた。

 だが、それも事を辿ればファビアのせいである。

 妹の言うがままに何でも与えてしまうトリシアは、何も持っていなかった。

 それを憂いた両親が姉の欲しい物を与えていただけだ。

 ファビアが取り上げ、足りなくなった物を足していたに過ぎないのである。

 音楽を嗜まぬファビアが、ヴァイオリンやフルートをねだったって、買ってもらえるわけがない。

 そんな当たり前で簡単なことに気づきもしなかった過去の愚かな子供。


 ああ、今さらね。もはや、わたくしは後戻り出来ないのだもの。


 多感な年齢に受けた衝撃の数々。それを理解出来る年齢になっても、燻る憎悪は止まらない。

 自分が愚かなのだとの自覚がありながらも、当時の理不尽に泣いた幼い自分を抱き締めてやりたいファビア。

 そうしてようやく得た幸せ。一途にファビアを想うアルフォンソによって、彼女の心は慰められ癒されつつあった。


 それなのに.....


 突然、彼女を襲う悲劇。唯一無二と寄り添いあった片翼を無理やり引き千切られた恐怖と絶望を彼女は忘れない。

 それを救えたであろうトリシアの判断も。何があって弟王子を見殺しにしたかは分からないが、許せようはずもない。

 初恋を奪われ、最愛の片翼を奪われ、ファビアの奥底に巣くった憎悪が燃え上がる。

 これは八つ当たりだろう。たぶんトリシアに非はない。そう頭で納得するものの、感情は別なことを吠えるのだ。


 なぜ? なぜ?! なぜ!! .....と。


 ここまで来たら、もう理屈ではない。愛しいからこそ、倍増する怒りと憎しみ。可愛さ余って憎さ百倍。

 立ち上る憤怒にその身を任せ、ファビアは煌めく長い金髪を明々と燃え上がる焔に靡かせた。

 ギラつく双眸に一閃する危うい光。


 両親を優しく抱き締めながら、彼女は最後の別れを惜しむ。


「御心配なさらないで? 王宮には御姉様がおられるわ。きっと悪いようにはなりません」


 優美な娘の微笑みに、両親もぎこちなく笑い返す。


 そうだ、王宮にはトリシアがいた。


 そんな安堵が伝わる笑顔だった。


 .....結局は御姉様なのね。


 そう薄く唇を動かすファビアに誰も気づかない。


 例の空間の青黒い何か以外は。




《.....ほんと。難儀な星の元に生まれたねぇ。君も》


 物憂げな顔で空を見ていた何かは、カサカサと乾いた音をたててソファーに座るアルフォンソを一瞥する。

 ファビアがいない時は脱け殻のように動かない人形を。

 そして思い出す。理不尽どころが茶番でしかない、かつての聖女らの生涯を。




『違うわっ! 違うの、信じてぇぇっ!!』


 飛び散る涙の飛沫。喉が張り裂けんばかりに上げられる切ない叫び。

 それを一願だにもせず、下卑た笑みを浮かべ、容赦なく火を放つ民衆達。

 狂喜に染まり、ざわざわと泡立つ悪意が世界を染め、その生け贄となった過去の聖女ら。

 炙る焔に身悶え、この世の物とも思えぬ恐怖と絶望の果てに惨殺されてきた精霊の玩具。


 そして精霊は人々に罰を与えるのだ。精霊王から賜った聖なる乙女を無惨に殺したとして、言語に尽くせぬ禍を。


 自分達の自作自演な悲劇であるくせに、まるで人間が行ったかに装い、精霊王の力を知らしめるよう続けられる狂喜の宴。

 実際に行動したのは人間だ。反論の余地もない。だが、そのように誘導したのは精霊たちである。厚顔無恥も極まれりだろう。


 精霊の祝福に紛れ込ませた禍の種を芽吹かせ、涎を垂らさんばかりに愉しむ下劣な生き物。それが精霊なのだ。


 嘆きと切実な祈りの味を知る彼等が、それを堪能するためだけに行った虐殺劇。

 精霊は常に禍の種を撒き散らし、それが芽吹くのを待ち受ける。彼等は種の行方を辿り、賭けのようなことも楽しんでいた。

 禍の種は祝福に紛れ、それを受けた人間の子供に継がれてゆく。


《どれが芽吹くかのう?》


《はてさて、楽しみなことだ》


《姉妹に流れたぞ? あれは芽吹こうか?》


《ふうむ。良い両親だ。芽吹かぬのではないか?》


《では、賭けようか》


 にたりと笑い合う精霊どもに、青黒い何かはヘドが出る。


 前に青黒い何かがファビアへ説明したとおり、禍の種は極度の絶望に陥らねば芽吹かない。愛を知らず、孤独に嘆き、静かに病んでいった人間こそが、禍を芽吹かせるに適した人材。

 件の姉妹には当てはまるまいと、青黒い何かも思った。


 親に愛され、可愛がられる二人には。


 だが、事は斜め上半捻りする。


 姉妹の姉は禍の種を芽吹かせるに適した環境で暮らしていたのだ。

 理不尽に全てを奪われ、部屋に閉じ込められる孤独な生活を。

 これなら、家族を恨み、妹を恨み、絶望に苛まれる未来が訪れてもおかしくはない。


 そうはしゃぐ精霊達だったが、それを嘲るようにトリシアは満足な生活を続ける。


 幸せそうに自ら引きこもり、孤独に浸り、物がなくても平気のへいざ。むしろ、逆に本当に欲しい物を与えられてご満悦。


 さすがに空いた口が塞がらない精霊ら。


《.....どうなっているのか、この人間は》


《闇堕ちせぬのか? 孤独は人の心を殺すのではなかったのか?》


 唖然とする精霊達は知らない。


 人の嗜好は千差万別だということを。

 一人静かな孤独を好み、趣味に勤しむ生活を送りたがる者もいるのだということを。

 このままでは、せっかくのお楽しみが水の泡になる。闇に堕ち、世界を禍に満たしてくれなくては面白くもない。


 いやに図太いトリシアの行動に呆気にとられつつも、姉妹の挙動を見守る精霊達。


 だが彼等は別の獲物に気づいた。


 幼いながらも憤怒の眼差しでトリシアを見つめる妹に。

 陰惨に眼を煌めかせ、精霊らが舌舐めずりして凝視していたのを、運の悪い姉妹は知らなかった。


 そこからは精霊達の思うがまま、酷い劣等感と嫉妬に狂ったファビアは面白いように勝手に動いてくれた。


 トリシアのモノを取り上げ続け、愚かで浅はかな社交を繰り返し、二束三文な御令息らの甘言にのせられて、傲慢な御令嬢になっていく。

 両親の言葉にも耳を貸さず、八つ当たりじみた嫉妬を周りに振り撒き、徐々に孤立していった。


 ほくそ笑む精霊ら。


 しかし、そこでも立ちはだかったのはトリシアである。

 彼女は妹を叱り、諫め、せっかく間違った方に進んでいたファビアの軌道を、見事に修正してしまったのだ。

 親の言葉すら一蹴していたファビアだが、ライバル視している姉に称賛されて満更でもなかったらしく、上手く諭され、己の愚かさを自覚しはじめてしまう。


《お前なぁぁぁーーーっ!!》


 トリシアを心の底から罵り、頭をかきむしって地団駄を踏む精霊達。


 それを眺めつつ、青黒い何かは愉快そうに笑った。


 この調子であれば、あの姉妹が禍の種を芽吹かせることはあるまい。


 .....そう思っていたのに。


 諭し、諭され、仲睦まじく成長した姉妹。途中、理不尽に翻弄されつつも、二人は良い相手を得て、学院に入学した。


 そこで精霊達が動く。


 彼等はトリシアを聖女にし、禍の芽吹きを誘導したのだ。


《人間ってのは欲深いものだ。目の前に餌を置けば、勝手に争ってくれよう》


《愉しみだな。権力者どもが、どう動くか。あの姉妹の周りも酷い環境になろうて》


 耳障りな忍び嗤い。


 それを忌々しげに眺め、青黒い何かは深い後悔を胸に燻らせる。

 過去に何度も見てきた光景だ。精霊に眼をつけられた人間は執拗に嬲られる。

 不遇の連続を食らって、常を保てる人間は少ない。

 案の定トリシアも懊悩煩悶し、顔を項垂れさせた。


 だけど、彼女はしぶとい。ことのほか、しぶとい。


 どうにもならないなら、せめて妹を守ろうと、己を犠牲にするトリシア。

 これにまた、絶叫を上げる精霊達。


《至高の力だぞっ? なぜに欲に溺れぬ? 傲慢にならぬ?》


《過去の聖女らだって、多少は溺れたぞ? それなりに静謐を保ちつつも、我欲に身を任せたぞ? この娘、おかしいだろうっ!!》


 ぐあぁぁーっとのたうつ精霊王。自分の祝福を軽んじられて怒髪天のようだ。


 なんと愉快なことか。


 くすくすと笑う青黒い何か。


 だがそれも一瞬。


 如何にトリシアが高潔であろうとも、周りはそうではない。様々な思惑が絡まり、姉妹を奈落の底への突き落とす。

 国王にアルフォンソを殺され、空を劈き泣き叫ぶファビアを愉しそうに眺める精霊ら。彼等はいたく御満悦だった。


《ふふん、こうなるだろうな》


《人間とは愚かな生き物だ。私欲にまみれ、我が子にすら手かける。なんとも哀れよのう》


 最愛の片翼をもぎ取られて絶望の淵に沈む妹。それでも彼女に正気を保たせていたのはトリシアの存在。

 揺れ動く危うい綱渡りを演じつつ、ファビアは姉を心から信じた。

 しかし、その存在を否定する出来事が起きる。件の侯爵令嬢が渡した一冊の本だ。


 それにより禍の種を芽吹かせ、闇に堕ちるファビア。もはや世界の崩壊は防ぎようもない。




《お前の出番だ。ゆけ》


 指を払うような仕草で、精霊らの片隅にいた青黒い何かに命じる精霊王。


《汚らわしい闇の精霊を、たった一人とはいえ生かして精霊界の末席に置くのは、このためだ。我らの遊興を盛り上げるためだけに存在させておるのだ。その慈悲に心から感謝し、精々役にたてよ》


 唾棄するように吐き捨て、精霊王は一つの魂を青黒い何かに投げて寄越した。

 それは死んだアルフォンソの魂。自我を封じられ、精霊王の操るままに動く彼を使い、さらなる嘆きをファビアに与えようというのだろう。


 青黒い何か改め、闇の精霊の末裔は、酷く苦い口調で頷き、例の灰色な空間を作ったのである。


 あとは皆様御存じのとおり、騙されたファビアによる世界の崩壊が始まった。


 それを思い浮かべて、闇の精霊は、繰り返されてきた過去とトリシアに訪うだろう悲惨な未来を想う。


《すまないな..... 俺に奴等は止められない》


 ぽつりと呟かれた彼の言葉は風にのり、力なく霧散した。

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