第22話 構築される悪意 ~胎動~
「.....いったい、何が起きているのだ?」
次々と王宮にもたらされる悲報。アゼルの家だけではなく、他多くの貴族家で事件や争いが起きていた。
「ハンセン伯爵夫人が夫の愛人を滅多刺しにしたとか..... こちらは相手が平民なので不問に出来ます。しかし、それによって現場を目の当たりにした跡取りである御令嬢の気がふれてしまったと.....」
ここ三日に起きた事件は凄絶を極め、王宮では緊急会議が開かれている。
そこにいた王と王太子は、一人の青年を召喚していた。
「貴殿が寄越した婚約解消の申請。これには、アデル嬢が不貞をはたらいたためとあるが.....」
一枚の書類をテーブルに置き、訝しげな眼差しを向ける王に、青年は項垂れた。
「.....そのように思っておりました。彼女は弁明もせず、涙を浮かべつつも婚約解消を受け入れたので」
その婚約解消が今回の発端である。
娘を蔑ろにされたと感じた伯爵夫人が、事の真偽を調べさせたため、アデルの父親の不義が露見したのだ。
握った拳を静かに奮わせる青年。
「.....あの時、正直に相談してくれれば。私は彼女に信用されてなかったんですね。不貞という汚名を着せられても、彼女は私に話すことより、弟の存在を沈黙することを選んだのです」
相手を庇われたことで、自分は遊ばれたのか、利用されたのだと思っていた青年。
だが、真実は違った。アデルは二心あったのでも、不貞をはたらいていたのでもなかった。
庶子である弟を庇うため。守るために沈黙し、婚約解消を受け入れたのだ。
.....全て私のせいだ。妙な悋気を起こさず、彼女のことを信じてあげられていたら。
アデルは不貞などしていないと、あれだけ言っていたのに。話せぬ事情があるの察してやれなかった自分の、なんと情けないことよ。
しかも、そのせいで事が明るみになり、今回の事件を引き起こした。
「アデル..... いや、アデル嬢は? 大丈夫なのでしょうか?」
心許なげな青年を見据え、王太子が軽く首を振る。
「.....愛人の殺害現場を目の当たりにしたらしくてな。まだ錯乱しておられるらしい。.....正直、医師もお手上げだとか」
切なげな眼を見張り、青年の喉が大きく鳴る。
.....謝らねば。誠心誠意、謝罪し、彼女の心に少しでも寄り添わねば。
青年はテーブルに置かれた婚約解消申請の書類を無意識に掴み、国王らに挨拶だけをして、フラフラと部屋から出ていった。
「なんともはや.....」
事情を知った国王達は言葉もない。話を聞けば、婚約者が不貞だと誤解したのも無理からぬこと。
そんなことを考えていた王太子の耳に、ぶつぶつ呟く青年の言葉が聞こえる。
「..........を。ファビア嬢にも.....」
ファビア嬢?
はっと顔を上げた王太子は、慌てて青年の後を追った。
「.....最近、恐ろしいことばかり起きますわね?」
「ハンセン伯爵家でございましょう? 伯爵夫人の御気持ちも理解いたしますが、いささかやり過ぎですわよね」
「それだけでなくてよ? マウドリッド子爵家では後継者の座を巡り、御兄弟が分家の者から毒を盛られたとか」
「毒だなんて..... まるでアルフォンソ様のようではないですか」
「アルフォンソ様の事件も、まだ犯人は見つかってないのですよね?」
「それだけではないのですよ? 最近ね.....」
まことしやかに流れる噂の数々。本当のこともあれば、全くの虚偽もあり、もはや誰もが疑心暗鬼な状況の社交界。
傷害や殺害が横行するなか、特筆されるのは貴族らのみ。平民や貧民などはモノの数に入らず、数多の犯罪がこの国を席巻していた。
その元凶は.....
「今日も麗しいですね、ファビア嬢」
「ありがとうございます、アルベルト様」
「.....いつになったら、私の告白を受け入れてもらえるのでしょうか」
「.....ごめんなさい」
今にも泣きそうなほど眼に涙を溜め、ファビアはアルベルトを見つめる。
「私は家の跡取りなので..... 御返事は出来ませんの」
アルベルトは悔しげに眉を寄せた。本来ファビアは二女だ。跡を継ぐべきトリシアが聖女となってしまったため、繰り上がりで跡継ぎになったに過ぎない。
こうして逢瀬を重ねても、貴族家の跡取り同士である自分達が結ばれることはない。
「いっそ、弟たちに後継者の座を譲り、私が貴女に婿入りしましょうか」
「本当ですか? .....嬉しい。でも、それが叶うまで秘密にしないと。.....わたくしの家を狙って言い寄る方々も多いので、アルベルト様に善からぬことを考える者が出るかもしれませんわ」
「もちろんです。聖女を輩出した家ですからね。どの貴族家も縁を持とうと狙っているでしょう」
快く頷いてくれるアルベルト。これには高度に政治的な問題も絡んでくることを彼も理解していた。
しなだれかかるファビアを抱き締め、至福に酔いしれる彼には見えない。
胸に抱く少女の瞳が、陰惨な光で煌めいていることに。
「後継者を降りるだとっ? 馬鹿を申すなっ!」
「本気です。私には思う御方がおられます。身分も容姿も問題ない御方ですが、如何せん嫁入り出来ない状況があります。なので、私が身分を捨て、彼女に添いたい所存」
「嫁入り出来ぬなど、碌でもない御令嬢しか思い浮かばぬわっ! そなた、騙されておろうっ!」
「申せません。申せませんが..... 彼女を侮辱なさるなど許しませんよ、父上」
御互いに胸ぐらを掴み、睨み合う親子。それを横目でチラ見し、アルベルトの弟たちは、降って湧いた後継者へのチャンスに眼を輝かせる。
そしてライバルになるだろう兄弟を一瞥し、思考を巡らせた。
何とかして他の兄弟を蹴落とす方法はないか..... 順当にいくなら二男であるが。他の兄弟にチャンスがないわけではない。
そして彼等は思い当たる。簡単に相手を蹴落とす方法を。
「きゃーっ!! 誰かっ、誰かぁぁぁっ!!」
数日後、アルベルトの家に谺するメイドの絶叫。
寝台で事切れていたのは彼のすぐ下の弟だった。
中世において、家門を継ぐためライバルを蹴落とし、暗殺するなどは日常茶飯事。それだけの魅力を持つのが爵位だ。
あわよくばと考える者も多く、銀食器や毒味で毒殺を封じたり、女性や子供のようにか弱く抵抗出来ない者を最初に部屋に入れ、中に暗殺者などが潜んでいないか確認したり。実はこれがレディーファーストの原点だったとも地球では言われている。
権力者には、そういった配慮がかかせない中世。
暗殺などという、現代ならとんでもないことが横行していた時代だ。
ファビアの灯した誘惑の炎は、チラチラと燃え上がりながら上流階級を舐め回していく。
.....男って馬鹿ばかりね。
言い寄る男性たちを手玉に取り、多くの貴族家に波乱を起こすファビア。
それは本家から分家へと容易く飛び火し、国中を混乱に貶める。
だが、からめ取られた本人達は厳かな秘め事に酔い、誰もがファビアのことを口にしない。
.....口にしてはいけない麗人。至高の女神。
人々の口にはそのように上り、彼女に心酔する若者らが良いように操られていく。
「.....婚約者がおられるではないですか。口惜しい」
可愛らしい顔を懊悩に歪ませるファビアを見た青年は、大きく喉を鳴らして、婚約者とは別れると宣言した。
聖女の家門という理由を差し引いても、この魅惑的な金髪の少女には価値がある。いや、この方に添えるなら、全てを捨てても良い。
微に入り細を穿ち、男の自尊心や独占欲を擽るファビア。
そんな彼女から抗えぬ毒を注がれた男性達は、常に最悪を選ばされ誘導される。
「本当に? でも、相手の御令嬢に非があるでなし、諦めないかもしれませんわ。こんなに素敵な男性なんですもの。婚約解消に応じないに違いありません。.....御相手が、貴方に顔向け出来ない状況にでもならない限り」
最後の一言が青年の心を大きく揺らした、
どろりとした至福の眼差しで、彼は呟く。
「そうだね。彼女は要らない。捨てるために、とっとと壊してしまおう」
「ええ。誰かの嘆きの中にこそ私達の幸せがあるのですわ。私達が幸せになるには、誰かの涙が必要ですの」
人の不幸を願い、くすくす嗤う異様な光景。
恍惚な顔で眼を蕩けさせた青年の婚約者が、後日、暴漢に襲われる。
複数人で徹底的に暴かれ、彼女は下町の裏道に転がされているのを発見された。
貴族令嬢の醜聞は瞬く間に国中に広がり、彼女は修道院に入れられることとなる。
まるで見せ物のように目立つ裏道にさらされていた御令嬢の話に動揺を隠せず、何が起きたのかと噂する人々。
「なぜ、御令嬢は護衛や側仕えもつけずに下町などへ?」
「何か秘密裏に誘い出されたそうよ? いったい、何があったのかしら.....」
そんな不安げな人々を余所に、馬車に揺られて修道院へ向かう御令嬢は、はらはらと涙をこぼし、婚約者との最後の対面を思い度していた。
『わたくし、貴方様の使いだと仰る方から文を受け取って..... 信じてくださいませ、あんなことになるなど思わずっ、男達に囲まれ怖かったのですっ!!』
容赦なく掴まれ、おぞましく這い回る男達の手。口を塞がれ、押し倒され、破かれたドレス。
気を失うことも出来ぬ激痛を延々と与えられた彼女は、身も心もボロボロだった。
なのに、そんな彼女を労ることもせず、婚約者である青年は吐き捨てるように別離を告げた。
突然の凶行で怯えすくむ彼女を、さらに恫喝するように。
『薄汚い犯罪者に穢された身体で、よくもまあ顔を出せたな。何人に暴かれたんだ? 三人? 五人? それだけ咥え込んで、満足か? この恥さらしが』
苛烈な憎悪を浮かべる婚約者の顔に、少女は凍りついた。
『呼び出された? 私の名前で? 無用心にも程がある。なぜ、私に確認を取らぬのだ。どうして、いそいそと誘いにのったのだ。なあ?』
濁った光を宿し、青年は被害者である少女を罵った。
『案外、期待して出掛けたんじゃないのか? 私じゃないと分かりつつも火遊びじみた気分で。今までも、こうして遊んでいたのだろう? たまたま今回は質の悪い輩に当たっただけで。違うか?』
違.....っ!
反論したい少女だが、青年の冷徹な眼光に射すくめられて言葉が出てこない。
『まったく..... とんだ恥さらしだよ。こんなに股の緩い売女とは知らなかった。今回のことがなかったらと思うとゾッとするね。そなたの本性を暴いてくれた男どもに感謝せねばな』
感嘆の面持ちを浮かべて遠くを見つめる青年。
あまりの仕打ちで愕然とする被害者の御令嬢を置き去りにし、そのまま彼はファビアの元へと向かった。
『ファビア様っ! お望みどおりに婚約者を壊して参りましたっ!』
蕩けた瞳の青年は、うっとりとファビアを見上げる。
『そう..... 良い子ね。愉しかったでしょう?』
『はいっ、はいっ! あの見るも無惨な姿。背筋が泡立つほど気持ち佳かったですっ!!』
恐ろしい事件の被害者となった少女を踏みにじり、さらなる奈落へ突き落とした興奮を事細かに語る青年。
闇の魔力に触れ、増長した彼から正気は窺えない。
これが闇の力の本領。
ファビアに心を寄せて闇の魔力を受け入れてしまった者は、悪辣非道を行うごとに闇に呑まれる。
そうして闇に侵食された者達は、ファビアの忠実な信奉者と変貌するのだ。
『これからも沢山壊しましょう? この国が..... いえ、この世界が嘆きに多い尽くされるまで』
『はい..... どこまでもお供いたします、我が君よ』
ファビアの周りには、似たような風情の男性らが大勢立っている。誰も彼もが名のある貴族家の令息達だ。中には当主本人もいた。
うっそりと獣じみた笑みを浮かべる人々。
『もうすぐです、アルフォンソ様。もうすぐ貴方の仇を取り、この国に貴方を顕現させてあげられますわ』
立ち込める暗雲。それを払い、射しそむる光となるべきトリシアは、現状を理解できずに憤っている。
「いったい何が起きているのかしら?」
「事件が多すぎます、騎士団も人手が足りず回りません」
「あり得ないことばかりだ。暗殺や虐待は貴族の常にとはいえ、立て続けに起きすぎている。仮にも貴族だぞ? ここまで愚かなことがあろうか?」
積み上がる死体や押し寄せる犯罪の数々。上流階級だけでお腹一杯なのに、平民や貧民らの間には、貴族家を上回る大惨事が蔓延していた。
そして上がる声。
「聖女は何をしているのだっ?!」
「どう考えても異常事態ではないかっ、何か判明していないのか? 聖女は何と言っている? 闇が現れたのだろう? 気づかれておられぬのか? 何のための聖女だっ!!」
口々にのぼる、聖女への懇願。それに懊悩しつつも、トリシアは自分が何をやれば良いのか分からなかった。
聖女は万能ではない。それでも努力を重ね、先代の聖女らと変わらぬ力をトリシアも手に入れた。
.....しかし。
「力があれど、情報が少なすぎます」
うつ向くトリシアに、カシウスが力強く頷く。
「その通りだ。現在分かっているのは、ファビア嬢が妖しげな何かを操っていることと、貴族らがおかしくなりつつあること。だが、ファビア嬢の妖しげな何かは常人の眼に映らないようだし、証明し難い」
そうなのだ。これがファビアの妖しい何かに関係がないわけはない。だが、その証明は困難だし、なによりトリシアはファビアを守りたかった。
どうすれば良いのかしら。
懊悩煩悶する三人を余所に、王宮が動き出す。
『待て、今、ファビア嬢とか申してなかったか?』
あの日、アデルの婚約者を追いかけた王太子は、彼から詳細を聞く。
本当の事の起こりは、ファビアの密告だったこと。
共にアデル嬢の後をつけ、アデルが男と宿屋に入る姿を二人で目撃したのだということ。
『なので、ファビア嬢にも真相を知らせておかないと。心配してると思われますし.....』
そこまで言って、言葉を濁す青年。口ごもった彼の瞳に浮かぶ仄かな劣情。現在進行形で同じ劣情をトリシアに抱えている王太子は、潤み悩ましいそれを見逃さなかった。
そして知る。ファビアの後ろめたい言動や行動を。艶かしく男を唆す、その実態。
『.....私も惑いました。しかし、まずは身辺を身綺麗にしてからと思い、返事は返しておりません。.....こうして真実を知った今、答えなくて良かったと思います。私はアデルを愛している。今さらながらに痛感いたしました』
ファビアに誘惑されつつも、まだ闇の毒を注がれていなかった青年は、素直に王太子の問いに答えた。
そんな彼を見送り、王太子は直ぐ様、暗部を動かす。
『ファビア嬢を調べろ。常に見張りをつけ、行動を事細かに報告するんだ』
こうして騒乱が表だって目立つようになる前から、ファビアを監視していた王太子により、初期の犯罪に彼女が関与していたことが判明する。
さらに傍観しているうちに、暗部の見張りから連絡が途絶えだした。
それを重く見た王宮が腰を上げる。
『もう、放ってはおけんな。彼女を捕縛する』
暗部の者達すら取り込まれ始めた。彼は、そう察し、元凶である少女に凄まじい敵意を向ける。
こうして誰も救われない悲劇が幕を上げた。
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