第21話 構築される悪意 ~始まり~


《良いようね》


《ほんに人間とは愚かなモノ》


《そういうところが愛いのではないか》


《たしかに》


 死んだはずのアルフォンソが現れるという異常事態に狼狽える人々。

 そんな一幕を愉しげに眺め、くすくす嗤う精霊王と精霊達。


《此度はどのようになるかな。あの妹は侮れん。ギリギリまで聖女候補だった》


《逆に姉はなかなか堕ちませんでしたしね。本来なら逆転するはずでしたのに》


《まさかの展開であったな。愛を知らぬ姉に、愛を教える者が現れるとは》


 厳かに交わされる精霊達の会話。


 数百年起きに生まれる聖女。これは精霊達の謀である。


 定期的に闇と光の争いを起こし、人心と信仰を人間らに思い出させるための茶番劇。

 精霊達にとっての茶番劇であって、その禍は本物。多くの涙と血が流れる。


《ほんに人間とは愚かだでの》


《さなり、さなり。こうして禍に直面させたり、奇跡の御技を起こさねば、すぐに信仰心を失いよる。面倒だて》


《今回は少し派手にやりましょうぞ。しばらく忘れられないくらいに》


《長く語り継がれるよう、半分くらい世界を壊しますか》


《どうせ人間など勝手に増えるしな。困窮が長引くよう、新たな病を与えるのもよろしいかと》


 .....とんでもないことを、ケラケラ嗤いながら相談するおぞましさ。これが精霊という生き物だった。


 元々、世界を統べる彼等は常に気まぐれだ。そして退屈している。

 ただ世界をたゆとい、風を渡らせ水を呼び、豊かで美しく世界を彩る者。それが精霊だった。

 彼等の祝福により完成された世界。作品を造る芸術家よろしく、精霊達も自分達の作品に満足する。


 だがある時、それを壊す者が現れた。


 人間だ。


 人間らは、精霊の加護を受けた自然や生き物を壊し、世界を変えてゆく。

 これに激怒した精霊達は、あらゆる禍を起こして人間達を懲らしめた。

 巻き起こる立て続けの自然災害に恐れ戦き、人間らは心からの祈りを捧げる。


 .....誰か助けてくださいっ!! と。


 その真摯な祈りは精霊達に届き、思わぬ信仰を捧げられた彼等は、全身をゾクゾクさせた。

 絶対者に平伏す者の悲壮な哀願、懇願。なんたる甘美な愉悦。こんな甘く背筋を震わせる気分は初めてな精霊達。

 赦されることを望み、ただただ涙する人間の哀れな姿は、精霊達から昏い悦びを引きずり出した。

 相手を思うがままに踏みにじり、どん底まで追い詰めて、慈悲を与える心地好さ。

 愚かな人間達が全身全霊で祈りと感謝を捧げるよう、精霊達は何度も自作自演の茶番劇を繰り返してきた。


《あのすがるような祈りの甘いこと。癖になりますね。震えが止まりませぬ》


 うっとりと眼を細め、一人の精霊が唇を舐める。それに頷き、多くの精霊達が下界から捧げられる祈りを指に絡めて唇にあて、香りを嗅ぐように吸い込んでいた。


《感謝や幸福な祈りも悪くはないが..... やはり、何より甘露なのは悲壮な嘆きに満ちた祈りですねぇ。あの刹那的な香りと食味は堪りません》


 チラリと一人の精霊が斜め上に視線を泳がせる。そこには一際煌めく目映い精霊。精霊王がいた。

 彼は気だるげな顔で宙に手を閃かせ、次元に亀裂を入れる。


《そうさな。アレの嘆きも溜まってきた。.....壊し時を見誤らぬようにせねばな》


 ねぶるように絡まる視線。精霊王が舌舐めずりして見つめるのは、人の形をした青黒い何かだった。

 次元の狭間に見え隠れするソレは、金髪の少女と共に世界で暗躍している。




『アルフォンソ様が現実に顕現出来るようになって、嬉しいわ』


 いつもの灰色の空間で、彼女は愛しい婚約者にもたれかかり、その頭を撫でてもらっていた。

 アルフォンソも弛みきった甘い眼差しで、飽きもせずにファビアの頭を撫でている。如何にも至福な二人の姿。


《君ら、遠慮ないよね? 俺がいるんだけど?》


『お邪魔虫なんて空気よ』


 人目も憚らずにイチャイチャする二人を微笑ましく見つめる青黒い何か。だが、その瞳の奥に宿る、謎めいた微かな空虚。


 .....壊されるために創る虚しさは、何度繰り返しても慣れないな。


 勤勉なファビアの集めた嘆きは、灰色の空間を徐々に埋め、今では色鮮やかな風景が広がっていた。

 虚無でしかなかった世界に豪奢な邸が建てられ、その周辺には森や湖。

 空の灰色を除いたら、まるで現実世界と全く変わらぬ風景に、青黒い何かは感心する。


《畏れ入るよ、君には》


 彼が何を思ったのか察し、ファビアの炯眼が酷くすがめられた。


『.....全然足りないわ。わたくしは、ここを現実に顕現させたいの。そして末長くアルフォンソ様と暮らすのよ』


 蠱惑的にギラつく彼女の瞳。恋とは、ここまで人を狂わせるものなのか。

 軽く嘆息して、青黒い何かは肩を竦めた。


 ファビアの仕掛けた罠による被害者の数は鰻上り。もはや放っておいても勝手に破滅する。




「庶子だなんて、貴方、いったい何を考えておられますのっ?!」


「.....お前が悪いのだろうっ! いつもヒステリックに喚き散らかして。私が外に安らぎを求めて何が悪いっ!」


 アゼル宅に轟く甲高い怒声。


 彼女が恐れていたことが現実となり、アゼルの母親は夫の不貞とその証拠に気づいてしまったのだ。

 アゼルの前で転がされるように踞る二人。恐怖でガタガタ震えているのはアゼルの父親の愛人とその子供。密かに逢っていた弟である。


 婿養子なアゼルの父親は家での立場が弱い。その心の吐露に選ばれた愛人には、気の毒だったとしか言えないだろう。

 アゼルの母親は不貞と罵るが、平民の女性が貴族に逆らえるわけはないのだ。彼女だって、好きで不義をはたらいたわけではないし、孕まされたわけじゃない。


「やめて、御父様、御母様っ!」


 アゼルの弟の存在がバレて、自宅まで愛人親子を引きずってきた夫人は怒り心頭。

 愛人の髪を鷲掴んで散々振り回したあげく、思い切り床に叩きつける。


「やめてくださいっ! 母さん、大丈夫か、母さんっ!!」


 使用人に押さえつけられ、身動きの取れないアゼルの弟。

 好きでもない男の蹂躙で孕んだにもかかわらず、アゼルの弟の母親は彼を産み、慈しんでくれた。

 養育費すら出さない男の子供なのに、貧しい家計の中で、大切に大切に育ててくれた。

 そんな母親に暴力を振るわれ、彼は目の前が真っ赤に染まる。


 .....俺が。姉だなんだと絆されたから? 貧しい我が家に支援してくれると言われて..... 母さんを少しでも楽にしてやりたくて。

 ああ、俺が馬鹿だったんだ、甘い言葉に騙されて、こんなことにっ!!


 やめろと絶叫するアデルの弟。それにほくそ笑み、夫人は髪から簪を抜く。狂気に満ちて淀んだ夫人の瞳。


「泥棒猫には仕置きが必要よね? 貴族の持ち物を盗んだんだから、死罪確定よ?」


 顔面蒼白で怯える愛人。


 何がされるのか分からず、固唾を呑むアゼルと家族達。

 そんな彼等の目の前で、夫人は簪を高くかかげ、愛人の顔に突き刺した。

 何度も、何度も下ろされる簪。飛び散る血飛沫に上がる悲鳴。

 スローモーションにも見えるそれを凍った眼で凝視していた人々は、しばらくしてから正気を取り戻し、慌てて夫人を押さえつけた。


「何をしているんだぁーっ!!」


 父の声が酷く遠い。


「母さんっ! 母さぁーんっっ!!」


 弟の悲痛な叫びが耳を劈く。


 そして茫然と立ち竦むアゼルは、燃えるような憤怒の視線に射抜かれ、恐る恐る振り返った。

 そこには涙にまみれた弟の憎悪の眼差し。


「.....あんたが。あんたが俺らにかかわるから、こんなことにっ!! あんたのせいだぁぁぁーーーっ!!」


 .....わたくしのせい?


 今にも壊れそうなほど瞳を揺らし、アゼルは全身を奮わせて泣き叫んだ。


 こんなことを望んではいなかった。こんなことになるとは思わなかった。

 ただ、弟を助けたくて..... 少しでも楽な生活をさせてあげたくて。

 婿養子の父は自由になるお金が少ない。そのため、満足な生活すら出来ない弟家族を支援しようと.....


「いやぁぁぁーーーーっ!!」


 婚約者に不義を疑われ、婚約破棄をされても守ろうとした弟に、蛇蝎のごとく睨まれ、恨まれ、実の母親が愛人に犯した凶行を目の当たりにしたアゼルは、心の底から己の浅はかさを呪った。


 アゼルの自宅が見えなくなるくらい、ぶわりと生み出された蝶の群れ。狂喜乱舞する黒い蝶の海が、空高く舞い上がり王都の空を被い尽くしていく。


 翌日、世間を驚かせた貴族家の事件は、ファビアに多くの力を与えた。


『アルフォンソ様? もうじきですわ』


『ありがとう、ファビア。早く君を現実で抱き締めたいよ。そうしたら、毎日睦んで、幸せに暮らそう』


 微笑みあう幸せな二人。その幸せが深まれば深まるほど増えていく現実の嘆き。


 アゼルの家の悲劇を皮切りに、多くの事件がこの国を席巻するのだが、そんな未来が訪れることを、今は誰も知らなかった。

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