第20話 策略 ~偽り~


「わたくし、神殿と王宮に相談してみますわ」


「.....そうだね。闇の片鱗が見えたとなると放ってはおけない」


「かしこまりました。では、私は騎士団に」


 ラウールの言葉を聞いて、トリシアが待ったをかける。


「ダメよ。それは国王陛下らから御願いするわ。騎士団に妙な行動をされては困るもの」


 ファビアは賢い子だ。変に騎士らが動けば、警戒し、どこかに隠れてしまうかもしれない。

 それに今のところ、彼女はトリシア達に闇の魔力が見えていることは知らないだろう。

 もし知っていたなら、こうして事を起こした途端に姿をくらましていたはずである。

 そう説明を受け、カシウスとラウールも得心顔で頷いた。


 だがこの決断を、後にトリシアは心から後悔する。



「なぜ.....っ?!」


 驚愕に震える人々。


 そこに立つのは弟王子。生前と変わらぬ優しげな笑みを浮かべ。


 ことの起こりは半刻ほど前。


 今日はトリシアの主催で小さな御茶会が行われた。招かれたのは王太子と王妃。それととカシウス、ラウールである。

 和やかな雰囲気で始まった御茶会。季節の挨拶や他愛ない話題が交わされ、いよいよトリシアが本題を持ち出そうとした時。


 それは現れた。


「.....アルフォンソ?」


「アル? 本当にアルなのっ?!」


 生前の姿そのままな弟王子殿下。限りなく透明な雰囲気で立つ彼を見て、ガタンっと王太子は立ち上がる。王妃も腰を浮かせて茫然自失。


「危険です、王太子っ!」


 焦燥感にかられて声を荒らげるラウールに、王太子は瞠目した。そして拳を握りしめる。


「危険? 我が弟が危険と申すかっ!!」


 問答無用を物語る怒りの浮いた王太子の瞳。そこに燻るのは仄昏く妖しい光。

 絶句しつつ見守るトリシア達を余所に、彼は恐れも疑いもなくアルフォンソを抱き締めた。


「アル..... 夢でも何でもいい。よくぞ戻ってきてくれたな」


 慈愛に満ちた兄の眼差しに微笑み、弟王子は何かを口にする。しかし、その声は常人に聞こえない。


『御懐かしいです、兄上』


「ああ、分からない。聞こえないよ、アルフォンソ」


「アル、アル.....っ! 誰が貴方をこんな目に?」


 王妃も駆けつけ、喪われたはずの息子を抱き締める。異常事態なはずなのに、なぜか誰もがこの光景を違和感なく受け入れていた。


『父王です。私は父王に殺されました。苦しかった.....なにとぞ、私の仇を』


 泣きながら悔しげに唇を噛み締めるアルフォンソ。それに哀しげな眼差しを向け、王太子と王妃も唇を噛み締めた。


「すまぬ、何を言っているのか分からないが..... 仇はとるぞ? 待っておれ、きっと父上を.....っ」


 そこまで聞いてギクッと肩を揺らし、トリシアは懊悩する。

 なぜに弟王子が現れたのか分からないが、ああして抱き締められるということは、少なくとも実体があるのだ。

 しかし完全に顕現出来てはいないようで、王太子達に彼の声は届いてない。

 トリシアとラウールには彼の声が聞こえる。王家の闇を暴く、恐れ多い内容が。その事実を王太子らは薄々感づいているらしい。


 このままでは不味い。親子で血を流す骨肉の争いが起きてしまうかもしれない。


 咄嗟にそう考えたトリシアは、同じく聞こえているだろうラウールをチラリと一瞥し、優雅に席を立った。


「聞こえますわ、アルフォンソ様の嘆きが」


 ばっとトリシアを見る王妃と王太子。


「なんとっ! 聖女には聞こえるのだろうかっ? アルは何を申しておる?」


 必死の形相な王妃に罪悪感を覚えつつ、トリシアは偽りを口にする。


「泣かないでと..... 悲しまないで、幸せになって欲しいと」


 絞り出すようなトリシアの言葉にうちひしがれ、王太子はアルフォンソの前で頽れる。


「そうか..... そうだな、おまえは優しい子だった。復讐なんか望まないよな」


「アル..... アル.....っ」


 彼女の言葉を信じ、弟王子を抱き締めつつ嗚咽を上げる二人。それを憮然と見つめ、アルフォンソの瞳はトリシアを捉えた。


『なぜに嘘を? .....苦しかった。.....哀しかった。私の気持ちや無念はどうでもよいとでも?』


 信じられないと物語るアルフォンソの顔は、みるみるくしゃくしゃに歪んでいった。悔しげに寄せられた彼の眉を、トリシアは直視出来ない。


 ごめんなさい。わたくしにとっては、生きている人の人生のが大切なのです。道を誤らせたくないのです。


 とめどなく流れるアルフォンソの涙から、トリシアは思わず眼を逸らした。

 一連を傍観していたラウールの視界の中で、アルフォンソは言い知れぬ怒りと哀しみに顔を歪め、はらはら涙を溢しながら消え失せる。

 彼の消えた場所には複数の黒い蝶。ラウールの背筋がゾワリと粟立った。


「アルっ? どこだ、アル!」


 いきなり現れ、いきなり消えた弟を探して、うろうろ彷徨う王太子。彼等には蝶が見えていないらしい。


 ラウールの胸は激しい動悸で破裂しそうだった。四肢が震えて言うことを利かない。

 冷たい血が逆流し、彼の顔から色を奪い去る。

 顔面蒼白なラウールに視線を振り、トリシアは自分も似たような顔をしているのだろうなと自嘲気味に笑った。


 突然の異常事態。さすがのカシウスも言葉が出ないらしい。ただ.....


「.....アルじゃない。あれは」


 そうボソリと呟いたが、トリシアの耳はソレを拾い損ねていた。


 一掃された日常。いったい何が起きているのか。トリシアは得体の知れない不気味な何かの動きを察する。そしてその中心にいるのは妹のファビア。

 三人は王妃と王太子に暇を告げ、トリシアが滞在している離宮に場所を移した。




「なんてことでしょう。あのアルフォンソ様は本物なのかしら?」


「幽霊にしては実体がありましたし。死人でしょうか。消えたのが不可解ですが」


 死人なら消えるわけがない。彼の消えた後に残されていた黒い蝶も気になる。

 難しげな顔で思案するトリシアとラウール。

 だがそれを余所に、カシウスが小さく首を横に振った。


「違う。アルじゃない。アルなら遺した家族の前で泣いたりしないよ」


 そう。アイツはそういう奴だ。誰よりも優しく誰よりも強く。自分の死に家族がしょげていたら、かえって笑顔で発破をかけるだろう。

 あんなお涙頂戴な茶番劇は起こさない。さきほどトリシアが口にしたような言葉を家族に投げ掛けるはずだ。


 カシウスの説明を聞き、トリシアとラウールも眼から鱗である。

 生まれた時からの御学友。長い付き合いのカシウスだからこそ抱いた違和感。

 王太子や王妃が気づかなかったのは嘆きに心を支配されていたからかもしれない。

 深い哀しみや怒りは、人間の神経を鈍らせる。

 一線を引いて、客観的に見ることの出来たカシウスならではの見解だった。


「.....では。偽物?」


「作り物にしては、細部まで精巧すぎます。なんのカラクリかわかりませんが、かなり弟王子をよく知る人物の仕業かと」


 何気な考察を述べるラウール。だがその一言で、三人の脳裡に同じ人物が浮かんだ。


「ファビア.....」


 苦悶に眉を寄せ、トリシアは愛しい妹の名前を呟く。


 その名前の人物が、王宮近くのカフェにいるとも知らずに。




「ふふ..... これからよ。もっと追い詰めてあげるわ、国王陛下を。まずは家族からね」


 ふわりと風に浮かぶ花弁のように、ファビアは愉しげな笑みをはいた。

 その蠱惑的で優雅な笑みに、青黒い何かとアルフォンソもほくそ笑む。


 静かに人々を蝕み、王国内の闇が蠢き出した。

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