第19話 策略 ~誰も知らない謀


「ファビア嬢が?」


 愛する少女をガゼボで見つけたカシウスは、同席していたラウールから事情を聞き愕然とする。

 登校してこないトリシアを心配し、探していた彼はガゼボで向かい合って座る彼女と誰かを見て、一瞬冷酷に眼をすがめた。


 なぜ、こんな処で二人きりに? 婚約者がいる婦女子を誘って、いったい何をしているんだ? それともトリシアが誘ったのか? どうして?


 グルグルと益体もない戯れごとが彼の中に渦巻いていく。

 だが近づくカシウスに気づいたトリシアが、屈託なく手を振ってきたためその剣呑な眼差しは和らいだ。


 すわっ、逢い引きかっ?! などと下世話な妄想を過らせた自分が恥ずかしい。


 そんなことを彼女がやるわけはないし、やっていたとしたら、あんな無邪気な笑みでカシウスを見るわけがない。

 それでもトリシアが気づかないうちに、馬鹿な相手が邪な思惑を抱いている可能性はある。

 トリシアの姿で奥にいる相手の顔が確認出来ないため、カシウスは慎重にガゼボへ駆け寄っていった。

 しかし、立ち上がり頭を下げた少年を見て、カシウスは絶句する。


「ラウール?」


「御無沙汰しております、ランカスター侯爵令息様」


 流麗な所作で凛と立つ騎士見習い。その隙のない仕草に、カシウスは肺の中の淀んだ空気を全て吐き出した。


 ああ、この御仁にかける疑惑はない。世にも名だたる『氷の騎士』の息子に。


 数多の御令嬢から贈られる秋波や、燃え盛る焔も瞬殺し、感情の揺れを一切見せないと有名な少年だ。

 しかも見習いとはいえ騎士。そんな人間が、婚約者のいる御令嬢に言い寄るわけがない。

 そういった処は父親である男爵にそっくりなのだ。いずれ彼が『氷の騎士』の称号を継ぐのだろう。それを融かせるのは愛妻のみと有名で、王家すら怯えさせる二重人格騎士様の。

 だから安堵に胸を撫で下ろしたカシウスは、あらためて二人から話をきいたのだが。


 その内容に彼は仰天する。


 聖女降臨の背後に隠されたあらゆる禍。常にタイミング良く聖女がいたことでそれらは全て退けられているが、その常にが問題だった。

 卵が先か鶏が先か。禍在るところに聖女あり。あるいは聖女在るところに禍あり。

 密接した二つの事象。不思議なことだが、言われてみれば歴史にもそう書き記されている。そんな歴史書の一つを手に入れて真実の欠片を手に入れたのがリュシエンヌ侯爵令嬢だ。

 彼女が手に入れた歴史書はファビアに届き、複雑な生い立ちを持つ少女の葛藤から純粋な悪女が生まれた。いや、魔女とでも言おうか。


 たまたま闇の魔力を発現出来る人間に、たまたま不幸が押し寄せ、さらにたまたま闇の魔力を解放出来る何かが協力してくれた。


 こんなたまたま、あるわけがない。


 偶然も重なれば必然だ。成るべくしてなった事象。まるで誰かの掌で転がされるようにトリシアは聖女へ。ファビアは魔女へと変貌する。


 そんな内情を知らない三人。それぞれ思うところがあるようで、トリシアは悲痛な面持ちをしていた。


「なぜファビアが..... ラウール様を疑うわけではありませんが、何かの間違いでは?」


 すがるように脆く揺れるトリシアの瞳。言い知れぬ哀しみが浮かぶソレに、ラウールは何と言ったものか悩む。

 これが全くの無関係者なら良かった。ただ粛々と騎士としての職務を果たせば済む。

 しかし相手は聖女の妹。しかも元主であるアルフォンソの婚約者様。それに闇の者のレッテルを張ることが出来ず、こうして相談にきたのだが。

 やはりにわかには信じられないのだろう。自分だって、この眼で確認したにもかかわらず信じたくない。

 そう、信じたくなかった。正直、どうしたら良いのか分からない。


 .....父上。.....母上。


 固く眼をとじたラウールの脳裡に、冷酷無比と呼ばれる騎士と、それを融かせる春の女神と呼ばれる女性が過った。


 そして、はっと眼を見開く。


 母上と慕ってはいるが、彼女とラウールには血の繋がりがない。父の浮気とかいうベタな展開でもなく、今の母上と結婚する前に父と付き合っていた恋人がラウールの実母だ。

 お腹にラウールが宿っているとも知らず、別れた二人は、それぞれ別な人間と結婚した。

 婚前交渉を複数の男性と行っていたラウールの実母は、生まれた彼が赤毛だったこともあり、結婚した夫である伯爵の子供なのだと疑いもしない。

 だが成長したラウールは、しだいに髪色が薄くなる。しかも洗礼で氷の魔力を授かってしまった。

 魔力の属性は遺伝する。焔の家系である伯爵家には、間違っても水や氷の魔力は発現しない。そのために伴侶の属性が婚姻条件になるような由緒正しい家柄だ。

 伴侶の家系によっては幾らかの別属性が混ざりはするが、せいぜい風か土。徹底的に排除してきた水系統は絶対に発現しない。

 この一連により結婚前の不義がバレたラウールの実母は、一時金と共に伯爵家から叩き出され、実家からも縁を切られ、安宿をさ迷う日々を送る。

 けど、ラウールの髪色が抜けて金髪となり、さらに発現したのが氷の魔力。氷や雷といった複合魔力は非常に珍しく、成人していたなら王宮から爵位を賜れるような貴重な存在だ。

 そして実母の過去の恋人の中に、一人だけ氷の魔力を持つ金髪の男性がいた。どう考えたって、その男性がラウールの実父だろう。


 当たり前な考えに至った実母は、すでに既婚者な『氷の騎士』宅へ、幼いラウールを連れて突撃したのである。


 そこでも、裏切られたと彼女を罵倒した伯爵家に負けじ劣らじ、喧々囂々な舌戦が展開された。


 男爵にしてみれば寝耳に水だろうし、現在の妻に対する矜持もある。しかし彼は責任逃れをすることはなかった。

 ラウールを引き取り養育する、あるいは養育費を払うことに否やはない。だが、ラウールの母親を保護者とすることに嫌悪を示した。

 実際、結婚した伯爵も、恋人だった男爵もラウールの実母に騙されたようなもの。なので養育費と称し、金子を騙しとるつもりではないかと父上は疑っていた。

 ラウールの母親として尊重はする。生活費も払う。だから息子の親権を自分に寄越せ。これが男爵の主張。

 しかしラウールの母親も譲らなかった。彼女の願いは息子と暮らすこと。それだけ。

 けれど自分には息子を育てられる経済基盤がない。その分を男爵に負担してもらいたい。育てるのは自分がしたい。ラウールの傍にいたい。


 二人の主張は堂々巡り。息子を母親から取り上げたい父と、息子の傍から離れたくない母。


 お互いに譲らない話し合いで、とうとう泣き出してしまった母親に寄り添ったラウールは、一人傍観者に徹する女性を見上げた。


 父上たる男爵の今の夫人。


 彼女はラウールに優しく微笑み、話し合いの前にも、子供のことを第一に考えて話し合うよう前置きしていた。

 離縁になっても構わない。ラウールの母を妾としても良い。とにかくラウールが健やかに暮らせるようにと。

 これには流石にラウールの実母も絶句していた。気位の高い貴族の夫人には有り得ないリベラルさ。


 そんな前置きをして始まった話し合いだが、事は膠着状態に陥る。


 やや興奮して辛辣な眼差しを向ける男爵。おいおいと泣き伏す母親。そのか細い背中をさすり、ラウールはオロオロと辺りを見渡す。

 そして見つけた。何物にも動じない深い瞳を。

 事の成り行きを見守る、慈愛に満ちた顔。

 力強いその姿に一縷の望みを感じ、すがるようにラウールは男爵夫人を見上げた。


『お姉さん、御願いします.....っ』


 辿々しく懇願するラウールに瞠目しつつも、男爵夫人は譲らぬ二人に折衷案を出した。


 要は、男爵夫婦とラウール親子の同居である。


 結婚前の関係だ。浮気でも隠し子でもない。降って湧いたような出来事。

 複数の男性と関係を持っていたのは宜しくないが、ラウールに魔力が発現するまで、ラウールの母親とて分からなかったこと。

 わざと騙したわけでもないし、どこにも責任は問えない。結果が最悪に転んだだけ。

 父男爵は妾を持つつもりはないが、息子を見捨てるつもりもない。だからラウールの実母とは距離をおきたい。

 ラウールの母も、後妻や妾になれなくてもいい。ただ息子と二人、平穏に暮らしたいだけ。

 ならば話は簡単だと、男爵夫人は同居を申し出た。


 なんたる度量。なんと際限のない懐の深さ。


 こうして二人の母親を持ち、ラウールは男爵家の嫡男として大切に育てられたのだ。

 一応の区別に、彼は実母を御母様、男爵夫人を母上と呼ぶ。

 日常の暮らしは母親のいる離れで。勉強や公な場では本宅の男爵家で男爵夫人を母親とする複雑な家庭。

 それでも人の口に戸は立てられず、多くの誹謗中傷がラウールを襲った。

 しかしその全てを跳ね返し、ラウールを庇い立ったのは男爵夫人。


『わたくしの息子に何か?』


 ふくりと笑う柔らかな笑顔。しかし、薄く弧を描く黄昏色の瞳は全く笑っていない。

 全身を逆立てて我が子を守るような男爵夫人の姿に戦き、口性ない貴族らも黙り込む。


 忘れようったって忘れられない男爵夫人の勇姿。


 常にラウールの味方であり、少々変わったあの母上なら何か良い案を出してくれるかもしれない。


 しばし思案する騎士見習いを一瞥し、カシウスはうんざりした雰囲気で奥歯を噛み締める。


 また、あの妹か。本当に邪魔者臭い。なんでこう、次々とトリシアに問題を持ち掛けてくるんだ。


 幼い頃の我が儘から、アルフォンソとの婚約騒動。それが落ち着いたと思いきやトリシアの聖女認定と、ファビアを守るため奔走したトリシアのアレコレ。

 トリシアが神の花嫁になったのも神殿に身を寄せたのも、王宮に居を移したのだって、全て妹の立場を守るためだ。

 その都度どんどん離されていくカシウスとトリシアの仲。


 本当に忌々しい。アルでなく、あの妹が死ねば良かったのに。


 そうなったらそうなったで、王太子との縁談がトリシアに押し寄せる訳で、どっちに転んでもカシウスは苦虫を噛み潰すはめになる。


 .....ああ、煩わしい。私とトリシア以外、みんないなくなれば良いのに。


 不穏な思考につられ、カシウスの背後にぶわりと噴き出す青黒い何か。そこから羽ばたく無数の蝶を見てラウールは顔を凍りつかせる。同じ光景を目の当たりにし、トリシアも驚愕に口を手で押さえた。

 いきなり様子の変わった二人に気づかず、カシウスは不倶戴天のまま己の思考の海へ沈む。悶々とした彼から次々と飛び立つ大きな蝶。

 狂喜に躍り狂う蝶の群れ。呆然と視線を彷徨わせたラウールは、その蝶が向かう方向を見て、さらに限界まで眼を見開いた。


 そこは校舎のバルコニー。蝶が向かう先に立つ少女は豊かな金髪を風に靡かせ、こちらをじっと見つめている。


 .....ファビア様?


 ふわりと舞う蝶を指先にとまらせ、彼女は酷く残忍な笑みを浮かべた。常人には真似出来ない蠱惑的な淑女の笑み。


「.....今度こそ、邪魔はさせなくてよ、御姉様」


 カシウスだけが気づかない。


 無数の青黒い蝶を引き連れ、校舎の中へと消えていくファビアの姿に。

 呆然とファビアを見送り、トリシアとラウールは勘違いでない現実に打ちひしがれた。


 .....なんで?


 言葉にならないトリシアの心の呟きは精霊に拾われ天上へと運ばれていく。

 そこで、誰も知らない思惑がうっそりと頭をもたげていたことを、今は誰も知らない。

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