第14話 策略 ~悪女の目覚め~


「アルフォンソ様.....」


 艶やかな金糸を乱れさせ、ファビアは目の前の少年を見つめる。

 色を失い白く透き通る白磁の肌。肌理を失い冷たくなったそれに手を添え、ファビアの眼がしとどに濡れた。

 顔をくしゃくしゃに歪めて、アルフォンソの身体にかぶさるよう彼女は頽れる。


「なんでぇ.....? ぅぅぁぁあっっ」


 暗く深い沈痛に満たされた部屋の中にファビアのすすり泣きのみが谺した。それを隣室で聞くトリシアとカシウス。そして王太子。

 彼等の顔にも、浮かぶのは絶望的な哀しみと苦悩。


「なん.....で.....っ」


 膝を両手で掴み、小刻みに震える王太子。指先が白く見えるほど食い込む指が、その耐え切れない胸の内を語る。


「殺す..... アルに毒を盛った奴を見つけ出して、必ず殺す.....っ!」


 両腕を組み、斜に構えたまま、カシウスは唸るように呟いた。


「.....ファビア」


 長い睫を伏せ、トリシアは切なげに言葉を紡ぐ。


 アルフォンソは死んだ。


 身内だけの会食で。


 いきなり突っ伏して動かなくなった彼。一瞬の出来事だった。胸を押さえて倒れたと思った次の瞬間、つーっと彼の口や鼻から滴った赤い糸。

 それが血液なのだと理解した途端に人々から上がった絶叫。


 もちろん毒味はされた。作ったのも信用のおける王宮の料理人。給仕も気心の知れた側仕え達。


 ここにいるのは王族と伯爵姉妹のみ。


 いったい、誰が何処で毒を混入したのか。狙われたのはアルフォンソなのか、無差別だったのか。犯人は誰か。

 多くの謎を残したまま、アルフォンソの葬儀が執り行われ、騎士団の必死の捜査も虚しく日々が流れていった。


 新たな春を迎え、誰もが希望に胸を膨らませた新学期。そこへ突然訪れた悲劇は各々の心に深い絶望を植えつける。


 あんなに仲睦まじくしていたのに。ようよう、ファビアが眼を向けた男性だったのに。酷すぎます、神様。


 組んだ両手を震わせて天を仰ぐトリシア。その肩をカシウスが支える。嘆くファビアには王太子が寄り添っていた。

 

 払拭出来ない哀しみで打ちのめされる四人。


 そんなある日、ファビアは真実の一端に手をかける。




「そんな、まさか.....?」


 ファビアは読んだ文献の内容を理解して絶句する。そしてそれを持ってきた相手を戦慄く瞳で凝視した。


「御理解いただけまして? 貴女の姉上は出来るはずなのにやらなかったのよ?」


 薄く口角を上げる女性。それは前に一悶着を起こした公爵令嬢である。

 あの一件で王宮から厳重注意を受けた彼女は、その後一切ファビア達に関わらなかった。

 しかしアルフォンソが亡くなってから、再びジリジリとファビアに近づいてきたのだ。

 教えたい事があると。トリシアが関係していると囁かれ、致し方無く聞くだけ聞こうとやってきたファビアに彼女は一冊の文献を差し出す。

 訝しみつつもソレを手にしてページをめくり、記されているアレコレを読み取ると、みるみるファビアの顔色が変わっていった。


 それは聖女に関する記述のされた文献だったのだ。


 いわく、聖女は如何なる毒も浄化出来る。死んだばかりであれば蘇生も出来る。聖女の周りの死は常に遠ざけられる。


 内容を理解するにつれ、ファビアは愕然とした。まるで鈍器で横っ面を張られたかのような気分だ。

 これが本当なら、姉はアルフォンソを見殺しにした事になる。


 そんな、まさか.....?


 有り得ない。あの慈愛の塊のような御姉様が?


 戦慄くファビアを静かに眺め、公爵令嬢はにたりと笑みを深めた。


 良い気味だわ。苦しみなさい。わたくしを蔑ろにした罰よ。


 リュシエンヌはトリシアが現れるまで王太子の婚約者候補筆頭だった。自分が王妃になるのだと疑っていなかった。

 なのに現実は悲惨だ。ぽっと出の伯爵令嬢に、その座を奪われたのだから。


 なにが聖女よ。侯爵令息と王太子様を手玉にとって。とんだ売女だわ。


 リュシエンヌの父親である公爵は王家に忠誠を誓っている。聖女が現れた途端に掌を返し、自分の娘より聖女様の方が王妃に相応しいと、やたら国王に具申していた。

 そして彼女は別の意味で苦々しげにファビアを見つめる。それには微かな憐憫が含まれていた。


 哀れな女ね。きっと犯人は見つからないわ。


 リュシエンヌは伊達に公爵令嬢をやってはいない。ファビアらと一つ違いで十四歳の彼女は、それなりに社交もするし父公爵の生業も学んでいた。

 だから分かるのだ。今回の件には大きな黒幕がいると。

 懊悩するファビアに嘆息し、彼女は静かに部屋を出ていった。


 でもそんな事、わたくしには関係ない。勝手に悩み、苦しみ、答えを出すと良いわ。.....どんな結果になるか楽しみだこと。


 くすくすとまろびたリュシエンヌの忍び嗤いは風に浚われ、誰の耳にも届かなかった。




「アルフォンソ様..... わたくしは.....」


 彼の人との淡く優しい思い出が甦る。不満たらたらでぶっきらぼうだったファビアに、根気よく笑顔を向けてくれたアルフォンソ。

 子供じみた我が儘を言ったり、時には癇癪も起こした自分を、拗ねた顔も可愛らしいですと無条件で受け入れてくれた愛しい人。


 そんな彼が殺された。救えたはずの姉は彼を見殺しにした。


 .....如何なる理由があったとしても許せない。


 たった二年間の婚約者。それがここまで心に沁み込んでいようとは。


「わたくしが.....」


 声もなく泣いていたファビアは、うつむいた顔を上げ、その瞳に狂気を宿す。

 ほたほたと泣き濡れたまま嗤い、彼女の岩窟には暗い焔が燃え上がった。


「ふ.....っ ふふふ..... はははっ!」


 チラチラと揺れる青い焔。それが瞳を一閃した時、彼女の眼から涙が消える。

 ぶわりとファビアの全身を包む蒼白い何か。不気味に蠢く霧のようなソレは、歓喜に震えるように彼女の中へ吸い込まれていった。




「ファビアっ?」


 戻ってきた妹に、トリシアは慌てて駆け寄る。

 アルフォンソが亡くなってから喪に服して、姉妹が学院へ戻ったのは一ヶ月後。

 それなのに、すぐ公爵令嬢から妹が呼び出されたと知り、トリシアは必死に探していたのだ。


「大丈夫? リュシエンヌ様から何かされなかった?」


 心配そうにファビアを見つめるトリシア。その眼差しにファビアは苦虫を心で噛み潰す。

 姉が本気で心配していると分かるからだ。トリシアは昔からファビアを大切にしてくれていた。


 なのに、何故、アルフォンソ様は助けてくれなかったの?


 じわりと毒のように広がる憎しみ。腹の奥を撫で回す憤怒。

 聞く訳にはいかない。そんな話をすれば姉を困らせることになるだろう。やむにやまれぬ事情があったとしても、酷い後悔を与えるに違いない。

 そして、どんな理由を聞こうとも許せないだろう自分がいる。その自覚がある。

 完全な八つ当たりだと理解している。やれなかったか、やるわけにいかなかったか、どちらかは分からないが、トリシアにも理由はあるのだろう。


 だけど理性が働かない。感情が納得しない。魂が慟哭する。何故っ?!.....と。


 悲痛な笑みを浮かべ、ファビアはトリシアに微笑んだ。


「大丈夫よ、御姉様。わたくし御悔やみを頂いただけだから。アルフォンソ様の」


 嘘ではない。公爵令嬢からは憐憫を感じた。少なくともファビアに対する害意は受けなかった。

 力無く微笑む妹を痛ましく見つめ、トリシアも頷いた。


「そうなのね。なら、良かったわ。わたくし、心配性過ぎたわね」


 しんみりと抱き合う二人を、遠くから眺めるカシウス。


 .....ったく、何時までもトリシアべったりで。本当に邪魔な女だ。


 そう思いつつも今は口を挟まない侯爵令息。さすがに傷心の少女を鞭打つほど鬼ではないようだ。


 だがその顔が、如何にも忌々しげに歪んでいたのを姉妹は知らない。




「トリシア嬢を婚約者にっ?!」


 ところ変わって場所は王宮、国王の私室。

 そこでは王太子と、仰々しく頷く国王陛下が向かい合わせに座っている。沈痛な面持ちの王妃も同席していた。


「アルフォンソの事は残念だったが、今も捜査を続けておる。いずれ下手人も明らかになろう。だから、今度はお前の番だ。この忌々しい空気を祝い事で塗り替えたいのだよ」


 弟が死んで一ヶ月。国が規定する喪は明けた。だがそれで遺族達の心の傷が癒えた事にはならない。


 我が子を失ったというのに、何だ? この二人は?


 未だ辛そうに扇の下で嘆息する王妃はまだしも、父王は顔色も変えず、聖女を婚約者にしろと迫ってくる。

 国王の落ち窪んだ眼窩奥に淀む不気味な光芒。

 胡乱げなその光芒を見て、得体の知れない恐怖が、ぞわりと王太子の脇腹を撫でていった。

 取り敢えず考えてみると決断を保留し、彼は暇を告げ、慌てて王の私室から逃げ出すと大きな溜め息をつく。

 こめかみに冷や汗が浮き、あまりの虚脱感に今にも倒れてしまいそうだった。


 .....まさか?


 彼は脳裡を過る嫌な想像を振り払うかのように足早に自分の宮へと駆けていく。




 後日呼び出したカシウスは有り得ない話を王太子からされた。

 国王がアルフォンソを殺したのかもしれないと。


「.....まさか?」


 固唾を呑む親友に小さく首を振り、王太子はとつとつと言葉を紡いだ。


「.....状況的に、アルの食事や飲み物へ毒を混入出来るのは同席者だけだ。信用のおける料理人が作り、毒味もあった。.....あとの可能性は、手渡す者だけだろう? 給仕の者達を介して皿や杯に手を触れたのは?」


 カシウスも知っている。国王主催の会食に参加した事があるからだ。一人一人に労いをかけ、食事や杯を渡すのは主賓たる国王夫妻のみになる。

 取り分けるだけの給仕では、アルフォンソを狙って毒を仕込むことは不可能だった。誰にどの皿が回るのか分からないのだから。

 確実に毒を盛れるのは国王夫妻だけである。


「我が子を殺すなんて..... 理由は?」


「そなたが一番良く分かっておるのではないか?」


 悲痛な面持ちで流された王太子の視線がカシウスの心臓を貫いた。


「.....トリシア?」


「だろうな。アルとファビア嬢が婚姻したら、国内の派閥の力関係を崩さぬよう、トリシア嬢を王妃に着ける訳にはいかなくなる..... つまり、聖女を私の婚約者に据えるため..... 邪魔になったアルを.....っ、あの人でなしがっ!!」


 唾棄するように吐き出し、王太子は俯いて肩を震わせる。あまりの怒りにガタガタと音がたつほど大きく震える親友を呆然と見つめ、カシウスも言葉がない。


 .....え? トリシアが?


 茫然自失で座り込む二人。


 だが、彼らの嫌な予感は当たり、後日あらためてトリシアへ王家から婚約の打診が行われるのだった。


 ファビアの眼が炯眼に光り、その使者を睨めつけているとも知らずに。

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