第13話 新学期 ~護衛騎士~


「心配しておりました。御不自由はありませんか? 少しお痩せになったのでは?」


「大丈夫です。教会の食事は野菜中心の薄味なので、余分な贅肉が落ちただけですわ。身体はとても好調ですの」


 教会がというより、貴族の食事が重く濃い味付けなだけである。頻繁に御茶会などもやるし、高カロリー摂取はもはや上流階級の宿命だ。事実、そのせいで多くの者が若くして成人病を患う。

 そんな事も知らないカシウスらは、ややスッキリとしたトリシアの姿を心配げに見つめた。


「御遠慮なさいますな。食事に不備があるなら王家から進言いたします」


 かすかに眼を細めて呟くアルフォンソにトリシアは呆れたかのような視線を向ける。


「わたくしが望みましたのよ? 神殿側はちゃんとした食事を用意してくださいましたわ。けど.....」


 そう。トリシア専用の宮に用意されたのは貴族達と変わらない豪奢な食事。絶対にトリシア一人で食べきれる量ではない。

 唖然とした彼女は、余った食べ物はどうなるのかと給仕の巫女達に尋ねた。


「残ったモノは我々や他の神官達などに下げ渡されます」


 その言葉を聞いてトリシアは得心顔で頷き、ならば最初から皆で食べようと提案したのである。

 幸いトリシアの宮の食堂は広間を兼ねていて広い。ここに皆の食事を持ち寄り、大勢で食べたいと。

 驚嘆し、畏れ多いと固辞する巫女らを説き伏せ、彼女は無理やり宮の者達を集めた。


 そして唖然とする。


 トリシアの宮の巫女や神官らに支給されていたのは野菜だけの温物と固いパン。あとはくし切りの果物一欠片。


「.....いつもこのような御食事なの?」


 問い掛けるトリシアに、神官らが慌てて言い募る。


「誤解なさらないでくださいませ、聖女様っ! 我々は後から下げ渡しを頂きます。だから質素なのです」


 ああ、とばかりにトリシアも小さく頷いた。

 先に身分のある者が食事をし、その残りが回される。それと共に食べるのなら、温物やパンだけでも十分だろう。


「なら良かったわ。さあ、皆でいただきましょう」


 優美な笑みで両手を軽く合わせ、さも幸せそうにトリシアは食事を始めた。

 最初に自分の分を取り分けてもらい、あとは宮の者達に分け与える。宮の者達は、あまりの畏れ多さにおっかなびっくりでぎこちなかったが、賑やかな食卓で嬉しそうなトリシアにつられ、しだいに緊張を緩めていった。

 和やかに食事を進めつつ、ふとトリシアは神官らの温物に興味を抱く。

 乱雑に切り分けられた野菜がゴロゴロと入った器。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、他色々。有り合わせの野菜で作られるという温物は見かけ地味だがトリシアの好物ばかり入っていた。

 普段の食事でも、彼女は脂っこくて味の濃い料理に辟易している。いつも食事もそこそこで食後の果物ばかりを食べていた。

 そんなトリシアには、素材そのままで汁まで透き通った神官達の温物がとても美味しそうに見える。


「ねぇ? それ、わたくしにもいただけませんこと?」


 興味津々な彼女の顔に、宮の者達が絶句したのは言うまでもない。




「.....という訳で、神殿の料理が、わたくし好みでしたの。すごく♪」


 幸せそうに両手で頬を包むトリシア。

 塩のみの素朴な味付けの温物は、彼女に絶賛され、ただいま神殿のブームと化している。

 半信半疑なカシウスだったが、詳しく聞いたところ、トリシアがすっきり好調な姿を見て、彼女と同じように贅沢な料理三昧だった司教などがトリシアの真似をしてみたらしい。

 さすがに食卓を他の者と共にはしないものの、必要な分を少なめに取り分け、代わりに神官らと同じ温物を添えるようにしたのだとか。

 味の薄い温物をあまり美味しいとは感じなかったらしいが、聖女様がされているのだからと、薬を飲むような気持ちで続けてみたらしい。


 しかし、その効果は覿面。みるみる恰幅の良かった司教らの体積が減ってゆき、さらには腰痛や関節痛も激減する。体調もすこぶる良くなり、聖女様の奇跡と呼ばれるようになったとか。


 .....当たり前のことである。


 肉食中心の貴族の食卓。しかも濃い味付けでアルコール付きとくれば、これはもう肥満と病気まっしぐらだ。

 若いうちは身体がカロリーを消費してくれるし大した違和感もないだろう。しかし日常的な不摂生は歳を重ねてからドカンっとやってくる。

 消費しきれなくなったカロリーが贅肉となり、ビタミン不足の体内は濁り澱んでいく。そして血管が詰まり、あぼんするのだ。

 女性のように甘い物が好きで、果物などを多く口にしていれば幾らかは押さえられるが、男性の多くは甘味を好まない。

 口直しに一口二口が精々だ。これではとても欠乏したビタミンを補うのにあたわない。

 結果、男性は早死にするのである。女性とて程度の差だった。

 平民と違い、長く医者にかかったり出来るので、そこそこの延命が叶うだけ。


 そんなことは知らないトリシアだが、自分好みの食事を見つけて御満悦。

 聖女様の真似で体重が落ち、健康的になった神殿の者達も大満足。

 今では薄味の温物や果物が主体となり、神殿の食事事情は随分と様変わりしていた。

 もちろん我慢し過ぎはない。それなりの肉や魚も提供されている。


 何事も程ほどが一番なのだ。


 トリシアの日常が平穏なのだと納得し、四人は食事をとるべく席を立った。

 学院では身分を鑑みない。鑑みるとすれば、入学や卒業プロムなどのイベント時くらい。その他では王族も貴族も等しく学んでいた。極僅かだが、才能を見出だされて通う平民らも同様だ。

 なので王子であろうとも自分の食事は自分で選んでテーブルへ運ぶ。


「今日のお食事は何にしようかしら」


「日替わりで提供される魚が美味しいとききます、それにしませんか?」


 トレイを手にして楽しそうなファビアにアルフォンソが話しかけた。

 そういたしましょうと微かに頬を赤らめる妹に、トリシアは安堵の溜め息を漏らす。


 良かったわ。仲がよろしいみたいで。


 じっと二人を見つめているトリシアにカシウスは底知れぬ苛立ちを感じるが、それを上手く隠し、彼はトリシアにもトレイを渡した。


「僕らも行こう? 久々の再会なのだし、話したい事や聞きたい事も沢山あるんだよ?」


 紳士然とにこやな笑みを浮かべる元婚約者は、悪戯げにウインクをし、トリシアの心臓を高鳴らせる。


 やだわ、もうっ


 限りなく優しいカシウスと連れ立ち、バイキング形式に並べられた料理へと向かうトリシア。

 彼女はその背後から見据える複数の双眸に、まだ気づいていなかった。




「美味しい」


「うん、本当ですね。これは当たりだ」


 思わず口許を押さえて眼を見開くファビアに相槌を打ち、アルフォンソも口角を綻ばせる。


「.....殿下。そのような言葉を何処で?」


 高貴な王子に垣間見える粗野さに首を傾げるトリシア。神殿で暮らすようになって、彼女は市井の者らと触れるようにもなった。そのため、色々なスラングも耳にする。

 当たりなどという言葉を、こういうシチュエーションで貴族は使わない。


「アルは最近、色んな所へ出掛けてるからね。市井にも」


 唖然と呟くトリシアに、カシウスは意味ありげな含みを持たせて、にやりと笑った。


 つまり、貴殿方と悪い遊びをしておられるのね?


 トリシアが言葉にせずとも、その据えた眼差しから察したのだろう。あからさまに泳ぐカシウスの眼。


「あ、いや、僕は違うから。うん」


「え? シウの案内ですよ? 屋台とか、ギルドとか、酒場とか」


 酒場っ?!


 ぎょっと眼を見開くトリシアを見て、カシウスが慌ててカトラリーを置く。ガチャンと耳障りの悪い音がテーブルに響いた。


「アルっ!」


 何が悪いのか分からない王子は、きょん? と眼をしばたたかせている。


「後で二人っきりで少しお話しいたしましょうか? カシウス」


「.....はい」


 彼女から何を言われるか戦々恐々としつつも、二人っきりというカシウスにとってだけパワーワードな言葉に、彼は思わずほくそ笑む。


 .....と、そこへ誰かが声をかけてきた。


「あつかまし過ぎませんこと? 聖女様?」


「はい?」


 反射的に振り返ったトリシアの視界に映るのは見知った御令嬢。我が国の双壁に謳われる公爵家。その片翼の御令嬢だった。

 見事な赤毛と灰青の瞳を持つ少女。名前をリュシエンヌ・アデライードという。


「これはこれは、公爵令嬢。お久し振りでございます」


 トリシアも遠目しにか会ったことはない。母の代理で参加した園遊会や御茶会で何度か目にしただけの御仁だった。

 恭しくカーテシーをするトリシアを冷たく見据え、リュシエンヌは唾棄するように吐き捨てた。


「お久し振り? 貴女と会ったことなどないわ。それより、貴女、聖女様なのでしょう? 男性に囲まれて食事などしていても宜しいの? はしたない」


 はしたない?


 思わぬ言葉に絶句し、慌ててトリシアは周囲を見渡す。しかしそこには男女問わずテーブルに着く学生達がいた。

 ほっと胸を撫で下ろして、彼女はすうっと背筋を伸ばす。


「みんな男女ともに食事をなさっておられる御様子です。はしたないとは何を指しておられる言葉でしょうか?」


 凛と放たれた良く通る声。それを耳にして、何事かと数人の生徒らが振り返った。

 怯まぬトリシアに苦虫を噛み潰し、リュシエンヌは呪詛のように低い声で呟く。


「仮にも聖女たる者が男性に媚びを売るなどあってはならないでしょう? 王太子様という方がありながらっ!」


 今度こそ本当にトリシアは絶句する。


 王太子様? 何の話?


 忌々しげに睨みつけてくる公爵令嬢を訝しげに見つめ、トリシアが疑問を口にしようとした瞬間、大きな影が二人の間に進み出てきた。


「そこまでです。アデライード公爵令嬢。それ以上申されるのであれば、王家に報告いたします」


 居丈高な口上を耳にしてトリシアは顔を上げた。そこに立つのはアルフォンソの護衛騎士。

 たとえ平等を謳った学院であっても王族は別格だ。国家の中枢に関わる要人の身辺に護衛がつかない訳はない。

 学院そのものが警備対象の兵士らと別で、アルフォンソ個人の護衛もいたのである。


 それに気づかなかった公爵令嬢。


 彼の存在は公言されていない。普段は距離を取り、目につかぬよう待機していた。それが出てくる事態に陥らせた元凶はリュシエンヌだった。

 騎士の名はラウール。当年とって十四歳の準騎士である。アルフォンソの入学に合わせて護衛としての訓練を受け、一時的な騎士の称号を王家から受け取っていた。

 彼自身が卓越した魔力と魔法の使い手でもあり、隠密的な護衛に向いていたためだ。

 本人は成り上がり男爵家の息子だが、彼の父親が成り上がった理由は氷の魔力の発現。

 十二歳の洗礼で賜る魔力。その殆どは四大元素の魔力だ。いずれかの聖霊の祝福を受けて顕現する。

 しかし極稀に、複数の聖霊から祝福を受ける者がいた。トリシアのように全てではないが、そういった者には複合魔力という力が発現する。

 雷や氷と言った稀有な属性を賜るのだ。複合魔力を授かった者は一代限りだが爵位をいただく。それがラウールの父親である。

 しかも、その子供であるラウールにも氷の魔力を賜ったため、この爵位は継続された。

 こうして稀有な属性と魔力を持つラウールは、アルフォンソと歳が近いこともあり、暫定的だが騎士となって護衛に任命されたのだ。

 トラブルがなくば、アルフォンソの卒業まで姿を現す予定ではなかったが、こうなっては仕方無い。


 彼の魔力同様、凍てついた光を宿す眼に見据えられ、公爵令嬢は思わずたじろいだ。

 しかし周りの眼もある。高位の貴族として無様な姿は見せられない。


「.....聖女様に人道を教えて差し上げただけですわ。男性らにちやほやされて悦に入るなどはしたないと」


 その台詞はテーブルにいた男性陣のみならず、ファビアの逆鱗をも刺激した。

 ガタンっと勢い良く席を立つ。


「わたくしが婚約者であるファビア以外に鼻の下を伸ばしていると申されるか? 心外だな」


 ぎらりと睨めつけるはアルフォンソ王子。最愛の女性の前で侮辱され、ここは譲れないとばかりに公爵令嬢へ詰め寄った。


「国の事情で引き離された姉妹が一時の交流を喜んで何が悪いのでしょうか? 婚約者であるアルフォンソ様と席を同じにして、何処がおかしいと?」


 軽く胸を張り、あからさまに鼻白んだ顔で公爵令嬢を見下ろすファビア。身分差を考えたら、とんでもない横柄な態度だが、ここは平等を謳う学院。何の問題もない。


「好いた女性と懇意にするのは当たり前でございましょう? むしろ可愛いトリシアを見てくれと周囲に叫びたいくらいですよ、僕は」


 しれっと宣う侯爵令息。思わぬ惚気に、周りの生徒らが失笑する。

 好意的で暖かな失笑に、トリシアは何が起きたのか分からなかった。


 学院の生徒は知っている。彼女が妹御のために王家と対立した事を。思い合う婚約者と別れた事も。

 その彼らがトリシアを守ろうとするのは当たり前だ。むしろそれを詰ろうとする公爵令嬢こそ浅慮が過ぎるだろう。


 眼は口ほどにモノを言う。


 非難じみた視線の集中砲火にさらされ、今度こそリュシエンヌは狼狽えた。


 何故、そんな眼で見るの?


 ささくれだった周囲の雰囲気。リュシエンヌはギリギリと奥歯を噛み締める。


「この売女がっ! カシウス様のみならず、王太子様まで誑かしたくせにっ!」


 がっとテーブルに手をかけ、公爵令嬢はそのテーブルクロスを力一杯引いた。

 声もなく驚いた人々の目の前で飛び交う食器の類い。その全てはトリシアの周囲を回り、彼女に降りかかった。


.....が、ほんの半髪で、時間が停止したかのように固まる風景。


 差し出されたラウールの手から網目のように放たれた冷気が、空気すらも凍らせるように食器やクロスを繋げていた。


 結果、空中で静止するアレコレ。


 ふぅっと小さな息を漏らし、凍らせたモノ全てを砕くラウール。


「.....王家へ報告します」


 眼をすがめて睨めつけられ、公爵令嬢は顔を真っ青にして逃げ出した。

 一体、何が起きたのか分からないまま微動だに出来ないトリシアを、カシウスが抱き締める。


「シアっ、大丈夫だから。絶対に守るよ? 顔を見せて? 何処か痛いところは?」


 情けない顔でトリシアのあちこちを確認して、カシウスは泣きそうな顔をした。

 その脆く儚げな瞳を見つめ、ようようトリシアは意識と視界が一致する。

 あまりの衝撃で、彼女はまるで白昼夢を見ている気分だった。


「一体、何が起きたのか..... 全く理解出来ませんでしたわ」


「理解しなくて良い。シアは僕だけを見てて。あんなアバズレは視界にも入れないでね」


 仮にも公爵令嬢に対して、えらい言い様である。


 アルフォンソとファビアは顔を見合わせて噴き出した。それにつられ、周囲の生徒らも笑い出す。

 そんな彼等を余所に、ラウールは新たなテーブルを用意してトリシア達に声をかけた。


「要らぬ邪魔が入りましたが、よろしければこちらで続きを」


 言われて振り返った四人は、綺麗に軽食や御茶の設えられたテーブルに眼を丸くする。


 あの大騒ぎの後で、よくもまあ..... 冷静にも程があろう。


 唖然とした四人だが、次には柔らかな笑みを浮かべてテーブルに着く。

 トリシア達は穏やかに昼食を続け、正体のバレてしまったラウールは、しれっとアルフォンソの背後に仁王立ちした。

 こうして平穏とは程遠い、彼等の学園生活がスタートしたのである。


 この時が彼等の一番幸せな時間だった。


 まさか、この幸せが木っ端微塵にされる未来が用意されているなどと、今は誰も知らなかったのだ。

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