第12話 学園生活 ~新たなる問題~


「では行って参ります」


「お気をつけて」


 専属の側仕えに見送りを受け、トリシアは馬車で学園へと向かった。

 神殿に居を移しはしたが、彼女が聖女であり貴族である事は変わらない。

 トリシアは身分に準じた生活をする権利がある。当然、学園に通う事も許されている。

 カシウスに贈られた制服を身につけ、彼女はほんのりと笑みを浮かべた。


 これを身につけているとカシウス様と居るような気になるわ。あの方を感じる。


 生活は一変すれど、トリシアは変わらない。彼女は学院という新しい世界に胸を踊らせていた。




「トリシア・カストゥールと申します。以後よしなに」


 彼女に割り振られた教室は上級貴族らの特別教室。アルフォンソやファビアも同じクラスだ。

 王族や公爵系が雁首を並べるそこで、トリシアは綺麗な御辞儀で自己紹介を締める。

 周囲の生徒らは席についた彼女を感嘆の目差して見つめ、誰ともなく溜め息を漏らした。


「では、これから二年間、初等科で学ぶ面々です。切磋琢磨し、御互いの向上に努めてくださいね」


 担任であるハルベルト・レンツォーリが優しく子供らを見渡した。こうして、トリシアの学院生活が始まる。




「御元気そうで良かったですわ、御姉様」


「本当に。兄上も心配しておられました」


「ありがとうございます。わたくしは大丈夫。神殿の方々には良くして頂いております」


 微笑む二人に、柔らかい笑顔で返すトリシア。


 本当に神殿では良くされている。


 少々辟易するほどに。


 トリシアには部屋でなく宮があてがわれ、宮の周囲は物々しい警備がしかれていた。

 然して大きくはない宮だが、それでも豪奢で部屋数は七つ。

 大きな主寝室と私室。勉強に使う書斎と応接室。人を招けるホール兼食堂もあり、残り二つは客間だった。

 彼女一人のために用意されたと知り、思わず気が遠くなったのは忘れられない。


「数百年ぶりの聖女様ですからね。神殿長も力を入れております」


 自慢気な司教を唖然と見つめ、トリシアは人知れず小さな溜め息をつく。


 御部屋を一つ頂ければ十分でしたのに。


 神殿での生活は、平穏から程遠いスタートを切った。




 思わず貼り付きそうになる笑顔を上手に隠し、トリシアはファビアを見つめる。




「貴女も元気そうで何よりだわ。御勉強はすすんでいて? 御父様達は御元気?」


 王宮の一件から五日。


 会談の後、すぐにトリシアは荷物を纏めて神殿に移り、王家の干渉をはね除けた。

 娘の別居を心配する両親だったが、国王陛下の対応を目の当たりにし、これが最善なのだと納得してくれる。

 両親にとって聖女うんぬんはどうでも良いのだ。娘らの幸せが一番大切であり、一瞬であろうとも、その二人を奪おうと画策した王家には、深い猜疑心を抱いていた。

 そんな二人とファビアに見送られ、やってきたトリシアを神殿は暖かく迎えてくれる。


 かなり暑苦しいほどに。


 内心、苦虫を潰すトリシアに、ファビアは小さく頷いた。


「ええ、御二人とも御元気です。時々寂しそうにもしておられますが、わたくしが御姉様の事を御伝えすると言ったら、嬉しそうにしておられました」


 ファビアの言葉に、トリシアの胸がチクリと痛む。

 致し方無かったとは言え、勝手に決めて出奔同然に出てきてしまっのだ。両親の心痛は如何ばかりなものだろう。


 ごめんなさい、御父様、御母様。


 微かに表情の曇ったトリシアに気づき、アルフォンソが声をかける。


「御昼はカフェテリアへ御一緒いたしませんか? .....カシウスも待っております」


 囁くような後半部分に、トリシアの顔がぱあっと煌めいた。


 そうだわ、学院ならば自由にカシウス様と逢える。


 久しぶりな婚約者との対面。期待に胸を踊らせ、はにかむ初々しいトリシアを、複雑な目差しでファビアが見ていた。


 


「こちらです、トリシアっ」


「カシウス、お久し振り」


 トリシア達がカフェテリアに入ると、奥の席でカシウスが立ち上がる。

 臆面もなくブンブンと手を振り、まるで子供のような顔で眼を輝かせて。

 仔犬みたいに全身で喜びを表すカシウス。

 そんな彼の姿に、アルフォンソは眼を見開いて茫然とする。

 王宮で見る、静かで鋭利な雰囲気の彼とは似ても似つかない。


「兄上とおられる時は、物凄く大人びた方だったのですが......」


 思わず眼を座らせながら、アルフォンソはチラリと横のトリシアに視線を振る。

 トリシアはアルフォンソの言葉を聞いていないようで、彼女も喜色満面にカシウスへ駆け寄っていった。


 ああ、似た者同士なんですね。


 アルフォンソは生温い笑みを浮かべ、ふと同じ笑みをはいたファビアに気がつく。

 だがファビアのそれには、言い知れぬ複雑なモノも含まれており、切なげな苦笑も混ざっていた。


「大丈夫ですかファビア。どうかしましたか?」


 心配そうに彼女の顔を覗きこむアルフォンソに、ファビアはしっとりとした笑みを返す。

 それはトリシアによく似た上品な微笑みだった。


「大丈夫ですわ、アルフォンソ様。御姉様が嬉しそうにしておられるのが少し苦しくて。早く御二人にも幸せが訪れて欲しいものです」


 ああ、とばかりにアルフォンソも頷いた。


「そうですね。彼等のことは兄上も気にかけておられます。悪いことにはならないでしょう」


 ファビアの話に納得しつつ、アルフォンソは敬称を頑なに外さない彼女を恨めしく見つめた。

 学院という公の場である事を差し引いても、少し他人行儀が過ぎる感じがする。


 いずれは..... いや、今すぐにでも呼んで欲しい。アルフォンソと。


 敬称なしで御互いを呼び合うカシウス達が妬ましかった。

 そんなアルフォンソの心も知らず、ファビアは複雑な面持ちでトリシアとカシウスを見つめる。


 御姉様もカシウス様にお心を寄せられたのかしら。カシウス様は素敵な方だもの。仕方無いわよね。

 でも..... わたくしがカシウス様をお慕いしていると御存じなのに。.....酷いわ、御姉様。


 これも致し方無い事。


 恋でなくとも情は育つ。ファビアとてカシウスに恋心を抱きながらも、アルフォンソにだって情を寄せていた。

 全身でファビアへの好意を表すアルフォンソを嫌える訳がない。

 事細かに労り傍にいてくれる殿方に心が寄り添うのは当たり前だろう。


 御姉様も同じなのかしら。


 複雑な胸中を上手におし隠し、ファビアはアルフォンソと共にトリシア達のテーブルへ向かった。


 この後に起きる不条理極まりない大騒ぎを、今の彼等に予測する事は不可能だった。

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