第11話 神の花嫁 ~最強説~


「本当に神殿に入るのかい? まだ十二歳なのに」


 王宮の一室。来客用の貴賓室には司教様とトリシアと父伯爵。それに何故か国王陛下と王太子。

 ファビアとアルフォンソは別室で婚約の継続その他の話をしていた。そちらには母親がついている。

 困惑気に問い掛ける伯爵を見つめ、トリシアは小さく頷いた。


「このままでは、せっかくのファビアの婚約が白紙になります。さらには国内での良い縁談が遠退き、他国に嫁がせられかねない状況になるでしょう」


 先を見据えた彼女の言葉に、国王陛下は絶句する。それは確かに家臣達の話題に出ていた話だからだ。

 聖女の妹なら良い条件で他国に嫁がせられると。この良い条件というとは国にとってであり、伯爵令嬢にとってではない。

 ぐぬぬと顔をしかめる父王の横に座る王太子は、小気味良さそうな顔で人の悪い笑みを浮かべていた。


 これは良い。父より彼女のが上手だ。


 ほくそ笑む王太子とは対照的に、伯爵は娘の話に言葉を失う。

 言われてみれば確かにその通りだった。危うく娘を二人とも失う危機だったのだと自覚し、伯爵は神妙な面持ちで頷いた。


「ファビアがアルフォンソ様と結婚し、跡取りの不安が無くなれば、わたくしも身の振り方を考える事も出来ますが。万一、ファビアが他国に輿入れするのならついていきます。二人きりの姉妹です。寂しい思いはさせません」


 トリシアは二人の婚姻を邪魔するのであれば、あなた方は聖女を失うぞと辛辣に言外へ含ませる。

 二人の婚約が解消されればファビアは他国に嫁ぐしかない。そうなればついていく。本気だった。


「そんな勝手は許されぬぞ」


「許されますよ。わたくし神の花嫁ですから」


 真っ赤な顔で唸る国王陛下の言葉をトリシアはさっくり叩っ切る。


「神殿に国境はありません。神の花嫁が何処の神殿を訪れようが、わたくしの自由なのです」


 花も恥じらう満面の笑みのトリシア。その横では司教様が大きく頷いていた。


「その通りでございます。むしろ神殿は聖女様に多くの国々を訪れていただき、祝福を待ち望んでおります」


 にっこにこな司教と正反対に、国王の顔がさらに歪んでいく。その怒りはトリシアの親である伯爵へと向いた。


「カルトゥール伯爵、そなたの娘御は何を考えておられるのか。国王に誠心誠意仕えるのが貴族であろう」


 言われて伯爵は微かに眉を潜める。

 しかしトリシアの話を聞くまで、王家が娘を二人とも奪おうとしているとは気づかなかった。

 多少の意趣返しもかねて、伯爵はシレッと口を開く。


「いえいえ、我が子ながら立派な物です。こんな幼いのに神に仕えようとは。王家にとっても喜ばしい事でしょう?」


 神々のが王家より上なんだよ。違うとでも言うのかい? 神殿に強行手段が取れるとでも? 世界中を敵に回すぞ?


 言外に含まれる不穏なメッセージ。


 もはや泡を噴きそうなほど国王は激昂している。

 眼を白黒させて頭から湯気をたてる父王の姿に我慢出来ず、とうとう王太子が噴き出した。


「父上の負けですよ。国王の横暴が全て罷り通るなら、法律など必要ない。騎士など御飾りだ。それはもう国ではない。貴族らとて大切な国民なのです。蔑ろにしてはいけません」


「おまっ、わしはお前のために.....っ」


「御自分のためでしょう? 私は弟や友人から婚約者を奪う愚か者になどなりたくはないです」


 据えた眼差しで国王を睨めつける王太子。全力で拒否する彼は、議会が可決し強行した今回の婚約劇に怒り心頭なのだろう。

 その様子を眺めながら、落ち着くところに落ち着いた周囲の雰囲気を察し、トリシアはやりきった満足で思わず笑みが浮かぶ。


 良かったわ。あとはファビアとアルフォンソ様の結婚を見届ければ自由になれる。

 カシウス様は待っていて下さるかしら。あの二人が婚姻年齢になるまで、残り六年。

 長いわね..... 期待するのはよしましょう。


 哀しげに眼を伏せて、トリシアは口元を扇で隠し嘆息した。


 侍従に指示を出しながら、それを眼の端に捉えた王太子は彼女の心を慮り、少し気まずげに呟いた。


「今回の事は本当に申し訳なかった」


 トリシアは彼の呟きを拾い、軽く瞠目する。


「私も婚姻年齢近い。なるべく早く婚約者を定めるので待っていて欲しい」


 王太子は御歳十七歳。婚姻年齢まであと一年だ。彼が婚姻さえすれば、すぐにトリシアは自由になれる。


「ありがとう存じます。でも、わたくしも覚悟の上でしたから。妹が結婚するまでは神の花嫁として、神殿にお仕えしとうございますわ」


 しっとりと微笑む大輪の華。その美貌も相まり、何とも存在感に溢れ、艶やかな風情のある御令嬢だ。

 内面が外見に出ているという見本のような女性。

 うっかり見惚れていた王太子は、くしゃりと顔をしかめ心の底から得心する。


 これは溺れるな。カシウスが羨ましい。


 先程までの切れるような舌戦。国王陛下をも黙らせる用意周到な根回し。知識を総動員したであろう攻防。国の事情も神殿の理も熟知した口上。

 賢く頭の回転が速いのは間違いないし、知識量も相当な物だ。

 何よりこの美しさ。誰もが否応なく眼を奪われる事だろう。


 そこまで考えて、王太子は瞠目した。


 自分の傍らに立つ王妃として、彼が脳裏に描いていた理想像が目の前にいる事に気づいたのだ。


 さらには妹のために潔く己を犠牲にする高貴さ。不味い、本当に理想の王妃じゃないか。

 いや、彼女はカシウスの婚約者だ。今は白紙だが、いずれ..... 私が婚姻すれば。


 婚姻? 誰と?


 こんな理想像を間近に見て、どんな御令嬢を選ぶと? 彼女に勝る女性など存在するのか?

 しかも彼女は数百年ぶりに誕生した聖女である。


 思わず真剣な眼差しでトリシアを見据えてしまい、視界の中の彼女が不思議そうに首を傾げた。


 歳相応の無邪気な瞳。可愛いすぎだろう。なに、この可愛い生き物。さっきまでの舌戦で見せた鋭い雰囲気は何処にいったんだ?


 ああああ、そうじゃない、違う、彼女はダメだっ!!

 約束しただろう? カシウスの新しい恋を応援するってっ!!


 一人脳内会議でのたうつ王太子を余所に、王太子から指示を受けた侍従が、別室の伯爵夫人へ伝令に走る。


 言付けを聞いた伯爵夫人は、ファビアに柔らかく微笑んだ。


「トリシアに軍配が上がったようよ。こちらの婚約は継続ですって」


 伯爵夫人の言葉に、ファビアとアルフォンソが顔を見合わせる。その顔は歓喜に彩られていた。

 アルフォンソの隣に座っていた王妃は、軽く遠い眼をして嘆息する。


「あの人、負けたのねぇ。ホントに惜しいわ。上の御嬢様、綺麗だし侯爵夫人が認める程の淑女だし、何より聖女になられたのに。不甲斐ない男どもね」


 ふわりと微笑む美女。


 ゾクリとする魅惑的な笑みに、いきなり室内の温度が下がったような気がする。


「まあ、仕方無いわ。こちらは継続ね。良かったわね、アルフォンソ」


「はい、母上。ありがとう存じます」


 王妃は軽く扇を振って、目の前に置かれた婚約解消の書類を下げさせた。

 そして手を取り合って喜ぶ小さな二人をチラ見しつつ、王妃は扇の下で人の悪い笑みを浮かべる。

 彼女は王太子が幼い頃から、理想の王妃の話を延々聞いてきた。

 そんな完璧な御令嬢、いる訳ないでしょうと何度も宥めてきた。


 それが居たのよねぇ。まさかの我が国に。


 今回の事で調べあげたトリシアの経歴。容姿や雰囲気に至るまで王太子の理想像にドンピシャである。


 あの子が我慢出来るかしら?


 長年脳内妄想で構築してきた理想の王妃。


 これから起きるだろう争奪戦を思い浮かべ、一人密かに王妃は妖しく嗤った。

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