第10話 最後の砦 ~神の花嫁~


「わたくし、神殿で巫女になりますわ」


 人々が水を打ったかのように鎮まり返る。


 ここは王宮。


 トリシアはカシウスやファビア、その家族らとともに国王陛下に呼び出された。

 その話の内容はカシウスとの婚約解消。さらに王太子との婚約。そしてファビアと第四王子の婚約解消だった。


 当然のように粛々と命令をする国王陛下。苦虫を噛み潰したかのように渋面な王太子。

 絶望に顔色を失うカシウスと第四王子。驚愕に身動ぎも出来ない、双方の家族。


 そしてトリシア。だが彼女だけは不敵な笑みを浮かべていた。


 あの一件以来、両親の態度が可笑しかったし、神殿から度々人がやってくる。

 不審に思ったトリシアは、持てる全ての知識を総動員して聖女の歴史を調べあげた。


 聖女とは四大精霊の加護を受け、光の魔力を持つ者を言う。光の魔力は結界を司る唯一の力。

 四大精霊の御加護でほぼ全ての魔法も使え、魔法のエキスパートと言う立ち位置だ。

 それだけの力がある者を王家が見逃すはずはない。

 国全体を覆える結界。これだけでも鉄壁の防御が張れるのだから、戦にでもなれば垂涎の能力である。


 わたくしにそんな大層な力が備わった気は致しませんが。


 確かに過去の文献では聖女の嫁ぎ先が王家ばかりだと記されてあった。しかしそれ以外にももう一つある。


 それは神殿に入り、神の花嫁となることだ。


 ほんの数人だが王家に嫁ぐのを厭い、神の花嫁を選んだ聖女もいる。

 彼女は思案を巡らせ、結果、冒頭の宣言を口にしたのだった。


 絶句したまま言葉もない国王。だがその横に立つ司教が喜色満面の笑顔で大きく頷く。


「本来あるべき聖女の決断です。人の欲望に呑み込まれず神に誓いをたてる。神殿は貴女様を歓迎いたします」


 好好爺な笑顔に涙すら滲ませ、司教はトリシアに歩み寄ると手を差し出した。

 感極まったたその手は震えている。

 それにそっと手を添えて、トリシアはカシウスを見た。

 予め話してあったとは言え、カシウスの驚愕や絶望が薄れる訳はない。


 トリシアは、少し前に四人で集まった御茶会を思い出していた。




「神殿に入るっ??!!」


 密やかに行われた姉妹と婚約者の御茶会。


 場所は伯爵邸の庭のガゼボ。その見通しの良さから、侍女や護衛も遠巻きに配置し、誰かに聞かれては困る話をトリシアは三人にした。

 ファビアとカシウスと第四王子アルフォンソ。


 驚愕一色な彼等に、これから起こり得るだろう話をとつとつとトリシアはする。


 聖女が生まれたとなれば王家が放ってはおかぬ事。現在婚約者のいない王太子にあてがわれるであろう事。それに伴い、カシウスとトリシアの婚約も、ファビアと第四王子の婚約も白紙になるだろう事。


 そこまで説明して、トリシアは切な気に苦笑した。


「聖女である事は変えようがないのです。ならばせめて、わたくしは妹を守りたい」


 その言葉にカシウスとアルフォンソは首を傾げる。


「わたくしが神殿に入り神の花嫁となれば、ファビアと第四王子の婚約を解消する理由はなくなるのです」


 あっ、とばかりに殿方二人は顔を見合わせる。その通りだった。

 トリシアが王太子に嫁がぬのであれば第四王子の婿入りを阻む必要はない。

 さらに言うなら、第四王子が伯爵家に婿入りしてしまえば、国の派閥のバランスを考え、トリシアを王太子と結婚させる訳にはいかなくなる。

 もっと言うなら、トリシアが神殿にいる間に王太子が正妃を迎えれば、晴れてトリシアは自由の身だ。

 王太子の正妃ともなれば、相応の身分を持つ女性なはず。その正妃を側室に落としトリシアを正妃にしようとはしないだろうし、まさか聖女を側室になどの望めるわけもない。


「つまり時間が解決するのを待つという事ですか?」


 アルフォンソの言葉にトリシアは頷いた。


「これしか方法が無いのです。たぶん、十年ほどかかるでしょう。それ以上かも..... だけど、わたくしはファビアに幸せになってもらいたい。わたくしも幸せになりたい。妹の不幸の上に得る地位など欲しくもないのです」


 一国の王妃の地位をいらないと宣うトリシアに、アルフォンソは眼を見開く。

 誰もが喉から手が出るほど渇望する地位だ。人を蹴落とし、身内すらも裏切る価値はある。


 だがアルフォンソは、ふと自分を振り返った。


 王子の地位を棄ててでもファビアと結婚したい自分。それを思えばトリシアの気持ちも理解出来る。

 人の幸せの前に地位など意味はない。


 得心顔で薄く笑むアルフォンソを余所に、カシウスがトリシアへ食ってかった。


「私はどうなるのですかっ? 共に幾久しくあろうと約束したではないですかっ!!」


 どうにもならない。


 そこにいる者達の心境は同じだった。

 相手は王家だ。どんな手を使っても抗いようがない。そんな事はカシウスにだって分かっている。

 聖女の肩書きが神の花嫁と言う逃げ道を残してくれた。それ以外に取りすがるモノはないのだ。


 やや視線を伏せ、トリシアは小さく呟く。


「何年かかるか分かりません。カシウス様も侯爵家の嫡男であらせられます。こんな茶番に巻き込む訳には......」


「巻き込んでくれっ!!」


 伏せ目がちなトリシアの手を取り、カシウスは泣きそうな瞳で彼女を見つめた。


「待つから。何年でも何十年でも..... だから、君が自由になったら結婚してください」


「....はい」


 承諾しつつもトリシアは、不可能だろうなと頭の隅で考え、人知れず嘆息する。

 侯爵家の嫡男が独身を貫くなど出来るはずがない。これだけ見目も宜しく賢い方だ。多くの魅力的な御令嬢が婚約者候補として群がるだろう。


 そんな麗しい御令嬢らに囲まれれば.... カシウスとて心が動くかもしれない。


 少し唇を噛みしめ、トリシアはカシウスを見つめた。


 それでも今は、わたくしを望んで下さっている。今だけは夢を見ても良いわよね?


 見つめ合う二人に、アルフォンソは痛まし気な眼差しを向ける。


 これだけ想い合う二人を引き裂くなど。神も酷い事をなさるものだ。


 第四王子は王太子が必死にトリシアとの婚姻を回避しようと動いていたのを知っている。 

 弟である自分と親友であるカシウス。その二人から婚約者を奪う現実に耐えられなかったのだろう。

 アルフォンソも国王からファビアとの婚約が白紙になる事を知らされ憤ったものだ。聖女となったトリシアを恨みもした。


 だが.....


 アルフォンソは、チラリとトリシアを見る。


 彼女は全てを理解し、飲み込み、最善を見いだした。最悪の中にも一条の光を掴み、ファビアと自分を守ろうとしてくれていた。

 本当の聖女とはこういうものではないだろうか?

 力や地位ではない。容姿や身分でもない。

 誰かのために自身を犠牲に出来る。そして自身の幸福も決して諦めない。

 貪欲に人々の幸せを求め、最善を尽くし、諦めない不屈の意志。これこそが聖女の正しい姿だろう。


 ほくそ笑むアルフォンソの瞳には小さな希望が輝いていた。


 それを余所に、ファビアは昨夜の話を思い出す。

 昨夜、ファビアはトリシアから淡々と説明を受けた。


 実のところ、ファビアはトリシアが聖女に選ばれた事を密かに喜んでいたのだ。

 学びを疎かにしなくなった彼女は聖女の殆どが王家に嫁ぐ事を知っていた。

 つまり、カシウス様の婚約者の座が空く事を意味する。

 抑えていた恋心が燃え上がるのも致し方無い事だろう。どんな手を使おうともカシウス様を手に入れたい。

 しかし、そんな事をファビアが思い付くのもトリシアは予測していた。


「王子との婚約が白紙になれば、貴女に傷がつくのよファビア。身分ある方との婚姻は絶望的だと思うわ」


 姉の説明にファビアは愕然とする。


 王子からの熱烈な申し出で始まった鳴り物入りの婚約だ。王子がどれ程ファビアに心を寄せているか、この国の貴族ならば誰でも知っている。

 そんな女性を娶ろうという気概のある貴族はいないだろう。ランカスター侯爵とて同様だ。

 しかも聖女の妹になったファビアの政略的価値は高く、他国の王族や貴族への輿入れも考えられる。

 他国への輿入れとなれば、知る人もなく慣れない風習やしきたりで、不自由な生活を強いられるのは間違いない。

 トリシアの見解が正しい事をファビアは否定出来なかった。彼女の背中にヒヤリとした物が伝う。


 それを思い返して、彼女は少し遠い眼で浅ましい己を嫌悪した。


 本当に..... どこまで愚かなのでしょうね、わたくしは。


 僅かでも邪な妄想を抱いた事が恥ずかしい。

 自分の初恋は、とうに終わりを迎えているのに未だ自覚が出来ない。諦められない。


 三種三様の思惑の中、家族と共に王宮に呼ばれた三人はトリシアの見解が正しかった事を知る。


 本当にその通りになるかは分からないが、そうなった時、神の花嫁になると三人には知らせておいたトリシア。

 最悪の想像は見事に当たり、絶句する国王を前に彼女は司教の手を取った。

 これすなわち、トリシアが神の花嫁として迎えられた事を意味する。


 神の花嫁になるのに形式や書式はいらない。本人の意志さえあれば良い。


 意に沿わぬ結婚を強いられた女性を救う最後の砦。これには王家も介入出来ない。

 神殿は完全に独立した権力だ。世界を跨いで繋がるこの組織に太刀打ち出来る国はない。


 多くの人々が世を見限り、身を投じた神聖なる砦。


 そこにまた一人、可愛らしい少女が加わった。

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