第9話 学園入学式 ~暗転~
「宜しいのかしら?」
「良いんじゃないでしょうか?」
怖じけるトリシアに、カシウスは人懐こい笑みで答えた。
入学式当日。二人は王族の席に案内されたのだ。
中央壇上には王と王太子。
通常の入学式には現れない二人だが、今期の新入生に第四王子がいるため祝いにやってきたらしい。
当然、第四王子の特別席もあり、何故かそこにカシウスとトリシアいる。
入学式だが、婚約者がいる場合はパートナーとして同席が可能だ。
もちろんカシウスはトリシアをエスコートする。
「義姉様となられるのですから、御遠慮なく。ランカスター侯爵令息も兄上と懇意になさっておられます。是非こちらへと申しておりました」
にっこり微笑むのはファビアの婚約者、アルフォンソ第四王子。
背の中程まであるプラチナブロンドを一つ結わきにし、薄い翠の瞳が印象的な少年だった。
カシウスの濃い黄金色な髪と違い、明るい色彩の穏やかそうな人物である。
同じように薄いストロベリーブロンドのファビアと並ぶと中々お似合いの二人に、思わずトリシアの顔が和らぐ。
良かったわ。優しそうな人で。
十個ほど並んだ円卓に其々の生徒が座ると、入学式が開催された。
前列のテーブルには生徒。後列のテーブルには父兄が座り、各々出された御茶などを嗜みながら談笑を交わす。
そして始まったのが精霊召喚の儀式だった。
低位貴族の生徒から始まり、神殿から持ち込まれたという神々しい水晶の原石に触れ、祈りを捧げると、そこに精霊が現れ祝福を授けてくれる。
輝く水晶の色が賜る魔力の色。
赤や青やと光る水晶に感激しながら、新入生達は精霊の恩恵を受け取っていった。
好好爺な司教様が、一人一人に祝いを述べ、簡単な属性の説明をしてくれる。
「貴方は水の魔力を授かりました。これは人を癒す事の出来る素晴らしい力です。精霊の恩恵に感謝を」
「はいっ、司教様」
「貴女の力は大地の魔力です。生産に特化した素晴らしい物。是非とも豊かな領地を作って下さい」
「頑張りますっ」
次々と祝福が終わり、いよいよファビアの番が来た。トリシアが真剣に見守るなか、彼女は焰の加護を得る。安堵で満面な笑みを浮かべるファビアと入れ替わり、トリシアも儀式に向かった。
緊張した面持ちでトリシアの柔らかな指が水晶に触れる。
途端、周囲にドンッと重い空気が降りてきた。
水晶が七色に輝き、重くのし掛かる空間に四色の光が渦を巻くように立ち上ぼり、トリシアの頭上には神々しく輝く金色の物体がある。
訳も分からず、トリシアは呆然とする。
え? なに? 何が起きたの?
燦々と光輝く光景。突然の事に声を失う人々。
金色の物体は人の形にも見えるが神々し過ぎて直視出来ない。
それがトリシアの前に降り立ち、そっと彼女の額に口付けると、微かに微笑んでその姿を霧散させた。
四方に立ち上った四色の光がトリシアに吸い込まれ、彼女の身体が仄かに発光する。
固唾を呑んで見守っていた司教様が絞り出すように呟いた。
「全属性と光の祝福.... 聖女の誕生です」
瞠目し、戦慄きながらトリシアの前に膝をつく司教。渾身の祈りを捧げている。
「なんと誉れな..... 精霊王の顕現と聖女の誕生を目の当たりに出来るとは.....」
うわごとのように呟く司教を見つめ、トリシアは困惑気味に周りを見渡した。
誰もが驚きに絶句している。
しかし、その中で二人だけ。別な面持ちで絶句する者らがいた。
カシウスはトリシアの額に口付けた精霊王に怒りも顕な剣呑な眼差し。
そして、もう一人。王太子がカシウスを見つめながら、驚愕とも困惑ともとれる面持ちをしている。
精霊王が顕現して聖女が誕生した事はその日の内に知れ渡り、世界が俄にざわめき始めた。
「ダメだ。彼女はランカスター侯爵令息の婚約者だ。一切の手出しは許さない」
王宮で声を荒げるのは王太子。
彼を取り巻く城の重鎮らを相手に、鋭い眼差しで威嚇している。
だが、重鎮らも全く退かない。
「しかし、過去の聖女達は皆王家に嫁いでおります。例外はありません」
大きく舌打ちして王太子は憮然と天を仰ぐ。
彼とてそのような歴史は知っていた。だから、あの場で思わずカシウスを見つめてしまったのだ。
カシウスは新しい恋をすると言っていた。
彼がトリシア嬢にベタ惚れなのは見てて分かる。散々惚気も聞いてきた。
入学式で見た彼女は慎ましやかで好感の持てる少女だった。
二人の仲睦まじい姿に安堵したのも束の間、この騒ぎだ。
私は一度、カシウスの恋を踏みにじっているのだ。二度も出来るかっ!!
ギリリと歯を噛み締める王太子。
実際はカシウスの復讐が王太子の思惑と合致しただけなのだが、彼の新たな恋を応援すると約束した王太子には、とてもトリシアを娶る気持ちにはなれなかった。
しかも彼女の妹が、弟王子の婚約者だ。
王太子がトリシアを娶るとなれば、第四王子の婚約が白紙になりかねない。
侯爵となるカルトゥール伯爵家の権力が嫌でも増し、国の政治バランスが崩れるからだ。
カシウスと弟王子。二人を犠牲にしてまで聖女を娶るなど、到底出来ない相談である。
「とにかくっ!! 国王陛下らとの相談が先だ。先走るなっ!!」
未だ不満顔な重鎮らを睨めつけ、王太子は不毛な会話を打ち切った。
とにかく相談だ。父上らと話をして、今回は聖女を娶らぬ方へ持っていかねば。
何とか最悪を回避しようと足掻く王太子。報われる事がないとも知らず、彼は虚しい努力をする。
渦中の人々を嘲笑うかのように、運命の歯車は、大きく軋みながら回り出した。
「だからですねっ、上書き..... いや、そのっ」
入学式も終わり、やたら回りくどい称賛の嵐を受けながらも貴族らの囲いから抜け出して自宅に戻ったトリシアは、目の前の光景に首を傾げている。
いったい何を仰っておられるのかしら?
目の前ではカシウスがしどろもどろに何かを呟いていた。
「えっと.... そのっ、額にですね? .....キスしても宜しいですか?」
ようやく言い終えたカシウスは真顔でトリシアを見つめる。その瞳は真剣その物。
思わず眼をパチクリさせ、トリシアはマジマジとカシウスを見つめてしまった。
そして合点がいく。
つまりあれだ。精霊王の祝福に嫉妬しておられると。口付けされた部分を上書きしたいと。
そこまで理解して、トリシアは唇が綻ぶのを止められない。
ああ、本当にこの方は......
誰よりもトリシアを望むカシウスの姿が微笑ましく愛おしい。
真剣にトリシアを見つめるカシウスに、彼女は小さく頷いた。
「宜しくてよ。はい、どうぞ」
トリシアは眼を閉じてカシウスに額を差し出す。
その無防備な姿を眼にし、カシウスはゴクリと固唾を呑んだ。そしてそうっと壊れ物を扱うかのごとく、優しいキスをする。
トリシアの唇に。
瞬間、見開いた彼女の瞳が至近距離のカシウスの瞳と交ざり絡まる。
思わず固まったトリシアから離れ、ついでに額にもキスをして、カシウスは切な気に彼女を見つめた。
「ご....っ、ごめんなさい。思わず...っ、そのっ」
真っ赤なカシウスにつられ、トリシアの顔も真っ赤に染まる。
無言で俯く二人に、現場を見ていなかった侍女らが不思議そうな顔をしていた。
間に落ちた静寂を打ち破り、カシウスが意を決したかのように、トリシアの耳へ囁く。
「大切にします。幸せに....幸せになりましょう。二人で」
何時もの軽い睦言ではなく、重さを漂わせた言葉。
祈りにも似たカシウスの囁きを耳に、トリシアも小さく囁いた。
「はい。幾久しく共にありましょう。....カシウス」
カシウスの眼が限界まで見開かれ、茫然とトリシアを見つめる。
魅入られたかのような眼差しにさらされ、トリシアは自分の頬が熱く火照るのを感じた。
これが恋なのかしら? カシウスが可愛くて仕方ないわ。まるでファビアを見てるみたい。
今の間違いじゃないよね? トリシアから敬称外してくれたよね? それってーーーーーっ
見つめ合う二人の間で、カシウスが彼女の手を握り指を絡ませる。
その熱さを互いに感じながら、数年をかけて、ようやく小さな恋が花開いた。
しかし、それが散らされる近い未来を彼等はまだ知らない。
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