第8話 其々の想い ~執着~


「お似合いです、トリシア」


「ありがとうございます」


 紺に赤い差し色の入った貴族学院の制服に、カシウスは眼を細めた。


 二人が婚約して二年。トリシアとファビアは来月から学院の新入生となる。

 年子な姉妹は、実は学年が被るのだ。

 一般的な貴族ならば、こういった場合、妹の入学をズラすものだが、ファビアが強硬に嫌がり、同時入学となった。

 その理由は簡単。今季入学しないと、来期にはカシウスが学院を卒業してしまうから。

 一途な妹の恋心を知るトリシアが援護を入れ、困惑顔な両親から許可をもぎ取った。

 社交界デビューしたカシウスは、非公式の御茶会に一切出なくなり、唯一の接点を失ったファビアの落胆をトリシアは目の当たりにする。


 少しの慰めにでもなれば良い。


 今頃、同じように制服を試着しているだろうファビアをトリシアは頭に思い描いていた。




「何故、御姉様の方に行ってはいけませんの? 御姉様の制服姿も拝見したいわ」


 同じ屋敷にいるのに、別々の部屋で試着していたファビアは、鏡の前で不思議そうに首を傾げる。


「侯爵令息様がいらしているのよ。トリシアの制服は、彼が特注した物だから」


 母親の言葉を聞き、ファビアは顔を凍らせた。


 特注? 何故? いえ、それよりも、今カシウス様がいらしているの?


 グルグル回る思考を振り払い、ファビアは満面の笑みで母親を振り返る。


「ならなおの事、御挨拶しないと」


「駄目よ。貴女も婚約者がいるのだから。義兄になると言っても、気軽に殿方へ近づいてはいけません」


 困ったように首を振る伯爵夫人。それを見て、ファビアは絶望に顔を歪めた。

 両親のはからいで彼女は一年前に婚約したのだ。


 第四王子と。


 王子の婿入りに伴い、我が家は侯爵位を賜る事になっている。

 何処から見ても極上の政略結婚。誰もが羨むそれを、とうの本人のみが全力で忌避していた。

 嫌だと叫んでも理由の説明が出来ない。まさか姉の婚約者に横恋慕しているなどと口が裂けてもいえない。

 さらには王家からの申し出を断るなど言語道断。


 両親も、まさか王家から婚姻の話が持ち込まれるとは思いもよらず、ファビアより一つ年上な第四王子が、伯爵の所持していたハンカチに眼をつけたなど予想外だった。


「見事な刺繍で眼を惹かれました。それで調べさせて、麗しい御令嬢の御手だと知り、ぜひとも会ってみたいのです」


 はにかむ王子に驚きながらも、両親は御茶会をセッティングし、そこに現れたファビアに王子は一目で恋に落ちる。

 伯爵家に婿入りでかまわない。彼女と結婚したいと熱望する王子の意を酌んで、王家からの申し入れの婚約となったのだ。

 最初、公爵位を賜るような話だったのだが伯爵が辞退し、侯爵に落ち着いた。

 いずれ子供が生まれたら、改めて公爵位を賜る予定だ。


 そんなこんなで、トントン拍子に事は進み、今ではほぼカシウスに会えないファビアだった。


 なんでこうなるの? カシウス様のために頑張ったのに.....っっ!


 せっせと刺繍をするファビアの努力が見事に裏目に出た。意中の殿方へのアピールが別の方を引き寄せるとは。


 もはや事態は動かしようもない。


 姉妹揃って望まぬ婚約、望まぬ婚姻に頭を悩ませる今日この頃である。


 ああ、御姉様。今になって、貴女の苦労が身に沁みますわ。しかもカシウス様は、わたくしの想い人。


 それを知る優しい姉は、どれほど心を痛めた事だろう。


 これも御姉様を裏切ろうとした罰なのかしら。


 幼い自分は、カシウスを横取りしようと、あの手この手を考えていた。

 今思えば、赤面するくらい恥ずかしい愚考だ。

 二年もたてば心は変わる。意識も変わる。

 貴族である以上、自由恋愛など出来る訳がない。政略結婚でも良い方に望まれるのを願うのが精々だ。

 家格の高い方に選ぶ権利があり、あとは如何にして家の利益とするか。

 長く勉強を嫌って怠けていた自分は、そんな事も理解していなかったのだ。

 それを熟知していた姉を理解する事も出来なかった。


 だが、今なら分かる。


 割り切り、粛々と受け入れるしかない現実を。

 それでも想うくらいは許されるだろう。

 鏡の中の自分を見つめ、ファビアは浅ましくも愚かな恋情を抑えきれない。そんな醜い自分が心から嫌いだ。

 そんなファビアの抱える葛藤を、誰も知らない。




「そういえば、王太子様が入学式に来られるようですよ」


「まあ、王太子様が?」


「はい。弟君の婚約者と、何故か僕の婚約者にも会ってみたいとかで」


 ファビアはともかく、わたくしにも?


 思わず眼を見張るトリシアに、カシウスは小さく頷いた。

 カシウスの恋を応援すると約束した王太子は、トリシアの事が気になって仕方無いらしい。

 御歳十八な王太子こそ、婚約者を迎えなくてはならないだろうに。

 王太子ともなれば、政治的配慮から国益を考えて、他国の王族と婚姻を結ぶのが一般的だ。

 しかしそれに相応しい王女が周辺国にいないため、王太子の婚約は保留となっていた。

 まだ社交界デビューしていない二人に会うには、あと一年待たなくてはならない。

 弟王子の婚約者であるファビアには会いやすいが、トリシアに会うのは難しい。

 だから入学式の観覧という形をとったのだ。


 見せたくないんだけどね。


 カシウスはトリシアに気づかれないよう、小さく溜め息をついた。


 どうにもトリシアに関しては心が狭くなる。誰にも見せたくはない。二人きりで僕だけが彼女を愛で、僕だけを見ていてほしい。


 こうして二人でいても周囲には必ず人がいる。

 トリシアの視線がカシウスから外れる度に、彼は言い知れぬ悋気に襲われた。

 彼女と眼を交わす者、言葉を交わす者、全てが忌々しくて仕方無い。


 ああああぁぁっ、もーぅっ、結婚したら屋敷に閉じ込めて、絶対に外へ出さないっ!!

 社交なんぞ、クソ食らえだっ、大事に大事に、本当に大切に仕舞い込んでやるっ!!


 その思考回路は既に病気の域にまで達しているのだが、朦愛に取り憑かれたカシウスは気づくよしもない。

 ちなみに、その敵意の的筆頭はファビアである。


「その制服は侯爵家が仕立てた特注品です。素材から吟味した逸品。あらゆる危険から貴女を護ってくれるでしょう」


 この世界には魔法があり、魔物がいる。

 貴族の子供らは学院の入学式で、精霊を喚ぶ儀式を行い、恩恵を賜るのだ。

 一般に魔法と呼ばれる恩恵は、大半が大した物ではない。

 属性に沿った魔法力を受け取るが、殆どが魔物を倒すための力で、戦いに赴く事の稀な貴族には宝の持ち腐れであった。

 精々魔術具の研究か、騎士団で魔術師、治癒師になるかぐらい。

 大抵が中位魔法を使える程度で、稀に上位魔法を使えたりもするが、本当に極僅か。貴族全体の一%にも満たない人数だ。

 与えられた力が変化する事はなく、努力でどうこうなるものでも無いので完全な天運任せである。


 それでもステータスには違いない。


 複数の属性や、闇や光といった稀有な属性を賜れば王家の覚えもめでたくなるら。

 魔物素材や魔法資材を使い魔術具を作ったり、災害支援や魔物討伐に赴いたり、頂く恩恵の系統によってガラリと職種が変わるので、平民などは賜る恩恵にかなり人生を左右されるようだ。


 ちなみに平民は、街の教会で恩恵を賜る。


 そういった技術を駆使して、この制服は作られたらしい。

 伯爵家では用意出来ない上等な物だ。


「守護と治癒の術式と、状態保護や防汚の術式が編み込まれています。快適な学院生活を約束しますよ」


 微笑むカシウスに、トリシアは御礼を口にする。


「ありがとうございます、カシウス様」


「カシウス」


「....カシウス」


「うん。よく似合うよ」


 ほんのりと頬を赤らめるトリシアに、カシウスは大満足である。


 はにかむ婚約者、頂きました。赤面のオプションつき♪


 こういった彼女の慎ましい姿は、カシウスの大好物だった。これを見たいがために、散々貢いできたり、わざと触れたり、赤裸々な睦言を囁いたり。 

 眼を泳がせる彼女、俯く彼女、耳まで真っ赤にして顔を背ける彼女。

 特にトリシアは名前から敬称を抜く事に抵抗があるようだ。

 お願いすれば折れてくれるが、彼女からは進んで敬称を外してはくれない。

 それはそうだろう。家族以外の異性と敬称を外して呼び合うのは恋人か夫婦のように密接な関係を持つ者のみだ。


 つまり周囲に知らしめるマーキング。


 そんな色めいた事を、トリシアが進んで行う訳がない。

 だからこそカシウスは彼女にねだる。カシウスが彼女にとって特別なのだと、トリシア自身から告げられたい。


 あーっ、もうっ、今日も可愛いっ、今までも可愛かったが、さらに可愛いっっ!!


 脳内でだけ、のたうち悶絶するカシウス。

 そんなカシウスのニヨニヨ顔を、トリシアが眉を寄せて、不思議そうに見つめているとも知らずに。


 性癖を改めないと、トリシアに変人認定されそうなカシウスである。

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