第7話 其々の想い ~空回り~


「凄く称賛されましたよ、この刺繍。みんなが羨ましがって大変でした」


 満面の笑みでニコニコと、カシウスは社交界デビューの夜会の話をする。


 ここは伯爵家。今日はタイの御礼をかねてカシウスが訪ねて来ていた。


「それは良うございました。婚約者の面目躍如ですわ」


「ええ、ええ、本当に。ありがとうございます。それでー......」


 カシウスは懐から小さな箱を取り出した。中には葡萄を形どった可愛らしい髪飾り。

 果実の部分はアメジストがはまっている。


「貴女に似合うと思って....」


「まあ、こんな高価そうな物、頂けませんわ」


「トリシアが受け取って下さらないと、僕には使い途がないのですが?」


 それはそうだろう。でも、きっと似合うよね。

 さらさらな金髪に、優しげな容貌。少し髪を上げて、この髪飾りをつけたら似合う気がする。


 そんなやくたいも無い事を考えていると、カシウスの手がトリシアの髪に伸び、柔らかく指ですいた。


「キレイな銀髪ですよね。この髪飾りの金とアメジストが良く映えると思います」


 そう思ったら買ってしまっていたんです。カシウスは、そう言って苦笑した。

 はにかむ柔らかい笑みに、トリシアの鼓動がトクンと高鳴る。


 睫毛も長いし線も細い。庇護欲をそそるというか、美形の儚げな姿は心臓に悪いわ。


 自分も同系列の美少女なのだが、自覚の薄いトリシアは無意識に棚上げ中。

 困ったように首を傾げる彼女に、カシウスが同等以上の感想を抱いているとは思ってもいない。


 ああああ、困惑するトリシアも可愛いっ! あの首の傾げ具合といい、頬を抑える手の添え方といい、計算なの? 計算してるの??

 指の先まで細くて柔らかそうで...... こないだ握ったんだよね、あれを。.....思い出したら、また握りたくなってきた。


「受け取っていただけませんか?」


 眉をひそめて窺うように聞いてくる美少年。


 ああああ、もうっ!


 仕方無さそうにトリシアは差し出された箱に手を伸ばす。その手に箱を渡しながら、カシウスは渡した箱ごと彼女の手を包み込んだ。


 ああ、やっぱり柔らかい。


 うっとりとその感触を堪能するカシウスの指の動きは怪しく、じっとり蠢くその指にトリシアは背筋を震わす。


 こういうのは慣れないわね。ちょっと触れすぎなんじゃないかしら? それとも婚約者との距離感って、こんなもの?


 困ったように自分を上目遣いで見上げてくるトリシア。カシウスは胸が一杯になる。

 ラリカは幼いというか、こういった恥じらいはみせなかった。限り無く無邪気で、少し我が儘で。

 そこまで考えて、彼は似た人物を思い出した。


 ファビアはラリカに似てるんだ。


 公爵令嬢だったラリカは、礼儀作法は年相応だった。御令嬢らしくたおやかで、賑やかで、良く笑う。

 少々閉口するくらいに積極的で、しなだれかかったり、抱きついたり。

 まあ、子供だった事もあろうが、些かはしたないと感じる部分も多かった。

 ファビアはそこまでではないが、根本が似ているのだ。天真爛漫と言えば聞こえは良いが、積極的過ぎて少しうるさい。


 そんな事を考えていたカシウスの耳に、足音が聞こえた。噂をすれば影がさす。口にはしていないが。


「あら。カシウス様、いらっしゃいませ」


 侍女とやってきたファビアが、淑やかに挨拶をする。


 僕、君に名前呼びする許可、与えたっけ?


 やや眼をすがめたカシウスより先にトリシアが声を上げた。


「ファビア。ランカスター侯爵令息とお呼びしなくては駄目でしょう? 名前で呼ぶなどはしたない」


 ああああ、女神っ!!


 カシウスが口にすれば角が立つ。それを分かった上で、キチンと指摘してくれるトリシアに彼は心から感謝する。

 ファビアは一瞬顔を強張らせたが、素直に謝罪した。


「失礼致しました、ランカスター侯爵令息」


「いえ、大丈夫ですよ。親しき仲にも礼儀有りと申します。慎みは大事ですね」


 微笑むカシウスに、ファビアの眼が見開く。


 御茶会では名前で呼びあっていたのに。何故、そんな言い方なさいますの?


 ファビアは理解していない。非公式の御茶会だから、カシウスが許容していたに過ぎない事を。

 これがちゃんとした公式の社交であれば、名前呼びなど彼も鼻白んだ事だろう。


 トリシアを愛おしそうに見つめるカシウスの眼差し。ファビアは、我知らずドレスを握り締めていた。


 御姉様がいるから? だから名前呼びさせないの?


 顔には出さずに唇を噛むファビアへ、さらに思わぬ言葉をトリシアがかける。


「ファビア。下がりなさい。わたくし今は御客様がいらしているの」


「え?」


 言われた意味が分からず唖然とする妹を仕方なさげに見るトリシア。


 誘ってくれないの?


 顔を出して挨拶すれば、当然ファビアも御茶に誘われ席につけると思っていた。それを期待して声をかけたのだ。

 チラリとカシウスを見るが、彼は薄く笑みをはいたまま、静かにファビアを見ている。

 トリシアにして賢いと言わせたファビアだ。だいたいは察したようで、彼女は静かに退出の挨拶をする。


「はい、御姉様。失礼します」


 それに軽く頷き、トリシアは優しく微笑んだ。


「後で御茶をしましょうね。今日の進捗も聞きたいわ」


 わたくしがカシウス様に心を寄せていると御存じなのに..... 何故誘って下さらないの?

 名前呼びだって、わたくしの方がカシウス様と親しいのよ? 意地悪しているの? 


 応接室を後にしたファビアは、悔しそうに顔を俯けた。しかし、その彼女を侍女のナタリーが称賛する。


「良く出来ておられましたよ。婚約者の方と御一緒の時は同席を遠慮するものです。挨拶をしたらすぐに下がる。名前呼びは慎みがないと思われますので、御注意くださいね」


 ナタリーの言葉に、ファビアは瞠目する。


 御姉様が意地悪した訳ではない?


 惚けるファビアに、ナタリーは静かな微笑みを浮かべた。


「御嬢様には足らない物が沢山あります。でも大丈夫。これから学べば良いのです」


 知らないファビアが危うく恥をかくところだった。それをトリシアがフォローしてくれたのだ。

 そう覚り、ファビアは顔が赤くなる。


 やだわ、わたくし。まだ意地の悪い事ばかり考えて。そうよね、御姉様がそんな事なさる訳ないものね。


 そう考えて、自分の浅はかさに、さらに落ち込むファビアである。




「妹君は、まだ淑女教育が足りないようですね」


「お恥ずかしいです。でも足りないのは細かい機微であって、妹は十分淑やかな淑女でしてよ」


 少し不満気に眼をすがめるトリシアを見て、カシウスは彼女の逆鱗の位置を把握した。


 よほど妹が可愛いのだろう。


「勿論です。彼女は可愛らしい御令嬢ですよね。無邪気で、積極的で。見た目も麗しく、まるでお姫様みたいだ。細かいマナーはこれからですね」


 鬱陶しい事この上ないがな。


 カシウスの言葉に、トリシアは笑顔で頷いた。


「ええ、本当に自慢の妹ですの」


 普段は見せない満面の笑み。


 これを得るには、あの無作法な妹を褒めなくてはならないのか。


 カシウスは内心苦虫を噛み潰す。

 だが彼も貴族の端くれだ。腹芸なら御手の物。年齢が十三歳な事を考えると、末恐ろしい侯爵令息である。


 トリシア、僕を見て? 僕に笑って? でないと、君の眼に映る物、全てを叩き壊してしまいたくなる。


 際限なくトリシアへ傾倒していくカシウスの不穏な思考に、当のトリシアは気づいていない。

 トリシアがファビアに愛情を示すほど、カシウスに嫌悪されるファビアだった。


 滑稽なほど空回りし続ける本人らの努力が報われるのは、ここからさらに先の話である。

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