第6話 其々の想い ~不協和音~


「出来たわ」


「キレイ.....」


 真っ白な絹に鳶色の鷲。背景の雪山は蒼系の糸で立体的な陰影をつけて浮かし彫りのように刺してある。

 リアルに繊細な鷲の眼は金糸。羽には銀糸が使われ、とても存在感のある逸品が出来上がった。

 満足気に頷くトリシアの隣で、ファビアも感嘆の眼差しを向けている。


「わたくしにも刺せるようになるかしら」


「なるわよ。だいぶ上達したじゃない」


 婚約の一件以来、ファビアはトリシアから刺繍を習っていた。


 ようやく彼女は刺繍や勉強などの習い事が大切なのだと気付き、まだ遅くはないとの姉の言葉を信じ、遣る気を出したのだ。


 御互いに思うところはある。


 ファビアにすれば初恋が踏みにじられ、蔑ろにされた気分だろう。

 だがトリシアとて、好いてもいない相手と政略結婚なのだ。狡いと言われるのは理不尽極まりない。


 そんな事を愚痴愚痴とぶつけ合った二人は、どちらともなく遠い眼で天井を仰ぎ、ままならないよね、人生って。と、達観したのである。


 政略だの恋愛だのと赴きは違えど、妙に大人びて子供らしくない発想をするところは非常に良く似た姉妹だった。

 黙々と針を射す二人。前より大分滑らかになったファビアの御手を眺めながら、トリシアはふっくりと眼を細める。


「あら。優しいモチーフね。可愛らしいわ」


 妹はハンカチの四隅に果物を描いていた。

 イチゴに桃にリンゴや桜ん坊。赤や桃色を中心に、緑の差し色が利いた柔らかい作だ。


「好きな物からと.... 思うように刺せると楽しいですね。.....出来ました。御姉様、もらってくださいますか?」


「わたくしに??」


 差し出されたハンカチを受け取りながら、トリシアは眼を見開いている。


「はい。わたくし、今まで、すっごく嫌な子だったのに、御姉様は見捨てずにいてくださって..... こうして刺繍まで教えてくださる。最初の品は御姉様にと決めていたのです」


 はにかむ妹が眩しいトリシア。あまりの可愛らしさに感極まり、彼女は暖かいモノが喉元までせりあがってきた。


 待って? わたくしの妹って天使じゃない? こんな宝石がいるのにわたくしを選ぶなんて、カシウス様の眼は節穴なんじゃないかしら?

 

 不敬も際まれりなことを脳裡に巡らせつつトリシアはファビアの刺繍を、うっとりと見つめた。


「ありがとう、大切にするわ」


 満面の笑みで大事そうにハンカチを畳む姉に微笑み、ファビアの口角が微かに上がったのを彼女は気づかない。




「へぇ。これが妹君の.....」


「良く出来ていますでしょう? 始めたばかりとは思えない御手ですわ」


 出来上がったタイを侯爵家に届けに来たトリシアは、カシウスにお茶へ誘われ快く応じた。

 そしてタイの刺繍を称賛されたついでに、今日もらったばかりのファビアのハンカチも見せたのだ。

 姉バカ全開のトリシアを微笑ましそうに見つめ、カシウスはハンカチを返しながらそのまま彼女の手を掴んで優しく包む。


「御優しいのですね。人並みの刺繍のハンカチなのに。貴女の御手に比べるべくもない」


「まあっ、あの歳で人並みに刺せるだけでも凄い事ですわ。社交界デビューする頃には、引く手あまたな裁縫上手になりましてよ、ファビアは」


 トリシアを褒めたつもりなのに、不興を買ってしまったようだ。

 思わず瞠目し、カシウスは苦笑する。


「唇を尖らせる貴女も可愛らしいですね。そんな風に想われている妹君が羨ましい」


 そして包み込んでいた手に口付け、カシウスは上目遣いにトリシアを見つめた。

 その眼に浮かぶ光は仄かに熱い。逸らす事を許さない真摯な眼差しに、トリシアは居心地悪く身動ぐ。


「こうしている時は僕を見て? 僕には君しか見えていないのに、他の人の話をされると妬けてしまう」


 薄く弧を描く瞳は笑っていない。穏やかな笑顔なのに、その不可思議なアンバランスさがトリシアの背筋に冷たいモノを走らせた。


「それとも妬かせたくてしてるの?」


 にっこり微笑みながら、さらにカシウスの瞳は暗く澱んでいく。

 それに得体の知れない恐怖を感じ、トリシアは慌てて首を左右に振った。

 途端、さあっと春風のようにカシウスの瞳が暖かく瞬いた。先程までの陰惨な光は一瞬で霧散する。


「そう? トリシア嬢.... いや、婚約者なんだし、他人行儀はやめようね。トリシア。僕の事もカシウスって呼んでね」


「カシウス様....」


「様は要らない」


「でも....」


「呼んで?」


 有無を言わせぬカシウスの視線。彼は焦れったそうにトリシアの指に自分の指を絡ませていた。

 そのねっとりとした動きがトリシアの全身に鳥肌を起てる。


「.....呼んで?」


「カシウス?」


「そうっ、ああ、嬉しいなぁ」


 ぱあっと破顔し、カシウスはトリシアの手を額づけ、うっとりと呟いた。


「君が婚約者になってくれるなんて夢のようだ。大切にするから。絶対に幸せにする。離さない」


 貴族らしくない直球な言葉。思わぬ台詞にトリシアの頬には朱が走る。知識だけは豊富で精神年齢の高い彼女には、過ぎた睦言である。

 耳どころが首まで真っ赤なトリシアを見てカシウスは一瞬惚けたが、次には思わず抱き締めようとしてしまい、侍女や侍従らから全力で止められた。


「なりませんよっ、まだデビューもしておられぬのにっ!!」


「そうですっ、そういう事は、せめて御令嬢が学園に入学してからですっ!! というか、少しは人目を忍んでくださいっ、はしたないっ!!」


 トリシアとカシウスを隔てるように間に立ち塞がる侍従達。それを睨みつけ、ぐぬぬぬ、と不満顔なカシウス。


 子供みたい。


 思わずトリシアは苦笑する。今の彼からは先程までの得体の知れない雰囲気は消え失せている。


 気のせいだったのかも知れないわね。望まれて嫁ぐのだもの。きっと大切にしてくださるわ。


 侍従らとカシウスの攻防を微笑ましく見つめ、トリシアは侯爵家を後にした。




「カシウス様は喜んでくださいましたか?」


 帰宅したトリシアの元にファビアがやってくる。パタパタ歩く歩調にあわせて、フワフワ揺れるドレスが可憐だ。


 ああ、眼福ね。


 今まで決して仲が良かったとはいえない妹が、今ではこうして出迎えに出てくれる幸せ。

 しかもとびっきり可愛いとくれば、トリシアの姉馬鹿が加速しようというものだ。

 かけてきたファビアを温かくみつめ、トリシアは柔らかな口調で答えた。


「ええ、タイはお気に召して下さったみたい。貴女の刺繍も褒めていらしたわ」


「本当に?」


「ええ」


 嘘ではない。人並みだと仰っていた。十歳で人並みに刺せれば上等である。


「カシウス様が..... 嬉しい」


 これが励みになれば良いけど。


 両手で頬を抑えるファビアを優しくチラ見しながら、トリシアは自分の部屋へ向かう。


 その姿を据えた眼差しのファビアが見送っているとも知らずに。


 刺繍さえ出来るのなら..... 御茶会で親しくさせていただいた、わたくしの方がカシウス様の覚えが良いはず。


 ファビアは一心不乱に刺繍を学んでいた。それは愛しい初恋の君ため。

 ファビアの刺繍が上達し、それをカシウスが知れば、ひょっとしたら自分を選んでくれるかもしれない。

 そんな打算を企み、ファビアはトリシアに自分の刺繍が入ったハンカチをプレゼントしたのだ。


 カシウスの眼に触れるように。


 貴族の子供は十二歳で学園に入学し、十三歳で社交界デビューする。そして十五歳で成人と認められ、十八歳で学園を卒業して婚約者と結婚するのだ。


 あと八年。


 その間にカシウス様の眼をわたくしに向けなくては。


 ファビアはひっそりと顔しかめ、何も知らぬ姉が婚約者解消された時、どんな顔をするだろうかと思い浮かべていた。


 ごめんなさい御姉様。でも、諦めきれないの。


 ファビアは心の中で何度も姉に謝り続けた。


 しかしその頃、カシウスは全く別な事を考えている。




「邪魔だよな.... ファビア。君は」


 剣呑な眼差しのカシウスは、以前から鬱陶しくまとわりつく御令嬢を脳裏に描いた。

 他の子供らと比べて落ち着いていた彼女と好んでお茶をしたのは、トリシアの情報を引き出すためだ。

 半分はトリシアの悪口で閉口したが、まあ、それなりに情報は得られた。

 ラリカの裏切りがなくば、この気持ちは墓の中まで持っていくつもりだったカシウス。


 彼は軽く眼を伏せる。


 愛しい婚約者の裏切りの哀しみを上回る幸福が訪れた。これを離しはしない。

 しかしトリシアの中では、僕より妹への比重が高いように感じる。

 如何にも嬉しそうにハンカチを愛でる彼女の笑顔。あれは、自分にのみ向けられるべきモノだ。


「ほんと.... 邪魔臭い」


 虚ろな眼差しで窓から空を見上げ、カシウスはどうやってファビアを排除するか、真剣に考えていた。




「これで良かったのかしら」


 伯爵家の応接室では伯爵夫妻がヒソヒソと話をしている。その顔は、やや暗い。


「仕方無いだろう。タイに刺繍をする以上、トリシアの社交界デビューのティアラはカシウス様から贈られる事になる。それが分かっていて、他の婚約者を据える訳にはいかん」


 基本、婚約者が刺すはずのタイの刺繍。


 これを贈られた殿方は返礼として、刺繍してくれた御令嬢の社交界デビューにティアラを贈る。


 婚約者同士、あるいは家族なれば問題はない。

 しかし、全く無関係な者が贈ってしまうと事が複雑になる。

 トリシアがデビュー前に婚約者が出来た場合、二人にタイを贈った事になり、二人からティアラが贈られるという事態になるのだ。

 それを回避するために、トリシアは社交界デビューするまで婚約者を選べない。

 だから、タイの刺繍の話を両親は渋っていたのだ。


 結果は二人が婚約者同士となって、問題は払拭されたが。


「トリシアには婿をとり伯爵家を継いで欲しかったが、侯爵家と縁続きになるんだ。悪くはない」


「そうですわね。ファビアも落ち着きましたし、早めにファビアに婿をさがしましょう」


 微笑み会う伯爵夫妻に邪気はない。彼等も彼等なりに子供らの幸せを考えていた。その基準が貴族基準なのは残念だが致し方なし。

 

 こうして、各々の思惑が絡まりあい、未来は複雑に拗れていく。

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