第5話 Side. カシウス


「ようやくだ」


 自室でカシウスは葡萄の刺繍が入ったクロスを眺めていた。


 トリシアの話は知っている。たぶん、社交界の誰よりもトリシアの事をカシウスは知っていた。

 今までの御茶会で、妹のファビアからトリシアの話を聞き出していたからだ。


 子供らを集めて行われる非公式の御茶会。


 礼儀作法のままならない子供らに呆れながらもカシウスは親の顔を立てるため、渋々参加していた。

 社交界デビューすれぱ、こんな御茶会からも解放される。

 こういった子供らに混じり、教えるのも上位貴族の役目なのだと母親に諭され、仕方無しに参加していたのだ。


 だが、ある日、七歳から参加出来るそれに、二人の少女があらわれた。


 伯爵夫人に連れられて、一人は堂々と。一人は母親のスカートに隠れ、一際際立つ可愛らしい容貌の二人に、猿のようだった子供らが静かになる。


 銀の豊かな髪をした少女は美しくカーテシーを決め、淑やかに挨拶をした。


「初めてお目にかかります。カルトゥール伯爵が娘、トリシアにございます。皆様、以後よしなに」


「同じくファビアでございます」


 妹なのだろう、母親のスカートの影にいた少女も、おずおずと出てきて、同じようにカーテシーをした。


 見事な口上にカーテシー。感嘆する周囲の大人達。それを気にした風もなく、二人は母親に促され、テーブルについた。


 たったそれだけ。今思えば、ここでカシウスは彼女に恋をしていたのかもしれない。


 初参加という事もあり、彼女らは一杯のお茶を飲むと、早々に帰ってしまった。たぶん、雰囲気を掴みに来ただけなのだろう。

 しかし、その二人の美しい所作や姿に見惚れ、お猿な子供らすらも殆んど動かなかった。


 二人が帰った途端、沸き返る御茶会会場。


 社交界デビュー目前の少女らが呟く。


「見た? あれっ、すっごい可愛いかったっ」


「きれいな子達だったわ、びっくりね」


「動きも滑らかで..... まるでお姫様みたい」


 眼を見開き称賛する彼女達。


 他も例にもれず、同じくデビュー前の紳士らが残念そうに顔を曇らせていた。


「なんで僕には婚約者がいるんだ.... もっと早く彼女らを知っていれば」


「歳を考えろ。初参加なんだ、七つだぞ」


「分かってるけどーっ」


 あれだけの美少女二人を見れば仕方の無い嘆きだろうが、婚約者に失礼な奴等だ。

 高位の貴族ほど婚約は早い。生まれてすぐと言うのも珍しくはない。かくいうカシウスにも婚約者がいる。


 思い出すが早いか、その婚約者が現れた。


「見かけだけかもしれませんわ。貴婦人は中身が大事です」


 少し拗ねたような可愛らしい少女。

 カシウスは薄く微笑みながら、小さく頷いた。


「そうだね。ラリカ様、刺繍は上達しましたか?」


 礼儀作法に並んで淑女に必須な技能。婚約者のタイから始まり、家族のハンカチや外套、屋敷のクッションやクロス、タペストリーに至るまで、全てが夫人の仕事だ。

 人目に触れるこれらはとても重要で、裁縫の上手い女性は引く手あまたである。

 中には侍女にさせる夫人もおられるが、そういったのはすぐにバレて、裏で笑い者にされるのがオチだった。


 刺繍の出来=愛情の図式があるこの国では。


 だから一番最初の贈り物である社交界デビューのタイは、殿方の夢の象徴である。

 人には向き不向きもあった。だが、精進し、手をかければ、誰でもそれなりに作れる物だ。

 大抵の殿方は婚約者との付き合いで相手の技量を知っている。うら若き乙女が一生懸命練習し、自分の晴れ舞台に贈ってくれるタイ。

 これに勝る贈り物はなく、どんな出来であっても殿方は感無量で受けとるものだ。

 むしろ裁縫が苦手な御令嬢が、頑張って人並みになった時など、その愛情の深さに涙される方もいる。

 苦手を克服するほど想われているのだから、その心中は察して有り余るだろう。

 社交界デビューの殿方のタイには、そんな夢が詰まっている。


 刺繍の話を振られ、ラリカと呼ばれた少女は眉をひそめた。


 まだまだみたいだな。


 彼女の胸中を察したカシウス。


「あと三年もあります。慌てずじっくりやりましょう」


 この彼女との婚姻は政略だ。しかしカシウスは彼女を愛おしんでいた。恋愛でなくとも情は育つ。

 二年前に婚約し、ずっと成長を見守ってきたのだ。家族に近い愛情をカシウスはラリカに持っていた。


 だが、そんなカシウスの暖かい気持ちは、物の見事に裏切られた。


 社交界デビュー半年前に送られたタイ。


 それはラリカの御手ではなかった。


「まあ、人並みには出来るようになったみたいね。安心したわ」


 苦笑いしつつも安堵したように頷く侯爵夫人。ラリカが緊張するし萎縮してしまうからと、母親は彼女の裁縫の勉強に関わってこなかった。

 だから、人並みのこの刺繍が彼女の物だと言われても疑わないのだ。


 しかしカシウスは知っていた。


 ラリカを案じるカシウスは、彼女の家に買収した侍女を送り込み、その進捗を確認していたから。

 ラリカの裁縫の腕は壊滅的なのだ。身分だけで選んだ両親は知らないだろう。まだ幼いのだし、これからだと思っていたのやもしれない。

 だが、母親が刺繍の達人であるカシウスは、ラリカからもらったハンカチに刺してあった彼女の刺繍を見て危機感を感じた。


 ゆえに侍女と一緒にラリカの努力を見守っていたのである。


 笑顔でタイを渡すラリカ。その後ろで青い顔の侍女。安堵に顔を見合わす両親。


 笑い種にもならない茶番劇。


 カシウスの眼が辛辣にすがめられ、その奥に仄かな暗い光を宿す。


 どんなに下手でも良かった。母親が顔をしかめるような出来であろうと、ラリカの努力を感じる品が欲しかった。

 周りが失笑するような拙い作でも、胸をはって身に付けるつもりだった。


 なのに......


 固く眼をとじてから、カシウスは柔らかな笑みをはいた。それに微笑み返す可愛らしい婚約者。


 愛していたよラリカ。恋でなくとも僕は君が愛しかった。なのに君は裏切るんだね? こんな大事な事で僕を欺こうとするんだね?


 カシウスはガラスのように無機質な瞳で婚約者を見つめていた。




 後日、王都外れの古い屋敷が騎士団の調査を受ける。


 中には違法な薬物が保管され、定期的に薬物を摂取した怪しげな集いが行われており、情報を掴んだ騎士団が踏み込んだのだ。

 それに酔った複数の人々の中に、なんとラリカもいた。


「わたくしは悪くないわ、侍女が.... アンナが悪いのよっ!!」


 泣きわめくラリカに根気よく事情聴取した騎士によれば、十歳を越えてから始まった淑女教育が厳しく、枕を泣き濡らすラリカへ侍女が勧めて来たのだという。


 現実を忘れて、心地好く酔える集いがあると。


 それに興味を持ち、初めて訪れた日に運悪く騎士団が踏み込んできたのだ。


 しかも王太子の命令で。


 父親の公爵は、今回の不祥事を何とか揉み消そうとしたが、王太子の鳴り物入りではそれも叶わず。


 王太子の公平さ、潔癖さは噂に高い。


 違法な薬物など彼の御仁からすれば、虫酸が走る代物だろう。それに溺れる人々も同様だ。

 結果、ラリカへの罰は、辺境の厳しい修道院へ十年間の幽閉。これに異議を唱え、公爵はすがるように王太子を見上げた。


「まだ子供なのです。好奇心で.... たまたま足を踏み入れてしまっただけなのです、どうか御慈悲をっ、十年間も娘として花開く時間を奪われるなど、残酷すぎますっ!!」


 ラリカがデビュー前の未成年であるため、彼女への罰は内密な話し合いで行われた。


「貴族としての自覚が欠け過ぎている。足を踏み入れた時点で終わっているのだ。分からぬのか、公爵よ」


 冷たく眼をすがめ吐き捨てられ、公爵は言葉もなく俯いた。

 王太子の言うとおりだ。そのような物に興味を持ち、足を踏み入れた。それだけで貴族失格である。


「幸い大事には至らなかったが、あの薬物は酷い中毒性があるのだ。もし今回の事がなくば、ズルズルと通い、廃人になってしまっていたかもしれないのだぞ?」


 そうなれば、娘として花開くうんぬんどころではない。人間を止めるかどうかの瀬戸際である。

 揺るぎない事実を突き付けられ、意気消沈し、公爵は王太子の御前を辞した。


 王太子も立ち上がり、隣の部屋へと向かう。


「待たせたな」


「いえ。お疲れ様です、王太子」


 そこにはカシウスがいた。彼の疲れたかのような物哀しい眼差しが王太子の胸に突き刺さる。


「そなたの情報のおかげで不法薬物販売の奴等を捕らえる事が出来た。礼を言う」


「もったいない御言葉です」


 そして再び沈黙がおりた。


 王太子は、彼に何と声をかけたものか悩んでいる。


 薬物密売のルートを潰せたのは喜ばしい事だが、まさか、そこでカシウスの婚約者が検挙されようとは。

 事態が事態なだけに甘い処罰で看過する訳にもいかず、それをカシウスに説明したところ、彼は、むしろ厳しい処罰で見せしめにしてくれと言った。

 二度と同じような事が起きないように。貴族らの火遊びを抑止するためにも厳しい断罪をと。


 貴族全体のために己の婚約者すらをも犠牲にする。


 カシウスの忠義な心根に打たれ、王太子は公爵令嬢を容赦なく断罪した。

 彼女自身は自業自得だろう。しかしカシウスは違う。完全なとばっちりだった。

 彼に与えた苦しさは必ず労わねば。今回の情報提供の報償も加えて。


 無言で満たされた室内に、ポツリと呟きが漏れた。


「.....恋をします」


「うん?」


 聞き返す王太子に切な気な苦笑を浮かべ、カシウスは絞り出すように言葉を紡いだ。


「新しい恋をします。....応援してくださいね」


「.....ああ、全力でする」


 苦悩に満ちたカシウスを痛まし気に見つめ、王太子は大きく頷いた。


 さようなら、ラリカ。僕は本当に君が好きだったよ。


 懺悔か後悔か。再び俯いたカシウスの膝に、ポタリと水玉模様が描かれた頃.....


 王都端から隣国へ向かう馬車の中にアンナがいた。


 彼女はラリカに火遊びを教えたとして、公爵家から捕縛の手配がされている。違法な薬物密売の参考人として、王宮からも手配されていた。


 それらから逃れるために、隣国へ逃亡中だ。


「だから言ったのに..... 御嬢様」


 ラリカの侍女として仕えてはいたが、彼女は平民だ。カシウスと婚約したラリカに裁縫を教えるため、カシウス自らが選び送り込んだ人物である。

 ラリカの壊滅的な刺繍を見て、不安になったカシウスの心遣いだった。

 必死にラリカに刺繍を教えるアンナだったが、ラリカは無関心。むしろ煩わしげにアンナを遠ざける始末。そして件のタイの事件が起こり、ラリカは侯爵令息の逆鱗に触れた。

 乗り合い馬車の小さな窓から外を眺めながら、彼女は力無く呟く。


「この数年で気づいていたわ。あの方は独占欲が強くて嫉妬深い。欺いたりしたら、ヤバいってね」


 あまり上達しないラリカの刺繍に溜め息をつきつつも、カシウスは笑っていた。ほんの少しの向上でも嬉しそうに眼を細めた。


『ここの始末とか上手くなってるよ。楽しみだね』


 本当にカシウスはラリカのタイを楽しみにしていたのだ。


 他の侍女に縫わせたタイを贈ったあの日。


 無言のカシウスがはいた笑みに、アンナは全身を粟立たせた。

 完全に相手を見切った残酷な笑み。

 何度も見てきた慈愛に満ちた笑みを知っていれば、種類の違うあの酷薄な笑みに気づくだろう。


 なぜ御嬢様は気づかないのか。


 後日、アンナはカシウスから命令を受けた。


『いずれラリカは疲れて泣き出すに違いない。そうしたら、上手くここを紹介してやってくれ。現実を忘れて楽しめる社交場だと』


 無表情な彼が何を企んでるのかは分からない。だが断る勇気もアンナには無かった。


 結果は御覧の通りである。


 カシウスから貰った逃亡資金は、隣国で遊んで暮らすに十分な金額だった。

 五年に亘りカシウスの命令で仕えた自分を彼は労ってくれたのだ。


 情が深く麗しい侯爵令息。


 アンナをお尋ね者にしてしまい申し訳ないと、彼は心から謝罪してくれた。

 平民など使い捨てが当たり前な上流社会で、この待遇は破格である。口封じに殺されることも珍しくはない。

 なのに面倒なアレコレを経て、カシウスは隣国に渡りをつけアンナを逃がしてくれる。


 たまたま女運が悪かっただけです、カシウス様。


 格下の侯爵家から婚約解消は申し込めない。刺繍が偽物であると証明も出来ない。御令嬢を侮辱する事にもなるからだ。

 ゆえにこういった搦め手を仕組んだのだろう。自分を欺こうとしたラリカへの憎しみかもしれない。彼の恐ろしいまでの独占欲は、裏切りを絶対に許さない。


 アンナは馬車の中で、哀しい御令息の御多幸を祈った。


 後日、彼が理想の婚約者を手に入れ、狂喜乱舞している事を、今の彼女はまだ知らない。

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