第3話 金と銀の姉妹 ~みっつめ~


「何で御姉様が、侯爵様の所に行くの? 御茶会でもないのにっ」


「刺繍の打ち合わせよ? どんな糸で、どんな柄を縫うか」


「御姉様ばっかりっ、ずるいっ」


「.....何がずるいの?」


 言われてファビアは固まる。


「それは....御姉様が侯爵様の所に」


「理由は話したから二度は言わないわ。御用があるから行くの。何処がずるいの?」


 たたみかけるトリシアの言葉に、ファビアの声が小さく尻すぼみになっていった。


「刺繍を...なぜ御姉様が刺繍を?」


「わたくしの作品を見て、侯爵夫人が気に入って下さったからよ」


「御姉様の刺繍を....侯爵夫人が気に入ったから?」


「そうよ。だから、わたくしは侯爵様の所に御伺いするのよ」


「刺繍で....っ」


「理解して? .....もし、貴女が上手に刺繍が刺せたなら、この御話しは貴女に来ていたのかもしれないわ」


 項垂れていたファビアの顔が、はっと上がる。

 それを見て小さく頷き、トリシアはデロリス夫人と共に侯爵家へ向かった。

 残された妹は姉の言葉を反芻する。


 わたしに御話しが来ていたのかもしれない。刺繍さえ出来ていたら。

 わたしが彼のタイを縫っていたのかもしれない。


「うっ....っ」


 ファビアは再び項垂れてドレスを握りしめた。


 そんなファビアをナタリーが静かに見つめる。




 侯爵家へ向かう馬車の中で、デロリス夫人は面白そうにトリシアを眺めていた。

 弧を描く瞳が物言いたげに揺れている。


「あれが我が儘な妹さんね。貴女ずいぶんと優しいのね」


 言外に棘を含む夫人の言葉。トリシアは少し思案してから口を開く。


「言葉は難しいです。ちゃんと伝わっていれば、良いのですが.....」


 ファビアの我が儘は、ただの悪足掻きだ。根本が理解出来ていないから、こうして差がついたような錯覚を起こす。

 どんなに邪魔したところで、トリシアを社交界に出さない訳にはいかない事は理解しただろう。

 そうすれば、今度はトリシアの動向が気になって仕方なくなる。


 そこへ、あからさまな侯爵夫人からの依頼だ。


 トリシアとファビアの違い。そんなものは習い事への情熱だけしかない。

 だが頭ごなしにそれを指摘しても、ファビアは納得しないだろう。今回の事は、分かりやすい例だった。


 あの子は頭の良い子だ。きっと理解してくれる。


 思案気に窓の外を見るトリシアを、デロリス夫人が興味深気にじっと見つめていた。




「ようこそトリシア嬢」


 応接室に案内されたトリシアに、侯爵は微笑みながら後ろにいる御令息を紹介する。


「長男のカシウスよ。カシウス、この方がトリシア嬢。貴方に新しいタイの刺繍をしてくださるわ」


 紹介された少年は薄い金髪で青い瞳。優しげな容貌が侯爵夫人と良く似ていた。


 まるで物語の王子様みたいね。ファビアと並んだら似合いそう。


「初めましてトリシア嬢。カシウスと申します、お見知りおきを」


「トリシアです。以後よしなに」


 侯爵夫人の勧めに従い、二人はソファーに隣り合わせで腰掛け、トリシアは用意してきた刺繍の図案を差し出した。


「いくつか考案して参りました。御好みがあれば、新たに描きます」


「へぇ....」


 差し出された数枚の絵を手にし、カシウスは眼を見開いて用紙をめくる。


「凄いですね。鹿に狼。これは....?」


「大樹です。木の実を散らしたモチーフです」


「迷いますね。どれも素敵だ」


 楽しそうに、あれやこれやと話す二人を見つめ、侯爵夫人とデロリス夫人は、人の悪い顔で目配せした。

 そんな中、カシウスが一枚の図案で手を止める。


「これが良いです」


 トリシアが覗き込むと、そこには雪山を背景に大空へ羽ばたく鷲のモチーフが描かれていた。

 途端に、大人二人が瞠目し、微かに狼狽える。


「カシウス、それは....」


「これが良いです」


 頑として譲らず真摯な眼差しで見据える息子。侯爵夫人は、思案気に軽く眼を伏せた。

 そして彼女は息子を見返し、念を押す。


「よろしいのね?」


「はい、決めました」


「わかりました、御父様に相談しましょう」


 バチバチと火花が散るような親子の睨み合い。


 訳が分からないトリシアは、ひたすら交互に二人を眺めるしかなかった。




「では、よろしくお願いいたします」


 にこやかな御令息に見送られ、帰路についたトリシアは不思議そうにデロリス夫人に話しかける。


「なんだったのでしょう?」


「.....わたくしの口からは。御両親に伝えておくから、話はそちらで聞いてね?」


 デロリス夫人にしては珍しく歯切れの悪い口調。


 本当に、何がおきたのかしら?


 馬車に揺られながら帰宅したトリシアを出迎えた伯爵夫人は、デロリス夫人から事の経緯を聞き、さーっと血の気を下げた。


「まさか?」


「たぶん、本気よ」


「何がですか?」


 はっと気づいた二人は、見上げているトリシアに、ぎこちなく微笑んだ。


「御父様に御話ししてから....ね?」


 ひきつった母親の笑み。


 首を傾げるトリシアが真実を知ったのは夕食の後。


 居間のソファーに座る両親の説明によれば、鷲は侯爵家の家紋であり、それを刺繍として侯爵家の人間の品に刺せるのは家族か婚約者だけなのだと言う。


 つまり、御令息のアレは遠回しな求婚。


 今頃、侯爵家でも同じような話し合いがされているだろうと、父伯爵は苦笑した。


 えー..... いきなり婚約ですか? 


 申し込みがあれば断れないので、心の準備だけはしておくようにと両親から言い含められ、トリシアは茫然と自室に戻っていく。


 後日、それは現実となり、華のように美しい笑みを浮かべた侯爵令息が、本物の花と贈り物を携えて、トリシアへ正式な申込みに来た。


「貴女の刺繍に一目惚れしました。本人にも。あの夏のクロスの葡萄を僕の外套に入れてください」


 カシウスはそう言うと彼女の左手薬指に指輪を嵌める。

 婚約者がいる事を示す金の指輪。小振りな翡翠とサファイアの入ったそれは、トリシアとカシウスの瞳の色だった。


 こうしてトリシアは、ファビアが恋する王子様と婚約してしまったのである。


 その夜、ファビアが嵐のような癇癪を起こしたのは、言うまでもない。

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