第2話 金と銀の姉妹 ~ふたつめ~


「御姉様にドレスなんかいらないじゃないっ」


 いや、いらないわけないだろう。


 頭の中で突っ込みながら、ファビアの専属侍女であるナタリーは無言で立っていた。

 姉君であるトリシア様は、ご自身の見てくれに無頓着だが御美しい御令嬢だ。有り合わせなワンピースでも、淑やかな所作や佇まいから、非常に眼を引かれる。

 しかも優れた才女で、軒並みの教師陣が自ら教授したいと名乗りを上げるくらいの御令嬢だった。

 内面から滲み出る気品は真似出来るものではない。


 足を引っ張るのではなく、見倣って追いつこうとは考えないのかしら。


 あらゆる装飾品をかすめ取るファビアを、ナタリーは何度も遠回しに諭したが効果はなかった。

 それどころが、逆に当たり前のように自身を擁護するファビア。


「頭でっかちなんて社交界で意味は無くてよ? 貴婦人であれば美しい外見と優美なダンスが重要なの。わたくしは社交界の華になってみせるわ。御姉様なんか眼じゃないくらいにね。だから良いのよ」


 ふふんっと小生意気に鼻を鳴らす少女に、メイドは思いっきり生温い眼差しを向ける。


 うん、野望が大きいのは良い事です。しかし考えが浅すぎる。何のためにご両親が沢山の教師陣をつけて下さっているのか理解しておられますか?

 姉妹二人なのですから、どちらかが婿をとり伯爵家を継がなくてはならないのですよ? そして領地を治めなくてはならない。それでなくとも嫁ぐにあたって、良いお家に嫁がせたい親心です。

 領主の傍らに立ち、それを支えるのが配偶者です。馬鹿には務まりません。

 ......見てくれとダンスだけに引き寄せられるのは、低位の貴族か爵位なしの次男坊三男坊くらいですよ、御嬢様。


 癇癪を起こしてテーブルをバンバン叩きまくるファビアを見つめながら、ナタリーは静かに首を振った。




「御母様、ハンカチに刺繍をしてみましたの。御覧になって?」


 ファビアの差し出すハンカチを受け取り、母親は軽く嘆息する。

 こういった技術は一夕一朝で身に付くものではない。確かに以前と比べれば上達はしているが、とても人様に見せられる御手ではなかった。


「そうね、上達はしているわね。でも侯爵夫人のサロンに持ち込むならば、この位は刺せないと」


 そう言いながら母親が出したのは自身の作品。花を中心にして蔦が絡む無難な絵柄だ。

 しかし、その強弱がついた色彩や暈しは眼を見張るものがあり、単純な絵柄なのに、とても存在感のある作品だった。

 ファビアは自分のハンカチが児戯にも劣る刺繍なのだと自覚し、顔に朱を走らせる。

 それを見て、母親は安堵に胸を撫で下ろした。


 見る目はあるのね。恥ずかしいと思う気持ちも。


「こういうものは慣れなのよ。何度もやるたびに上達するの。教えて上げるから頑張りなさい」


 微笑み励ます母親に、ファビアは小さく頷いた。




「何よぅっ、刺繍なんて社交界で必要ないじゃないっ、侯爵夫人のサロンなのに、何で刺繍が必須なのよっ」


 淑女に必須だからですよ?


 来月には十歳になると言うのに淑女の基本を理解していないファビアは、自室に戻ってから、またもや地団駄を踏みまくる。

 夫とか子供らの持ち物に名前を入れたり、クロスやクッションに模様を入れたり。特に家紋に関しては、その家の貴婦人にしか刺す事は許されない。

 名誉ある役目なのだが、妹君は興味がないようだ。


「想いを寄せる殿方に心を込めて贈ったり、夫となった方の持ち物に名前を入れたりするのは夫人の仕事なのです。淑女に必須な嗜みですよ?」


「そんなの侍女にやらせれば良いじゃないっ」


 良いのか、それで。


 愛する、あるいは信頼する旦那様の持ち物に、他の女の御手が入っても構わないのだろうか。

 姉君と比べてはいけない。あの方は規格外だ。しかし、それを別にしても、妹君は色々と足りなさすぎる。


 ナタリーはしばし考えて、伯爵夫人に刺繍を持ち寄った御茶会を催す事を進言した。

 トリシアをライバル視しているように、他の御令嬢らの嗜みを披露させてみてはどうかと思ったのだ。自分が他の御令嬢と比べても明らかにいたらぬ事を自覚すれば、また変わるのではないかと。


「そうね。良いかも知れないわ」


 伯爵夫人は得心気味に頷くと、他の同じ年頃な御令嬢の母親らに手紙をしたためた。


 そんなこんなをしている内に、侯爵夫人の刺繍の会の日がやってくる。




 支度をして馬車に乗り込む母親とトリシアを見送りに出たファビアは、如何にも不満げな顔で呟いた。


「ずるいわ、御姉様だけ」


「なら、貴女も来る?」


「トリシア??」


 思わぬ姉の言葉に、ファビアは眼を丸くする。慌てる母親を制して、トリシアは妹を真っ直ぐ見た。


「貴女が刺した刺繍を持っていき、皆さんに披露する? 選り抜きの御夫人方が刺した作品の中に出せる? 出来るのなら一緒に来てもかまわないわ」


 ファビアは押し黙った。


 出せる訳がない。あんな児戯にも等しい物を出したら、物笑いの種になるだけである。

 今まで刺繍を疎かにしてきたことに臍を噛む妹を眺め、トリシアは胸を撫で下ろした。


「では行きましょう。あとはよろしくね、ナタリー」


 恭しく頭を下げる侍女に見送られ、馬車は走り出した。その馬車に揺られながら、トリシアは仄かに口角を上げる。


「驚いたわ。あの子が来ると言い出したら、どうするつもりだったの?」


「言わない確信がありましたもの」


 訝しげな母親に、トリシアは説明した。


「あの子は馬鹿ではありません。むしろ頭の回転だけなら、わたくしよりも上かと」


 母親が驚嘆の眼差しでトリシアを見つめる。


「わたくしから装飾品を奪ったり、侯爵夫人の招待状に嫉妬したり。これが通常の子供の思考だと思われますか? さらに、あの子は自分の刺繍の力量が拙いモノだと自覚しております。でなくば喜び勇んで馬車に乗り込んできたでしょう」


 目の前で考え込む母親に、トリシアの笑みが深まった。

 そう、ファビアは恥を知る子供。多くの同世代ならば、恥ずかしいと言う意識は希薄なはずだ。

 拙いのが恥ずかしい。比べられるのが恥ずかしい。だから諦める。

 こういった感情は、十にも満たない子供の持つ思考ではない。

 考えが浅い部分は否めないが、けっしてファビアは馬鹿な子供ではない。上手く誘導出来れば、とびっきりの貴婦人になるだろう。


 今は目先のモノにしか興味がないようだが。


 トリシアの説明を聞き、伯爵夫人は納得せざるをえない。その通りだった。


 そして、それを看破する長女に震撼する。


 両親すら、ただの癇癪持ちな妹だと思っていた。姉と比べて我が儘が過ぎるし、習い事もかんばしくない。

 だが思い返せば、ファビアも好きな事だけは人並み以上だった。

 大人でも舌を巻く見事なダンス。綺麗な所作。たしかに、連れ歩く御茶会でも、沢山の夫人から称賛を頂いていた。慣らしの御茶会だけど、他の子供らと並ぶと飛び抜けている。


 母親失格再びだ。


 常にトリシアと比べていたがために、ファビアのいたらなさが目についた。日常的に一緒な二人だからこそ陥った罠だ。

 ファビアも十分頑張っている。あの年頃の子供なら、興味のある事が人並みで十分だろう。

 トリシアと比べて高望みして、ファビアが不出来なような雰囲気が伯爵家にはあった。

 実際、度を越した我が儘もあったからなのだけど。それにしたって酷い仕打ちだっただろう。

 トリシアが、ファビアの我が儘を何でも許していた理由の一端を垣間見た気がする伯爵夫人だった。




「これは..... 見事ね。十歳とは思えないわ」


 感嘆の溜め息と共に、侯爵夫人はトリシアの刺したテーブルクロスを広げた。


 四隅に四大精霊を模し、中央には八方睨みの葡萄の樹木。柔らかい色彩に、濃い色の差し色が、絶妙な立体感を醸し出している。

 他の御夫人方の御手と比べても遜色ない。


「わたくしの眼に間違いはないわね。ねぇトリシア嬢。折り入って御願いがありますの」


 何度も満足げに頷きながら、侯爵夫人はふっくりと瞳に弧を描いた。


 御願い?


 首を傾げたトリシアは、不思議そうに母親と顔を見合わせる。


「来月、息子が社交界デビューするのだけれど、タイの刺繍を御願い出来ないかしら? 息子より年下の子で、これだけ刺せる御令嬢はいないもの」


 あっとばかりに、伯爵親子は思い出した。


 社交界デビューする殿方はタイの刺繍を婚約者に頼むのだ。婚約者がいない場合はデビューする本人よりも年下の御令嬢に御願いする。

 妹でも良い。とにかく本人より年下な事が重要なのだ。


「婚約者の方はおられないのですか?」


 至極当然なトリシアの疑問。


 だがそれは地雷だったらしい。ぴゃっと青ざめた母親が思わず口に指を当てて沈黙を示唆する。

 しかし時既に遅く、侯爵夫人の眼が剣呑に輝いた。


「.......居たわね、そんなモノも」


 モノ??


 ぎょっとした顔のトリシアに深い溜め息をつき、侯爵夫人はこめかみに指を当てる。


「隠しても仕方ないわね。皆さん御存じだし。息子の婚約者だった御令嬢は奔放な方でね。火遊びを繰り返して、今は修道院よ」


 はい?


 トリシアは眼をパチクリさせた。


 言外に含まれた言葉が不穏すぎる。


 詳しく聞けば、相手は公爵家の次女で御歳十二歳。

 侯爵の御令息との婚約が整い、淑女教育が厳しさを増したため、ストレスか何か知らないが、はっちゃけてしまったらしい。

 複数の殿方らと悪い遊びに興じ、一線を越えてしまったとか。性的な意味でなく、道徳的な意味で。


 うわぁ..... お気の毒。


 トリシアの眼に含まれる憐びんを察したのか、侯爵夫人は弱々しく微笑んだ。


「まあ、そういう訳で、そんな御令嬢が用意したタイを使わせる訳にもいかないでしょう? かと言って、来月の新学期に合わせた舞踏会までにタイの刺繍を刺せる御令嬢もいなくて」


 侯爵の御令息は十三歳。大抵の御令嬢には婚約者がおり、刺してもらう訳にもいかない。それより幼いとなると刺す技量がない。


 そこに現れたのがトリシアだったのだ。


 藁にもすがる思いで御手を確かめようと、刺繍の会に招待したのだと侯爵夫人は言う。


 なるほど。


 納得したトリシアは、侯爵夫人の御願いを快く引き受ける。伯爵夫人はやや難色を示したが断る訳にもいかない。

 幸いトリシアにはまだ婚約者がいないので、刺すのに不具合はない。


 これが後に大騒動を巻き起こすのだが、今の彼女らに知るよしもなかった。


 後日、荒れに荒れたのがファビアである。


 七歳から伯爵夫人と共に御茶会へ参加していた彼女は、同じように参加していた侯爵令息に仄かな恋心を抱いていた。

 貴公子然とした彼に憧れ、ダンスの真似事をし、いずれ恋人になりたいと可愛らしい夢を描いていたのだ。


 そこに降って湧いた刺繍の依頼。それもトリシアへ。


 青天の霹靂で、嫉妬と怒りが入り雑じり、意味の分からない叫びを上げるファビアに、家族は首を傾げる。


 ここから修復の仕様もない深い亀裂が二人の間に穿たれた。


 誰も悪くないのに、誰も幸せになれない物語が、今、開幕する。

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