第33話 母親

 殺気を漂わせている何者かが、コチラを睨んでいた。

「なにしてるの? 早く家に帰って来なさい」


 恐怖で足が震えた。

 逃げろ、と彼女達に叫びたい。


 だけど声が出なかった。


「もう家に帰って来ると思って、何度ご飯作ったと思ってるのよ」

 

 目の前に立っていたのは黒い着物を着た女性だった。

 ラストダンジョンの深層に辿り着いた探索者である。そしてラスボスの父親と出会って俺達のことを産んだ母親だった。


 ごめんなさい、と言おうとした。

 だけど「ご」という言葉を口にした時点で、母親が俺の目の前まで迫っていた。

 そして持っていた扇子で、俺のコメカミ辺りを殴ろうとした。

 ヤバい、と思った。

 この扇子で殴られたら俺ですら戦闘不能になる。

 俺が戦闘不能になってしまったら佐伯さん達はどうなってしまうんだろうか?


 母親は人間である。だからダンジョンに入って来た探索者を好んで殺そうとはしない。だけど怒れば怖い母親なのだ。

 佐伯さん達に何をするのかわからない。わからないから俺が戦闘不能になることは出来なかった。


 俺が間一髪、母親の扇子を避けた。

 とある漫画における戦闘シーンで、あまりにもスピードが速すぎて何をしているかわからないみたいな描写がある。ドンドンドン、と戦っている音だけが描写されるのだ。たぶん佐伯さん達には母親が何をしたのかはわからなかっただろう。


「お邪魔してます」

 と佐伯さんがニッコリ笑って挨拶した。

「お邪魔してます」

 と姫子と風子も言った。


「あら」と母親が言う。「英雄が、こんな可愛い女の子を連れて来るなんて」

 フフフ、と笑いながら母親が下駄の履いた靴で俺に蹴りを入れた。


 母親が出した蹴りは一般男性が当たれば即死案件で、俺ですら戦闘不能になる。

 蹴りを出した瞬間の着物の擦れに気づかなければ避けきれなかったと思う。


「紹介しなさい」

 と母親が言った。


 お母さんはニッコリと笑って、俺のお腹にパンチを出した。

 スーパースローのカメラがあっても母親のスピードを捉えることはできないだろう。

 俺は母のパンチを手で受け止めた。キャッチャーがボールを掴む時のような弾ける音が鳴った。


「なにこの音?」

 と佐伯さんが辺りを見渡している。


「亡霊が歩いているのよ」

 と母親は恐怖を煽るような嘘をつく。

 そのセリフの間にも5発ぐらい母親が俺を殴った。

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

 音が連続的に鳴っている。


「えーっと、コチラが佐伯さん」

 と俺は彼女を紹介する。

「同じ高校生で同じクラスの女の子」


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

 ちなみにパンチだけではなくて、何度か蹴りも混じっている。

 俺はどうにか全てを受け止めていた。

 音ゲーみたいなもんだった。

 少しでもリズムを間違えれば受け止めることができない。

 身体中は汗だらけである。


「英雄は学校では大丈夫なの?」

 と母親が佐伯さんに尋ねた。


「そんな事をわざわざ聞くなよ」


 顔面を3発ぐらい殴って来た。

 右左右、に俺は避ける。


「心配なのよ」

 と母親が言った。


「なんで殴って来るんだよ」

 と俺が言う。


「アンタが可愛い女の子にうつつを抜かしているせいで、お母さんは何食分のご飯を作ったのかしら?」


「ごめんなさい」と俺は言おうとした。

 でも「ご」の言葉の時に母親のパンチが、お腹の中心に入ってしまった。


「これは昨日の晩御飯の分」と母親が言った。

 

 クリリンの分みたいに言うなよ、と俺は思ったけど言葉を口にすることは出来なかった。

 胃酸が混じった酸っぱい唾液が口から溢れる。

 屈みこんでしまったせいで背中を狙われた。

 背中にロケットランチャーのような衝撃。


「これは一昨日の晩御飯の分」


 俺は地面に頬をつけた。


「そんな悪い子にはサンタさんは来ないから」

 と母親が言った。


「……もう俺は大人だから、……そもそもサンタさんは来ないかもしれない」

 と俺は地面に頬を付けて、呟いた。


 早く起き上がらなくちゃ次の攻撃をされる。

 でもダメージが大きすぎて起き上がるのに時間がかかってしまった。起き上がるのに0・5秒以上は使ってしまった。

 こんなノロノロと起き上がっていたら普通なら母親に打撃のラッシュを食らう。

 だけどお母さんは俺を攻撃しなかった。

 

 母親の顔を見る。

「英雄は……大人になってしまったの?」

 お母さんは手を口に当てて、動揺していた。

「佐伯さんというのはアナタだったかしら?」

 と母親は言って、彼女に近づく。


 ヤバい、佐伯さんが殺される。

 俺は佐伯さんを守るように彼女の前に立った。

「何もしないわよ」

 と母親が言う。


 本当か?

 母親が佐伯さんに攻撃するかもしれない。

 俺は彼女の隣に立った。


「息子をよろしくお願いします。家で待っているから早く来てね。今晩はご馳走を用意しているから」

 と母親が言った。


「……はい」

 と戸惑いながらも佐伯さんが返事をした。


 母親が姫子を見る。

 姫子は母の威圧で後ずさった。


「この子も可愛いじゃない。お母さんはどちらが娘になっても嬉しいわ」


「なに言ってんだよ。早く帰れよ」

 と俺が言う。


 キリッと母が俺を睨む。


「ちゃんと牛乳もとって来なさいよ」

 と母が言った。


「はいはい」

 と俺が言う。


「お爺ちゃんも英雄のお友達に会いたがっているんだから」


「はいはい」と俺が言う。


 そして母親は走って、家に戻って行った。


「消えた」と佐伯さんが呟いた。


「はぁ〜」と姫子が溜息をついた。「近くにいるだけで殺されそうですわね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る