第7話「Encounter《出逢》」

 思い出すだけで胸が躍る。

 ロケットベーカリーの二卓四席しかないイートイン。くるくる表情を変えるカオルさんの向かいに座って面接したことを。




 あれはオープンからひと月たった梅雨入りの少し前。

 商店街とはいえアーケードのない我が商店街。雨でも降れば少しは客足が落ち着くかと思ったが、朝からどんよりしていたが降りそうで降らない、そんな日だった。


 昼ピークを過ぎ、雑味の勝った旨くもないコーヒーをひと口飲んで決断したんだったな。


「バイトを雇う! やってられん!」


 誰に言うでもない、忙しさから出た独り言だ。

 私の見込みに反してロケットベーカリーの売れ行きは良好。けれどオープン直後の物珍しさゆえだろうと甘く見て、半月もすれば落ち着くものと一人でパンを焼きパンを売った。


 端的に言って私の見込みは甘かった。

 二週三週は頑張った。しかし四週たっても客足は落ちずに今に至る。

 普通のパン屋ならば諸手をあげて喜ぶんだろうが、ウチは普通のパン屋じゃない。

 

 私はさっきの独り言の直後、即座に何かのチラシの裏に求人の旨をしたためて表に貼り、そして直後に挙がったカオルさんの手。


「あたし! それあたしやります! 今すぐからでも平気です!」


 驚いて振り向いた私の目前、ふんすふんすと鼻息荒く手を挙げるがそこに居たんだ。


 大粒のアーモンドの様な、クリッとした猫のような目。

 少しだけ大きめな二枚の前歯、やや小さい下顎。

 さらに、何があったのか疲れの見える表情。


 …………私の――女神……

 


「………………。え――、えっと、でしたらその、面接を――」


 そのとき不意に、頬に当たる雨滴。

 ポツポツっと来たかと思うとバタバタっと勢いを増して降り始めた。


「と、とりあえず中へ。話は中でしましょう」


 とにかく店内へ導き入れ、店へ入るなり私のパンを見て目を輝かせるカオルさんをイートインへと誘い座って貰ったんだったな。


「こんなとこですみません。あいにく事務所なんて洒落たものはなくて」

「いえ全然! あたし好きですよ、パン屋さんのちょっと甘い良い匂いとか!」


 ……一瞬息が止まりかけたが早合点が過ぎる。好きなのはパン屋であって私じゃない。


「……り、履歴書、持ち歩いてるんですね」

「ちょうど求職中なんです。勤めてたとこがこないだ潰れちゃって……」


 確かに食品メーカーの事務職で勤めていたとある。

 これは後に喜多が調べてきた事だが、食品偽装が明るみに出て、さらに脱税だかなんだかまで発覚で信用を失い潰れた会社らしい。


 カオルさんやその会社の社員には悪いが、よくぞ潰れてくれたと喜んだものだ。


「時給は千円ジャスト。売り上げが落ちればお断りする事になるかも知れません。それでも良ければ来て頂けますか?」


 時給千円については計算が面倒だからだが、ぶっちゃけ金にはそれほど執着もない。もっと弾んでもいい。


「良いんですか!? 喜んで! 売り上げ落とさない様に頑張ります!」


 きらきらと輝く表情で鼻息荒く言ってのけるカオルさん。

 ……シフトの相談なんて全くしてないのに。大丈夫なんだろうか?


「ちょ――ちょっと杭全くまたさん」

「……? あ、あたし杭全くまたさんだ。店長、あたしのことカオルって呼んで貰っても良いですか? なんか結婚して離婚して、苗字で呼ばれるのピンとこなくなっちゃって」


 ……家族構成の欄は特にない履歴書だったのだが、わざわざ自分で『家族構成・娘(小四)、独身』と書かれているのが気になっていた。


 ――そうか……カオルさんは独身か……


「で――では、んんっ、カっ――カオルさん」

「はい、なんでしょう?」


「ウチの定休日は月曜だけなんですが、お休みはどうしますか?」

「お休み……? いりません! 極力働かせて貰えれば助かります!」


 私も極力来て頂ければ嬉しい。けれどそういうわけにもいかないだろう。


「娘さん、小学生なんですから日曜日はお休みが良いんじゃないですか?」

「――あっ! うっかりしてた! そっか……そうですよね……」


 シングルマザーの身、子供の急病などどうしても職場に迷惑を掛ける可能性があるため家族構成を記しておいたそうなのだが、それを自分が忘れてたそう。


 そしてカオルさんには日曜と月曜以外の週五日、九時から十七時で来て頂く事になった。

 そこから私のバラ色のパン屋生活が始まったのだ。



「ところで店長」

「なんですか?」


「どうしてベーカリーなんですか?」


 喫茶・千地球のようにところ構わずロケットが飾ってあるなんて事もない店内。それどころか一つもない。

 それをきょろきょろと見回して確認したカオルさんがそう言った。


「…………秘密です」


 ちょっと恥ずかしいからな、これについては濁しておいた。

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