第8話「Older guy《おじさん》」

 ただ見た目が私の好みだという訳ではない。

 それだけは言っておかねばならない。


 カオルさんの何が良いって――これは周知のことだろうが――まずはとにかく笑顔が良い。

 ノーガードというか、明け透けというか、言い方は悪いが『にへら』って感じの緩い笑顔が堪らない。


 もし仮に、私が仕事終わりに疲れた顔で帰宅し、あの笑顔と共に『おかえり、お疲れ様』なんて言われた日にはもうそこで完全回復しそうなぐらいだ。


 …………いや待て待て、それだけじゃない。

 そう、カオルさんは頑張って働いてくれているが、それでも家計は厳しいらしい。前職の会社に勤めていた最後の二、三ヶ月の未払い問題があるそうだから。

 けれど、それでも、疲れた顔を見せる時があっても、いつでも背筋をぴんしゃん伸ばすその姿勢が良い。


 他にも――……めよう。キリがない。


 なんにせよ、ロケットベーカリーが開店してはや三ヶ月と少し、店にとっても私にとっても、もはやカオルさんはなくてはならない人だという事だ。



「ここんとこ喜多さん見ませんねぇ」

「あ、そういえばそうですね。来なきゃ来ないで気にもしませんでした」


 そう言えば二足の草鞋のもう一足の方、あちらもここのところご無沙汰だ。

 カラオケボックスの件からひと月半ほどだから、そろそろ顔を見せる頃か?



 昼ピークも過ぎ、夕方のピークまでもう少しというところ。私はもう本日分のパンを焼く予定はなく、明日以降のパンの仕込みを始めているぶん気楽なものだ。


 そこにからんころんとドアベルが鳴ると、案の定でそこには喜多。


 けれど、どうもいつもと様子が違う……?


「あら喜多さん、いらっしゃいませこんにちは。ちょっとぶりでしたねー」

「や! カオルちゃん! 今日も良い笑顔だね〜」


 ん? ドアを開けてはいるが入ってこない。


「なんだか疲れてるみたいですけど……どうしたんですそんなとこで?」

「ここんとこバタバタでさ、あちこち飛び回って疲れちゃったのよ。……ほら、入れよ。奢ってやるから」


 どうやらドアの向こうにもう一人いるらしいな。

 職業柄、喜多が誰かといることはあんまりない。千地球のママか? しかし今あちらはそこそこ忙しい時間帯か。


「だ――だからわたしは良いってば!」

「なに言ってんだ。何回も店のまえ行ったり来たりしてたクセによぉ、用があるんだろうが」


 おや? やはり千地球のママではない様だ。

 喜多がを掴んで店に引っ張り込んだのは、なんと女の子。今風に言えばJSってやつか。


 ……さすがにそれはまずいだろう喜多よ。

 事案ってやつじゃないのか。


「え、野々花ののか? なんでこんなとこにいるの?」


 …………


「あっ!? 違うの店長! こんなとこ、って言葉の綾で――っ!」

「全然大丈夫ですよ。そんな事より野々花さんを」


 なんだかわちゃわちゃ慌てながら厨房向いてぺこぺこするカオルさん。可愛い。

 けれど、カオルさんの肩越しの野々花さん――やはりカオルさん似の美少女――は打って変わって私へキツい目……? なぜだ?


「あ、なんだ。こいつカオルちゃんとこの娘ちゃんかー。そんならそうと早く言えよー」


 そう言って喜多が一ミリも空気を読まずに野々花さんのランドセルを引いて店に入れる。


 おい、乱暴に扱うな。

 カオルさんの娘と言えばもうそれは私の娘と言っても差しつか……冗談だ。ただの妄想だから忘れてくれ。


「ちょ――ちょっと! 引っ張んないでよおじさん!」


 肩のベルトをぐいっと引いて喜多の手を振り払い、喜多へ向かって言い放つ野々花さん。


「……お――俺がおじ………さん――だと!?」


 なに言ってる。間違いなくお前もおじさんじゃねえか。

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