第6話「Satisfaction《会心》」


 殺しの仕事はせいぜい月に一度あるかないか。月に二度ある事は滅多にないし、ふた月ほど空く事もある。

 だから喜多の奴もそうしょっちゅうは顔を見せない。


 ――その筈だったんだがな。

 からちょっと可笑おかしな事になってて参ってんだ。


「ねぇ、それでどうする?」

「こんなのどうかな

「それにしたって栄一くんってば綺麗な顔してるわぁ〜」


 私の指は特別製だが、耳だってかなり常人離れしている。

 縦型ミキサー君コロちゃんが出すぺたこらぺたこらいう騒音の中、店内イートインコーナーでこそこそと密談する二人組の会話だって盗み聞きできる程度にはな。


 ――本気ならば応援する――


 そう私に言った千地球のママは喜多を上手いこと引き入れて、頻繁にやって来ては合流し、小声で何やら相談するようになった。

 しかし傍目はためには美青年――実年齢よりずいぶん若く見える喜多も実際それほど若くはないが――と熟年女性、どう見ても不穏。ウチでの密談はあまり望ましくはない。


 だいたい喜多の奴、俺らみたいなもんに普通の家庭はうんぬんかんぬんかしてたくせにどういうつもりだ。



「カオルさんこれお願いします。熱いから気を付けて」

「はぁい店長――わぁ! 美味しそう!」


 ふふっ――会心の出来のクロワッサンだ、旨いのは間違いありませんよ。

 けれどクロワッサンというものは確かに旨いが、あのサクサクカリッとした食感のためには多大な犠牲を払う必要がある。


 少し小ぶりな当店のクロワッサンを例にとれば、一〇〇グラムの強力粉で四つのクロワッサンが焼けるが、それに必要なバターはなんと八〇グラム。

 比率にして五対四。もうそれは小麦粉を食っているのかバターを食っているのか悩むレベルではあるまいか。


 ――旨いものはカロリーが高い。

 一概には言えないだろうが、心の片隅に置いておいても無駄にはなるまい。


 だからと言う訳ではないがクロワッサンはあまり多くは焼かない。お昼前、ピーク時間の前のこの時間だけだ。

 だがこれがすこぶるよく売れる。私のパン作りの腕はせいぜい並が良いとこだが、焼き立てクロワッサンは旨いからな。


 焼き立てクロワッサンをカオルさんに託し、ついでに店舗へ出て問題の二人組へと近付いてはっきり言う。


「そろそろ昼ピークだ。喜多、帰れ」


「帰れって――げふんっ、げふ、ごほんうほうほ――帰れって、俺は今日もお客よ、お客!」


 ……やっぱりうほうほ言ってんじゃねえか。オマエはちょっと黙ってろ。


「ママの『千地球』だってそろそろ忙しい時間でしょう? マスター困ってますよきっと」

「ウチの昼ピーは正午過ぎからだからまだ平気よ」


 とにかくマスターにチクってやろう。若いツバメに入れ上げてますよ、ってな。


「真面目な話、ウチのイートインは全部で四席、長っ尻ながっちりは困るんですよ」

「だってしょうがねぇじゃねえの!」


 ……ほう? この流れで反論するか喜多よ。オマエに勝ち目はないぞ?


「カオルちゃんが淹れてくれるコーヒー、旨いんだからよ!」


 ………………分かる。それは分かっちまう。


 特に力を入れている訳ではない当店のコーヒーは実際のところ大したことはない。

 さすがにインスタントではないが、特別お高いブレンドだとかいう事は全くない。問屋で売ってる、値段で言えば下から二番目の豆だ。


 けれど喜多の意見に全面的に賛成だ。

 カオルさんが淹れてくれたコーヒーは、んだが何故か旨い。


 しかもどうやら、これが私と喜多だけじゃないらしい。あちこちで評判が良いのだ。


「喜多さんはほんと冗談ばっかりなんだから。あたしのコーヒーっていっつもなんでかアメリカンなのよ? そんな訳ないじゃない」

「いやそんな事ねえって。なんでか旨いのよカオルちゃんのコーヒー」


 二人のやり取りにうんうん頷いてしまう私を尻目に、さすがに喫茶店経営らしい意見を口にする千地球のママ。


「雁野さんの仕入れてるコーヒー豆、そんなに良いのじゃないでしょ?」


 確かにそう。下から数えた方が早い、お求めやすいお値段のコーヒーなのでママに頷く。


「だからだと思う。これで濃いのを淹れちゃ雑味が立ちすぎて美味しくないんじゃないかなぁ」


 ……なるほど。

 私が淹れるより旨い理由とはそのせいなのかも知れないな。


「って事は……あたしは薄いままで出さなきゃダメ……って事ですか?」

「そうね、そうかも。雁野さんのコーヒーはもっと普通に濃いけど、カオルちゃんの方が断然美味しいもの」





 っとまあ、この様にだ。

 カオルさんのコーヒーに限った話でなく、この街で始めた『ロケットベーカリー』の評判はそう悪くない。


 ぶっちゃけ私のパンの腕は然程さほどでもない。

 せいぜい可もなく不可もなく。どこでだって合格を貰えるという程度のものであって、絶賛を貰えるものではないという程度。


 なのにこの春のオープン以来、売れ行きはそう悪くない。


 まぁ理由は明白。

 元々ここにあった、去年閉店したパン屋がイマイチだったってだけなんだ。


 オープンからひと月もすると、一人で店を回すのが辛くなってバイトを入れる事にしたのだが、なんとその面接に来たのがカオルさん。劇的だった。


 表に求人の張り紙を貼ると同時、そこをたまたま歩いていたカオルさんが手を挙げた。


『あたし! それあたしやります! 今すぐでも平気です!』


 初めて目にしたカオルさんは少しの疲労と、切羽詰まった緊張感とをその身に纏わせていた。

 しかしそれでも今と変わらぬ愛くるしさを全開に蓄えていた。



 さっきのクロワッサンだけじゃない、いま思えばあの張り紙もまた、私の会心の作になったと言わざるを得まい。

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