ニセモノのお約束

 その日は雨が降っていた。


 午前中の仕込みのために厨房へ入ったが、火がつかない。昨晩最後にここを出たのは彼女アニーだ。仕事一筋の彼女が、自らの仕事場を破壊するなんて考えられない。本人も「身に覚えがないです」と言っている。ボクは設備が老朽化しているので新しいものに取り替えたいと、前々から兄に申し出ていた。言わんこっちゃない。とうとうガタが来たのだろう。

 連絡すると超特急で修理屋が二人組で駆けつけた。二人ともオルタネーターだ。彼らは懐中電灯で故障部分を見てから「修理には丸一日かかります」「全力でやらせていただきます」と言ってくれた。今日のところは臨時休業せざるを得ない。

 彼女はその事情をうまく処理できていないようで、自らも修理屋のオルタネーターに混じって仕事しようとする。見ていられなくなって、彼女の左手首を掴み、店の外へ連れ出した。


 傘はコンビニで買う。コンビニの店員もオルタネーターだ。ガタイのいい成人男性型のオルタネーター。身体はガッチリとしているのに、身長はボクより低くて彼女よりは高い。そんな彼はボクと彼女を交互に見てから「いらっしゃいませ」と挨拶してきた。彼女は今日も微笑んでいる。店員のオルタネーターは特に何を聞いてくるわけでもない。そして仏頂面だ。極めて事務的にレジの会計を済ませると「ありがとうございました」とそう言わなくてはいけないのでそう言っているような態度でお辞儀をする。同じオルタネーターでも、彼よりも彼女のほうが幸せそうに見えた。彼は彼なりに、与えられた仕事を適切にこなしている。それがオルタネーターという生き物の習性なのだから、彼は正しい。

 ただ、幸せなんだろうか。彼は笑っていなかった。機械をレジに立たせているのとそう変わらない。彼女は、ボクに笑いかけてくれるようになった。他の職人や、接客担当のパートさんたちともうまく折り合っている。輪に混じって談笑する姿は、地域の母たちと娘のようでもあった。

 出会ったばかりの頃には考えられなかったことだ。ボクの後ろをついてまわり、マンツーマンでの指導に「はい」と「わかりました」を繰り返していた彼女が、今やボクたち家族の一員として、かけがえのない存在となっている。

 解決してから知ったことだが、ボクの目が届かない場所で、彼女に嫌がらせしたりちょっかいをかけてきたりする女性の従業員がいたらしい。彼女はずっと黙っていた。これほど一緒に過ごしているボクにも、一度たりとも相談してこなかったのだ。

 悪事がばれたのは偶然のことだった。たまたま兄がそのイジメ現場に出会し、その場でその人に解雇を言い渡す。兄が彼女に、なぜ反抗しないのかを聞けば、彼女は真顔で「これも仕事なのです」と返答し、辞めさせた人の身を案じて「あの人は悪い人ではありませんでした。これからの人生が有意義なものであることをお祈りします」と付け加えた。――と聞いている。


 背の高いボクが傘をさし、彼女と歩幅を合わせて歩いた。彼女がの前で足を止めたので、映画を観た。映画館というと格好はつくが、ミニシアターの部類だと思う。ただ、看板には映画館とあったので、彼女もボクも、映画館として認識することにした。初めて聞くような監督の撮影した映画を観る。朝の情報番組の、映画の興行成績ランキングには絶対に入ってこないような、こういうちっぽけな寂れたでしか上映していないような、そんな作品だ。

 冒頭に壁にかけられたショットガンが出てきた。舞台は我が国ではないが、出てくるネコはその辺に居そうな変哲もない三毛猫だ。主人公はこのネコを無断で飼っているようで、大家らしき人物がドアを乱暴に開けてそのネコを外に追い払おうとする。すると主人公はショットガンを手にし、大家を撃ち殺してしまった。この騒ぎを聞きつけた警察官や、大家の親族らしきマフィアの方々がどんどん家にやってきて、そのたびに、主人公はネコとの生活を守るためだけに来客と戦う。

 ショットガンの弾が切れたら、引き出しの中からサブマシンガンを取り出して、ハリウッド映画のように二丁拳銃の構えで銃弾を乱射していた。人だけでなく、陸を泳いできたサメもネコの命を狙っている。サメに対しては銃ではなく爆弾を食わせていた。爆発四散するサメ。

 敵の襲来が止んだところで、主人公は銃を捨てると「引っ越さなきゃな」と言ってネコを抱き上げる。そして、陽気なテーマソングを伴ってスタッフロールが流れ始めた。ボクにはなんだかわからない。何を考えて撮影されたものなのか、誰に向けてのメッセージが込められているのか、ただただ銃声と悲鳴が聞こえるばかりで、どっと疲れてしまった。

 彼女は一言「楽しかったです」と言って、席を立つ。他の観客はいない。本当に面白いと思っての言葉ではないように聞こえた。


「やあやあ、代替品」

 劇場とは名ばかりの小さな箱を出たら、集団が待ち構えている。集団の真ん中に立つ青年は〝反オルタネーター派〟の目印となる、黄色いバンダナを左腕に巻き付けていた。話しかけてきたのもそいつだ。

 こんな奴らとは関わり合いになりたくない。政府からベーシックインカムやら生活に必要な支給品やらを受け取っておきながら、オルタネーターを「代替品は人類から〝勤労の義務〟を剥奪し、伝統を破壊する侵略者である」として迫害するような奴らだ。今や、オルタネーターがいなくなったら、世の中は立ち行かなくなる。人類は労働を捨てた。ボクや、他の従業員が働いているのは『オルタネーターである彼女と過ごしたいから』という側面が強くなっている。

 こいつらときたら『オルタネーター=悪』のレッテルを貼り付けて、オルタネーターを生産し管理しているXanaduに「代替品は違憲である」と先日デモ隊が突入しようとした(警備ロボットに追い返されていた)。とんでもない。ボクは「行こう」と彼女の右手を引っ張る。

「その代替品は不良品だ。だから回収しに来た。ほら」

 青年が指差した先で、Xanaduのスタッフを乗せたトラックが停まった。防護服に身を包んでいる。彼女のどこが不良品だというのか。オルタネーターが回収されるのは、その仕事に支障をきたすようなケガをした時だけではないのか。

 彼女はさーっと青ざめて、ボクを背負うと、一目散に逃げ出した。


 雨は強く降っている。

 足音はバシャバシャと、振り向かなくとも後ろから人間がついてきていることを教えてくれていた。


「楽しかったです」

 彼女はこの日々が唐突に終わりを迎えようとしているのを受け入れている。と捉えられるセリフを言った。ボクは納得できない。理解もできない。追いかけてくる人間たちは、魔王の手下のように思えた。あるいは、理不尽が人間の姿をした者。

「わたしが回収されたら、代わりのオルタネーターが手配されるでしょう」

 全速力で走りながら、彼女は「データは引き継がれ、そのオルタネーターが仕事をしてくれます」と続ける。

「キミじゃなきゃダメなんだ」

 ボクにとっては、キミだけが本物だった。同じぐらい仕事ができる偽物はいらない。キミにいてほしい。みんなも、そう言ってくれる。

「わたしも、そう思います」

 足音が消えた。……不思議なことに、店の大広間へとワープしている。ボクらは靴を履いたままで、畳の上に立っていた。びしょ濡れなので、髪から服から、水が滴り落ちている。

「最後に行く場所は、映画館ではなく、最初に行った、水族館がよかったのかもしれません」

「最後ではないよ」

「ウナギによく似たあの生物を見たかったですね」

 アナゴを気に入っていた。ウナギの偽物だと思ったらしい。ウナギはウナギでアナゴはアナゴだ。どちらがどちらの偽物でも、本物でもない。アナゴのほうが海に住んでいてさっぱりしていて、ウナギみたいな濃厚さがないだけ。

「話せばわかってくれるよ。何を根拠に、キミを回収しようってんだ」

 今日の彼女は、仕事着のままだった。今日も働く気でいたから。他の職人のような格好をしていた。ボクが『外での仕事』と言って連れ出す時には、それなりに恋人らしく見えるような服を着てもらっている。


「わたしが、人間本物になろうとしたからでしょうね」

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