青春のやり直し

 それから一年経った。

 従業員として代替品オルタネーターを雇う企業が増えてきて、オルタネーターの社会的認知度が上がってきている中で、我が国の政府がベーシックインカムの導入を発表する。人間は働かなくてもよくなってしまった。表向きには。

 ウナギ屋にわざわざ足を運ぶような食通を自称する方々が「オルタネーターが焼いたウナギにはがつく」とのたまって、うちを毛嫌いする。予期せぬ事態に、兄は、注文の際に職人を選択できるよう取り計らった。付き合っていた彼女さんとの結婚を目前にしての廃業はなんとしても免れたかったのだろう。

 機械化や自動化が進んでも科学的には証明できない人の手の温もりのようなものを求める声があったように、人造人間ではなく人間のために働く人間を所望する人間は現れるのだ。歴史は繰り返す。

 美世ちゃん似のオルタネーターは、いつしか『アニー』と名付けられた。元々は名無しの権兵衛だったのだ。ボクはこの名前で呼びたくなくて、いつも「おい」と呼びかけている。

 ミュージカルの『アニー』にあやかって付けられた。父親や母親といった存在のない彼女に、孤児の名前を付けるのは、はっきり言って趣味が悪い。名付け親が牡蠣にあたり続ける呪いをかけたい。第一、センスがない。彼女は赤毛ではない。日本人形を彷彿とさせる、人工的な光沢のある黒髪だ。あと、これはボクの感情的な理論であって、全く論理的ではないのだが、アニーとが重なってくるのが嫌だった。

 彼女は年中無休で働こうとする。オルタネーターである彼女に、休息は不要だった。人間の仕事を肩代わりするために生まれた存在であると、誰よりも彼女自身が盲信している。人の姿形をした、そういう生き物。

 生まれたばかりのヒヨコは、そのつぶらな瞳で初めて見たものがだと脳に刷り込まれる。オルタネーターというヒヨコは、仕事を親としているように思えた。仕事をしていないと存在意義を見失ってしまう。

 ボクは彼女を店の外へと連れ出した。一度や二度ではない。無理にでも連れ出さないと、彼女が壊れてしまうように思えた。彼女は人間ではなく、人間のために作られた人造人間だとは理解している。理解しているのと、納得できるのとは違うのだ。


 一回目。仕事場から離されてしまったことが『何をしでかしてしまったのか身に覚えはないが、どうやら罰を受けなければならない』ものだと感じているようで、彼女の小さな身体は震えていた。

「これも仕事だよ」

 ボクは彼女の不安を少しでも払拭しようとする。青くなった唇から「どこへ行くのです?」と疑問が返ってきた。

「水族館に行く」

 彼女はウナギ職人となるべく育てられ、学習速度は常人を超えている。まだ一年しか経っていなくとも、一人前として恥ずかしくなく、どこででもやっていける腕前に成長した。

 オルタネーターである彼女には仕事しかないというのなら、たとえうちが潰れてしまったとしても別のところで雇ってもらえるようにしなくてはならない。師匠たるボクには、次の選択を歩ませるための下準備をする責任がある。幸か不幸かオルタネーター嫌いの客のおかげで年老いた職人を引き留めることはできているが、ベーシックインカムの影響で明日「辞める」と言われてもおかしくはない。

 彼女に足りないものは常識だ。今後、うちを出て社会で生きていくにあたって、必要最低限の知識は身につけておかなくてはならない。人間とオルタネーターと、見た目にわかりやすく違いはないが、違いがないぶん、いざ人間として振る舞わなくてはならなくなったときに困るのは彼女だ。

 それで何故水族館を選んでしまったのか。……兄とボクが小学校の二年生の頃の遠足が、向かう先の水族館だったから。ボクはまだ、彼女に、美世ちゃんを重ねてしまっている。

「ママー、なんかくさい……」

 五歳ぐらいの男の子が、こちらをチラチラ見ながら母親の袖を引っ張る。彼女は子どもに微笑みかけた。幾分、血色も良くなったようだ。

 男の子の母親は、唇に人差し指をくっつけて「しっ」と言った。人間とオルタネーター、その差異として最も特徴的なものはだ。ボクは気にならないのだが、気にする人はとても気になってしまうものらしい。親子は別の車両に移動してしまう。ボクらは次の駅で降りた。

「あれは、なんですか?」

 彼女が指差した先には大観覧車がある。駅のホームから見えるのだ。

「乗りたい?」

「乗れるのですか?」

「あのひとつひとつのカゴに乗って、ぐるっと一周するんだ」

 ボクが答えると、彼女は「へえ……」と言って視線をホームに落とした。きっと、彼女の中で葛藤があるのだろう。

「水族館を見終わったら、乗りに行こう。これも仕事だよ」

 彼女は顔を上げる。

 常に微笑みを湛えている彼女が、心の底から笑顔になってくれた。これまでの微笑みは、いわば社交辞令のようなもので、本心からのものではなかったのだ。小さい彼女が微笑んでいれば、人間は優しく接してくれる。


 ボクはなんだかんだと正当化して、妥当に見えるように理由づけして、彼女と接していた。が、この時のことを振り返ると、どうやらそれらはらしく思える。


 恋だった。

 ウナギと共に過ごして一般的な形の青春を取り逃がしていた。

 今になってやり直そうとするかのように、ボクは恋に落ちた。

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