第17話 偶然の発覚(前)
取引先との会食を終え、僕は疲れた足を引きずりながら、いつもと変わらない我が家の玄関に立っていた。鍵を差し込み、ドアを開ける。
「ただいま」
しかし、いつもなら返ってくるはずの妻である恵子からの返事が聞こえない。恵子がこんな時間に外に出るとも思えない。体調を崩すなどで、先に寝ているのだろうか。ポケットからスマートフォンを取り出すものの、恵子や子どもたちからの連絡はない。
不思議に思いながらも靴を脱いで家に上がる。いつもとは何かが違うような気がした。家の中から、音がしない。そう、静かすぎるのだ。その静寂が、異様に感じられた。
リビングダイニングに向かう足取りが重くなる。家族に何かあったのかもしれない。そろそろと廊下を進んでいき、リビングダイニングへと足を踏み入れる。すると、ダイニングテーブルに座る3つの影が視界に映った。妻の恵子。娘の燈。息子の悠人。僕とともに暮らしている家族だ。
だが、彼らはいつもとは違い、押し黙ったまま座っている。ゆっくりと近づいていったことで、気がついた。彼らの表情に、いつもの暖かさがない。そして、一家団欒を彩る食事の代わりに、1つの茶封筒がダイニングテーブルの上に置かれていた。その茶封筒が視界に入ってから、僕の視線は茶封筒に向いていた。
「3人とも、どうしたんだい?」
空気を変えようと軽い感じで聞いたつもりだったが、発した声が震えているのを自分でも感じる。
恵子が静かに口を開いた。
「勝巳さん、座って」
うつむき気味のまま、こちらを見ようともせずに告げられた言葉。今までの結婚生活で、恵子がこんな態度をとったことはあっただろうか。そんなことを思いながら、言われるがまま、僕はイスに腰を下ろした。いつもとは違う状況に、緊張しているのだろう。自分の心臓の鼓動が、いやに耳に響く。
「
恵子の口から飛び出した名前に、僕の体は凍りついた。
「……え?誰?」
とっさに誤魔化そうとした僕に、恵子は茶封筒から書類の束を取り出して見せた。書類の表紙には、大きく『調査報告書』という文字が書かれている。
「ここ半年くらい、あなたの様子がおかしいと思っていたの」
恵子の声が震えている。
「今までになかったことだから、会社でトラブルがあったのかと思って、父に聞いたわ。けど、父は何も知らなかった。それで、燈や悠人にも相談したわ。何か気づいたことはないかって。でもね、こんなことなら相談しなければよかったわ」
押し黙った恵子の後を受けるように、燈が小さな声で続けた。
「私も悠人も、何も気づいちゃいなかった。お母さんの力になりたかったけど、どうしたらいいかわからなくて。そんなとき、私、仕事の帰りに寄った喫茶店で、たまたま見つけたの。『不倫相談承り〼』っていう看板」
燈の言葉に、喫茶店でのマスターとの会話が一気に蘇る。そうか、あの喫茶店に燈も行ったのか。
「お母さんが悩んでいるのをほっとけなくて、喫茶店を紹介したんだ。1人だと不安だろうと思って、私と悠人もついていった」
「マスターに相談したいって話したら、奥まったところにあるテーブル席に案内されたんだ。お母さんが感じたことは全部しゃべっていいって言われてさ。お母さん、お父さんのことを本当によく見ているよ。子どもの俺たちが気づかなかったことばっかりだった」
続いて声を発したのは悠人。顔が見えなくても、泣きそうなのを堪えて話しているのが伝わってくる。
「……最後まで話を聞いてくれたマスターさんが、興信所を紹介してくれたの。多少お金はかかりますが、何も話してくれない旦那さんを信じるための安心料だと思うのはいかがでしょうかって。悩んだわ。勝巳さんが不倫なんてしているわけがないって。でも、一度疑ってしまったことで、あなたの行動がすべておかしく見えてきて。悩んで、悩んで、悩んで悩んで悩んで悩んで。マスターさんの言う安心料だと思って、興信所にあなたの素行調査をお願いしたの」
恵子は、手にしたままだった書類の束をめくり、僕に見せてくる。そこには、僕と華凛が腕を組んでラブホテルから出てくる写真が印刷されていた。
「……勝巳さん、正直に答えて。これ、本当なの?」
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