第16話 偶然の代償
雨音が窓を叩く音が聞こえる。ホテルの一室で、僕は天井を見つめながら考え込んでいた。隣では華凛が静かに寝息を立てている。
「これでいいのだろうか……」
心の中で思っていたことが口からこぼれ出る。映画への情熱を分かち合える唯一の存在である華凛。彼女との時間は、家族にも認められなかった趣味を認められ、窮屈な日常から解放される貴重な瞬間だった。しかし、映画を語り合うだけで止まれなかったことで得たものに比べると、その代償は計り知れない。
これまで浮かんでこなかった家族の顔が、不意に脳裏をよぎる。妻の笑顔が、以前ほど明るくないことに気づいていた。でも、見て見ぬふりをした。子どもたちとの会話も、ほとんどなくなった、会話があったとしても、事務的なものばかり。本当に大切なものを、僕は見失っているのではないか。
「でも、華凛となら……」
そう呟いた瞬間、罪悪感が胸を締め付ける。華凛との関係は、純粋な映画愛から始まった。しかし今、それは僕の人生そのものを揺るがしていた。家族の顔と、華凛の笑顔や睦事での姿とが、交互に浮かんでは消えていく。
結論が出ないまま悩んでいるうちに、いつの間にか日が登っていたようだった。
「勝巳さん、おはよう」
華凛の声に、僕は我に返る。
「おはよう、華凛」
「もしかして、寝てない?」
華凛の言葉に、上手い答えが浮かばず、抱きしめることで答えた。スキンシップとばかりに彼女の首筋に口付けをする。
「あ、ちょっとっ……ねぇ、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
困ったように息をつき、抱きしめ返してくれる華凛。華凛の行動に、嬉しくなる。それと同時に、嘘をつく自分に嫌悪感を覚える。僕のことを卑怯者と思っていないだろうか。自分本位な考えばかりが頭の中を渦巻いている。
だが、彼女との一線を越えなければ、このように悩むこともなかった。しかし、一線を超えたからこそ、このような素晴らしい関係になれたのだ。約1年ほどの関係ではあるが、華凛との逢瀬が一番の楽しみになっていた。
「あ、そうだ。今度映画祭があるじゃない?勝巳さんと一緒に行きたいな」
無邪気そうな華凛に、胸が痛む。
「あー、映画祭あったね。でも、ちょっと考えさせて」
「……ご家族?」
「いや、そのころに仕事が立て込みそうで。僕が判断してあげないと仕事が進まないからさ」
再び嘘をつく。最近は華凛にも家族にも嘘をつきっぱなしだ。
華凛との関係を続けるべきか。それとも、きっぱりと断ち切るべきか。答えは出ない。ただ、このままでは、いつか取り返しのつかないことになる。そう直感していた。
するりと僕の腕の中から抜け出し、ベッドから降りた華凛に視線を向ける。
「華凛」
「ん?どうしたの、勝巳さん?」
一糸纏わぬまま、上体をひねって僕のほうを見る。華凛のプロポーションの良さや、グラマラスな胸がよくわかる姿勢だ。
「……あ、ごめん。華凛は綺麗だなって思って」
「ふふっ、変な勝巳さん」
喉まで出かかった言葉をつぶし、見惚れたような表情を作る。そんな僕に苦笑を向け、華凛はバスルームへと向かっていった。
この関係を続けたとき、どんな結末が待っているのか。それを考えると、恐ろしくなる。
だが、ここまできて華凛のいない日々を想像したくもない。
僕は、深い霧の中に迷い込んでしまったようだった。
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