第14話 偶然の溝

 僕は遅い夕食を終え、リビングのソファに腰を下ろした。手元には、今度観に行こうと思っている映画のチラシの束。


 テレビからは、この時間に見ていたニュース番組が流れている。台所からは、恵子が食器を洗う音が漏れてくる。


「お父さん、また映画?」


 燈の声に、僕は少し体を強張らせた。彼女の口調には、わずかながら呆れたような響きがあった。


「ああ、そうだよ。今週も観てきたんだ」


 正直に答えたものの、胸に小さな痛みを感じる。本当は華凛と一緒に観に行ったのだが、それは言えない。


「はぁ……」


 悠人が顔を上げずに溜め息をつく。


「いい加減、その趣味にも飽きないの?前以上にお父さんが俺たちと顔を合わせる時間が減ってるの、自覚ある?」


 息子の言葉に、僕は眉をひそめた。


「映画は僕にとって大切なものだ。ころころ趣味を変えるような飽きっぽい悠人にはわからないかもしれないけど。それに、お前たちを何度も誘っているじゃないか」


「いい機会だからはっきり言わせてもらうけどさ、お父さんが好きな映画はどれもつまらないの」


 燈が携帯を見ながら言う。


「いつも難しそうな映画ばっかり」


 その時、台所から戻ってきた恵子と目が合った。彼女の瞳に、諦めたような光を感じた。


「勝巳さん、お茶いれたわよ」


 恵子の声には、疲れが混じっているように聞こえた。


「ああ、ありがとう」


 恵子が僕の隣に座る。お茶を受け取りながら、ふと彼女の横顔を見た。50歳になった今も美しいが、目尻にはこれまで気づかなかった細かいしわが刻まれている。


「ねえ、勝巳さん」


 恵子が静かに話しかけてきた。


「たまには、家族で出かけたりしない?映画じゃないところで」


 その問いに、僕の心臓が一瞬止まったように感じた。喉が乾く。


「そう、だな……」


 僕が言葉を選んでいる間に、恵子が追加の言葉をぶつけてくる。


「燈も悠人もいい歳よ。家族水入らずの時間を持つ機会はもう残されていませんからね」


 絶句する僕に、燈と悠人の視線が刺さる。恵子は僕の言葉を待っていたようだったが、しばらくするとため息をついた。


「呆れたわ。そんなことも、わかってなかったの?」


 その言葉の裏に隠された寂しさを、僕は感じ取っていた。家族との溝が深まっていることを痛感させられたのだ。


 お茶を一口飲み、僕は何気ない様子を装って言った。


「……来週の土曜日、みんなでどこか行こうか」


 恵子の表情が少し明るくなった。


「そうね、それいいわ」


 その瞬間、罪悪感が僕を押しつぶしそうになった。本当は、その日も華凛と会う約束をしているのだから。華凛への情熱と家族への義務の間で、僕の心は引き裂かれそうになる。

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