第13話 偶然の不倫相談

 別の週の金曜日の夜には、レイトショーを見てから、レストランで映画の感想を語り合う。会うたび綺麗に、華やかになっていく華凛に、道行く男からの視線を向けられることも増えた。だが、映画を語るときに目をキラキラさせるのは変わらない。そんな華凛との語らいは、僕の癒しにもなっていた。


 食事をした後は2人でホテルへ向かい、朝まで過ごす。罪悪感に苛まれていたころとは違い、今では僕のほうから華凛を誘うことが多い。


 あまりにも綺麗になった華凛の一糸纏わぬ姿。その姿を見ることができるのは僕だけだという優越感は、筆舌に尽くしがたい。華凛を連れ歩くにあたって、若い男に舐められないよう、以前から通っていたジムでのトレーニング量を増やしていることは隠している。


「勝巳さん、わたし、そろそろ行かなきゃ」


 土曜日は、華凛に予定があるとのこと。ひと足先に華凛が去った後、僕は一人街を歩いていた。少し朝食を食べすぎたこともあって、腹ごなしの運動がてら散歩することにした。


 そんな中、ふと目に入ったのは、見覚えのある喫茶店。目的地を決めていなかったはずだが、なぜか足が向いていたようだ。


 せっかくだからと店内に入ると、客は誰もいない。カウンターに座り、コーヒーを注文する。


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 マスターの声には、どことなく皮肉めいた響きを感じられた。


 この喫茶店のコーヒーは注文してから豆を挽く。それも手動のミルで挽いてくれるのだ。


 コーヒーを待つ間、店内を見回す。何度か来ているが、華凛と来ているため、話に夢中になってちゃんと店内を見たことがないと思ったのだ。そんな中、目に入ったのは小さな看板。「不倫相談承り〼」と書かれている。


「あの、この看板なんですが」


 マスターがコーヒーを置きながら答えた。


「ああ、こちらでございますか。以前は不倫相談所という不倫に関するご相談をお受けすることをやっておりまして。今でもご相談を承っておりますよ」


 その言葉に、僕は思わず口を開いた。


「友人の話なんですけど、それでもいいですか」


「構いませんよ。ですが、ご友人様はお客様にだけお話されたのではないでしょうか」


 不倫をしている側でもされている側でも、相談したのであれば大っぴらにして欲しくないだろう。当たり前の指摘を受け、言葉に詰まる。


「……友人から相談されたわけではないんです。もしかしたら不倫しているんじゃないかと思うことがあって。話を聞いてもらって、僕の考えすぎかどうかを判断してほしいんです」


 我ながら完璧な言い分ではないだろうか。マスターは僕の言葉に、しばらく思案したあと、頷いてくれた。


「そういうことでしたら、お伺いしましょう。ですが、お話だけでの判断となりますので、確定的なことは言えない可能性がありますことをご了承くださいませ」


「ええ、それでお願いします」


 マスターの許可を得た僕は、自分の状況を友人の話として語り始めた。映画館やミニシアターから出てきた友人が若い女性を伴っていた場面を見たことから始まり、レストランやホテルに2人で入っていく場面を見たこと。


「マスターから見て、不倫していると思いますか」


「お客様がおっしゃるように不倫しているようにも見受けられる状況ですね。歳の離れた異性の友人、という線もなくはないでしょう。ホテルのラウンジを喫茶店代わりに使う方もいらっしゃいますので」


 不倫相談所をやってきたというマスターが悩むレベルなのであれば、家族に気づかれていないかもしれない。淡い期待を抱いている僕に、マスターは鋭い視線を向けてきた。


「お客様、いえ、お客様の『ご友人様』は、不倫する覚悟がおありになる方でしょうか」


 僕は言葉を失った。不倫に覚悟が必要なんて、考えたこともなかった。


「不倫とは、立ち向かう相手の多い戦でございます。家族、社会、そして己の良心。すべてに立ち向かい、切り捨てる覚悟がないのでしたら、今すぐ手を引かれるのがよろしいかと」


 マスターの言葉は、まるで刃のように僕の胸に突き刺さった。


「ですが……」


 僕は言葉を返そうとするも、マスターに遮られた。


「お客様、いえ、お客様の『ご友人様』がどうされるかは、ご自身が決められることです。お客様が、我がことのように心配されるほど大切な『ご友人様』だとは思います。しかしながら、確証もなく、ご家族やご本人からもご相談がない状態では、話を向けるだけでも関係が拗れてしまうこともあり得ます。もし、ご家族からのご相談がありましたら、当方をご紹介いただけますと幸甚でございます。興信所や弁護士をご紹介させていただきますので」


「あ、はい。ありがとうございます」


 話は終わりとばかりにマスターは僕の前を離れて行った。コーヒーを一口飲み、僕は深く考え込んだ。華凛との関係、家族との関係、そして自分自身との関係。すべてが複雑に絡み合い、答えの出ない方程式のようだった。


 コーヒーを飲み終え、店を出た。マスターの言葉が、まだ頭の中で響いている。


 覚悟。たった2文字ではあるが、重い言葉。


 僕は空を見上げ、深いため息をついた。悩みはひとまず棚上げしておき、今は昼食を食べに行くとしよう。

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