第15話 産後2年半、紗智がいない
ふと、窓の外から聞こえる鳥の声に外を見ると、うっすらと明るくなっていた。いつの間にか、夜が明けてしまったようだ。
「紗智……っ、うぅ……」
保育園に行く準備をしなければと思って勢いよく体を起こす。しかし、視線の先にある寝具は畳まれたままということに、紗智がいない事実を思い出す。
再びへたり込み、自らの浅はかさを責め立てていると、スマートフォンが鳴る。保育園からかと思って慌てて出ると、予想に反して実母からの電話だった。
「もしもし!あ、お母さん……ど、どうしたの?」
「何か、あったのね?」
取り繕うも、後の祭り。一瞬にして何かあったことを見抜かれてしまった。
心配をかけたくなくて誤魔化そうとするも、母には通用しない。言葉巧みに状況を聞き出されてしまった。
「元の家には行ってみたの?博人さんが迎えに来たのなら、紗智ちゃんも過ごし慣れている元の家が一番いる可能性はあるんじゃないかしら?」
「あ……まだ行ってなかった。お母さん、ありがとう!前の家に行ってみるね」
「あ、ちょっと!これか……」
母が何か言いかけていたが、今は一刻を争う。わたしは通話を切ると、急いで準備をして家を出る。
◇
わたしは、元の家の玄関前にたどり着いた。いつ保育園から連絡があってもいいようにとスマートフォンを握りしめていた。母からは何度か着信があったが、保育園からは一切連絡がない。
まだ家にいるのではないか、と一縷の望みをかけてインターホンを押す。玄関ドア越しに室内で呼び出し音が鳴っているのは聞こえてきた。しばらく待ってみるも、出てくる気配を感じない。玄関ドアに耳を押しつけて、再びインターホンを押す。先ほどよりははっきりと呼び出し音が聞こえる。しかし、人が動く物音や、肝心の紗智の声は聞こえない。
「……まさか、まだ寝ている?それとも、保育園に行ったのかしら」
全く音が聞こえてこないことに、ここにはいないのではないかと不安を感じる。でも、ここにいないとなると、もう手がかりがない。
保育園の登園時間が終わるまで待ち、保育園に電話をするも、紗智が登園していないことがわかるだけだった。休ませるという連絡もないと言う。
わたしはいったん出勤することにした。
◇
「久仁持さん、遅刻するなら事前に連絡してくださいね。社会人としての基本ですよ」
保育園の登園時間が終わるまで元の家近くをウロウロしていたため、会社には遅刻。会社に着くなり、課長に苦言を言われてしまった。
「すみませんでした」
遅刻の理由を説明することもできず、わたしはただ頭を下げるしかできなかった。
その後も、紗智がいないことが気にかかり、仕事には集中できず。普段なら絶対にしないようなミスを連発し、上司にも同僚にも白い目で見られる始末。
「大変申し訳ございません。あの、リカバリを……」
「結構です。久仁持さんはもう時間ですよ。本日はお帰りくださいませ」
ミスのリカバリを申し出ようとするも、退勤時間であることを告げられ、取りつく島もない。仕事を増やされたことにピリつく同僚に謝罪し、職場を後にする。
紗智がいないのに、こんな時間に帰って何をするのか。どこにいるかの手がかりもない中、あてもなく探して見つかるとは思えない。
自責の念に苛まれつつ駅の構内を歩いていると、不意に正面から強い衝撃。踏ん張ることもできず、衝撃に流されるままに倒れてしまった。
「あ、痛っ」
「はっ、チンタラ歩いてんじゃねぇよ」
衝撃の主と思われる男性の声が聞こえるも、身体を起こしたときには誰もいない。立ちあがろうとすると、右足首に鋭い痛み。右足首に視線を向けると、うっすら赤くなっていた。倒れるときに足首をひねってしまったみたい。
「っ……ううぅぅ……」
博人に黙って家を出たことがそんなに悪いことだったのだろうか。わたしは涙を堪え、右足首をかばいつつ、帰路につかしかなかった。
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