第15話 三度のアドバイス(後編)

「会社名、ですか?」


 若水さんの言葉の意味がわからず、頭の中に疑問符が浮かぶ。不倫は個人のことなのに、会社名を押さえる必要はあるんだろうか。


「左様でございます。万が一、相手方が慰謝料の支払いを滞った場合への備えとして、会社名を押さえることをお勧めさせていただきます」


「え、慰謝料って裁判の判決で決まることですよね?支払わないってできるんですか?」


「残念ながら、慰謝料を支払わずに逃げる方がいらっしゃいます。慰謝料の支払いに関して公的な証書が必要になりますが、強制執行や給与差し押さえという手段をとることで不払いを避けられます。給与差し押さえをされる場合には、会社への手続きとなりますので、会社名を押さえておくことが必要になるのでございます」


 慰謝料を支払わない人がいるという話に、僕は若水さんの顔を見つめてしまう。若水さんはニコリとしたあと、マグカップに口をつける。


「慰謝料のお話よりも、奥様と家に招かれた方の関係を明らかにすることが先でございます。貴方様がご懸念されていらっしゃる通り、不貞行為がある関係なのか。それとも、申告通りの友人関係なのか。こちらを明らかにいたしましょう」


 若水さんはソファから立ち上がって事務机に向かうと、引き出しから何かを取り出した。ソファに戻ってきたときには、手に数枚の紙を持っていた。


「今回のように今後も家の中に招き入れられるようでしたら、ご自宅の中でしたら隠しカメラを設定することができますので、比較的ご自身でも証拠を得やすくなっております。しながら、見守りカメラを設置して1ヶ月強で先日の1件のみということから、不貞行為は家の外、もしくは相手方の家で行われている可能性が高いといえるでしょう」


 数枚の紙を応接セットのテーブルの上、僕の目の前に並べていく。並べられた紙すべてに興信所の文字。


「会うタイミングの特定や、2人が会ってからどこに向かっているのかを1人で行うには限界がございます。不貞行為の有無を特定し、もし有の場合には不貞行為の証拠に加えて相手の情報を調査されている、安心安定の興信所をお勧めさせていただきます」


「うーん……」


 並べられた紙すべてに目を通すと、無意識に腕組みをしてうなってしまう。


「いかがなされましたか?」


「……えっと、まずは1人で確かめるってダメですかね?」


「もちろん、ダメではございませんよ」


 若水さんは手早く並べた紙をまとめていく。


「貴方様のご希望をお伺いしておりませんでした。申し訳ございません」


「あ、いえいえ。希望っていうほど大層なものじゃない、ん、です……あの、僕の顔に何かついてますか?」


 一度頭を下げた若水さんにじっと見つめられ、僕の顔に何かついているのかと頬や額を手のひらでペタペタ触ってみる。


「貴方様は、誰かに調べてもらうのは最終手段と思われていらっしゃるのですね。奥様を愛し信じてこられた貴方様の手で、事実や明らかにしたいと願われていらっしゃることに思い至らず、差し出がましい真似をしてしまいました。深くお詫び申し上げます」


 深々と頭を下げる若水さんを見て、僕はびっくりした。僕自身の手で確かめるという覚悟を決めてはいたが、それを若水さんには言っていない。しかし、この人は今までのやり取りと先ほどの観察だけで、僕の願いを言い当てたのだ。


「あ、はい……あ、いや、はいじゃなくて、その、あの、僕のちっぽけなプライド、なんだと思います。僕は妻を信じたい。だから、確かめるのは僕じゃなきゃダメなんです」


 驚きのあまりしどろもどろになってしまったが、僕はぐっと手を握りしめる。


「できるところまで1人でやってみたいんです。そんな僕でも、また相談にきてもいいですか?」


「もちろんでございます。私は貴方様がいらっしゃるのをお待ちしております」

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