第3話 ハートだらけのチャット画面

 真央が喜びそうなお土産をいくつか買い、新幹線に乗り込んだ。平日の中途半端な時間に始発駅から乗ったためか、ほとんど乗客がいない。これなら自由席の2人掛け座席を1人で占有しても許されるだろう。

 人の少ない最後尾の車両の一番端の座席に座ると、カバンからノートパソコンを取り出す。これから3時間は新幹線に乗りっぱなし。今のうちに今回の出張の報告書を作っておくため、ノートパソコンの電源を入れる。


「あ、真央に連絡してないや」


 インターネットに繋ぐため、ポケットからスマホを取り出したところで、妻への連絡をしていないことを思い出す。テザリング機能を有効にしたあと、チャットアプリで真央に帰宅することを連絡しておく。真央も仕事中だろうから、既読マークがつかない。ひとまず、報告書の作成に取り掛かることにした。

 もともと2泊3日の予定だったのだが、先方の都合に振り回されてしまったのがよくなかった。2週間くらい残ってほしいと言われたときには、笑顔がひきつっていないか心配したものだ。なんとか無事に顧客の要望を叶え、離れていてもチャットや電話会議でほとんど問題ないという安心感を与えることができた結果、3泊4日で帰れるようになった。そのような事実と感想を織り交ぜ、顧客の展望や今後の見込みを書ききったところで、降車駅が近づいてきたことを知らせるアナウンスが耳に入る。


「おっと、もう着くのか」


 報告書が保存できていることを確認してからノートパソコンの電源を切る。他にも出していた荷物や飲み物をカバンにしまい、テザリング機能を無効にするためスマホを見る。18時を過ぎているが、真央からチャットが来ていない。気になって真央とのチャットルームを見てみると、既読マークがついていないままだった。


「あれ、既読ついてないや。華金だし、飲み会かな?」


 真央の職場はよく飲み会が開かれるのだ。基本的には部署やチームで行っているようだが、年に数回は会社での飲み会が開かれている。会社での飲み会のときは、家族も参加可能ということで、僕も何回か行ったことがある。みなさん人当たりがよく、話しやすい人たちばかりだったので、飲み会を楽しむことができたのはいい思い出だ。

 新幹線を降り、在来線に乗り換えて家の最寄駅へ。結婚を機に暮らし始めたから3年くらいしか住んでいないけど、最寄駅の改札を出ると帰ってきたって気になる。4日しか離れていないのだが。駅前の商店街で売られているお惣菜たちを確認しつつ、ひとまず家に向かう。


「ただいまーっと。当たり前だけど真っ暗。真央、いないよね?」


 玄関の鍵がしまっていたし、ドアを開けても室内は真っ暗なので、真央はいない。ダイニングテーブルの上と冷蔵庫の中には残り物が何もない。保存食置き場にはまだパックご飯がいくつかあるのを見て、財布とスマホ、エコバックだけを持って家を出る。さっき見た駅前の商店街にお惣菜を買いに行くためだ。


「で、焼き鳥屋さんの唐揚げと鶏皮せんべいを選んじゃうんだよなー。次は新しくできたお惣菜屋さんもありだな」


 早々に買い物を終え、家に帰る。唐揚げをレンジで温めている間、鶏皮せんべいを食べる。唐揚げの温めが終わったら、次はパックご飯の温め。


「ほんと、パックご飯様様。炊飯器で炊くのもいいけど、疲れてるときは米研ぐとか面倒だからね」


 インスタント味噌汁にケトルから熱湯を入れ、準備完了。パックご飯、唐揚げ、インスタント味噌汁というのが今日の晩ご飯だ。


「いただきまーす」


 出張でも夜は1人飯だったからあまり気にしていなかったが、家にいて1人だとなんとなく侘しく感じるものだ。心なしか、唐揚げもいつもより美味しくない気がする。


「……ごちそうさまでした」


 食べたものを片付け、風呂に入る。湯船につかると、風呂は命の洗濯という意味がよくわかる。

 風呂上がりにビジネス書を読みながら動画投稿サイトで動画を流していると、旅行サイトの広告が流れてきた。


「今度、休みを取って真央と旅行に行くのもいいかもなー」


 30歳手前の自分と同い年くらいの男女2人組が笑顔でホテルに入っていくシーンを見て、ひとりごちる。旅行サイトの広告が終わり、再び動画の本編が流れるのを横目に、ビジネス書へと視線を戻す。半分ほど読んだあたりで、玄関からガチャガチャする音が聞こえてきた。時計に視線を向けると、長針と短針がそろって12を指すところ。


「真央かな?」


 本を閉じ、動画を止めて立ち上がるのと、玄関ドアが開く音がするのがほとんど同時だった。続けてバタバタした足音と、重たいものが床にあたる音が続く。


「真央、大丈夫!?」


 リビングのドアを開けると、目の前には床に倒れる人の姿。妻の真央だった。慌てて駆け寄ると、酒のにおいに鼻をつかれる。目を閉じているので、寝ているのだろうか。呼吸していることがわかり、ほっと一息つく。


「飲み過ぎ、なのかな」


 めずらしいと思っていたら、ゴトンという音とともに真央の手から何かが床に落ちる。音につられて見ると、真央のスマホだった。チャットのような画面が開かれており、ハートがたくさん書かれている。


「うう゛……き゛も゛ち゛、わ゛る」


「え?」


「……き゛も゛ち゛わ゛る゛……は゛く゛」


「ええ、ちょ、ちょっと待って!」


 慌てて風呂場に飛び込んで洗面器をつかみ、キッチンでビニール袋をつかみ、玄関に戻りながら洗面器にビニール袋をセット。真央の顔の横に洗面器を置く。次はトイレからトイレットペーパーを出し、玄関に置いた洗面器の中に丸めたトイレットペーパーを入れる。


「大丈夫、洗面器を用意したからね」


「ありがと……うっ」


 我慢していたのだろう。僕の声で真央は戻し始めた。多少なりとも楽になればと思い、真央の背中をさする。

 落ち着いたころ、タオルと水をとってきた。真央の口元をふき、水で口をゆすがせる。戻してスッキリしたのか、玄関で寝始めてしまった真央を見て苦笑が浮かぶ。

 それから真央をベッドに運び、パジャマに着替えさせ、戻した結果を片付け。最後に真央の鞄とスマホを持つ。真央のスマホは自動ロックの設定があるのか、ロック画面が表示されていた。

 先ほどチラッとみたハートだらけのチャットのような画面がひっかかる。だが、自分の見間違いかなにかだと思うことにした。

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