110.一蹴

 

「こうなっては遅いかもしれんが、お前は私の子なのだ!」

「はあ?!」


 こいつ、なにを言い出すんだ?

 膝立ちで両手を突き出して俺を止めようとしてくるリンガーが、おでこや頬、それに鼻からも血を流し、唾を飛ばして口走った言葉に戸惑う。


 ――ザッ。

 更に、一瞬だけ、ほんの一瞬、俺の視野が揺れたような、霞が掛かったような、そんな異変を感じた……。


 その間にも、リンガーが俺にジリジリにじり寄りながら、必死の形相で続ける。


「わ、私にはもう一人、スカムの生まれる前年に生まれた子がいたのだ! 黒髪に黒い瞳の、な」

「……」

「困ったことに、その子は貴族としては有用なスキルを持って生まれなかったからと、家人によって私と引き離されてしまった・・・・・・・・・・。も、もちろん、私は怒った。だが、時すでに遅く、その子の行方が分からなくなってしまっていた。今ではその存命すら諦めていたのだが……今日、おま――君が現れた!」


 口の端に泡を溜めながら話しまくるリンガーは、目が左右や右上を行ったり来たり忙しなく動き、途中からこれはほとんど嘘を言ってるって分かる。

 あまりにうるさいんで、いつ黙らせようか考えてるんだけど、リンガーはそれに全く気付いていない。


「その黒髪黒眼という容貌ようぼう年恰好としかっこう、そして城に招き入れた時に得た鑑定石の結果!! 私はピンときた……私の……ずっと心の片隅にいて、長年求め続けていた、あの時の息子だとっ!! 私は嬉しさのあまり震えたぞ」

「…………」


 いやいや、初めて俺を見た時から『あのガキ』呼ばわりだったし、城でも、その後のこのあり様の中でも俺を殺そうとしたことを忘れてんのか?


 ――ザザッ。

 あ、まただ。また、俺の視界がおかしくなった。

 今度はさっきよりもちょっとだけ異変が長く、視野が砂嵐の中に入ったようなザリザリした感じ。その中に、目の前のリンガーとは違う誰か――薄っすらした人影まで見えた気がした……。


「これはまさに天恵! 息子を失い心に穴の開いた私と、親と貴族家の子という立場を失い不遇に身を置く……レ、レオ? 双方を天が引き合わせて下さったのだ!! な? そうだな?」


 膝でにじり寄って俺に肉薄するところまで来たリンガーが、その両手で俺の手を握り、上目遣いに俺を見上げて、縋るように同意を求めてくる。


「いや? 確かに俺には親がいねえけど……少なくとも、今は不遇なんかじゃねえぞ。それに……」

「――ああ! 可哀そうに……不遇に染まってしまっているじゃないか。今からでも遅くはない、私の……親元に戻り、ともに人生をやり直そうではないか!!」


 俺が肝心なことを言おうとしたのに構わず、このおっさんは捲くしたててくる。今度は俺の目を、逝っちまってる目でジィッと見据えて、芝居がかった口調で。


「そうだっ! スカムよりも年上ということは、おま――レオが嫡子ということになる。そうだそうだ、いずれロウブロー家はレオが継ぐのだ!」

「おい! 俺には……」

「――ということは、スカムのスキルはおま――レオが持つべきだな。よし! 【先見】も【損傷転嫁】もレオの物だ。それでレオも一気にレアスキル持ちだ! 水魔法も、幼くてまだ私のには及ばないが【行儀作法】も付いてくるぞ?」


 それって、スカムを殺して結晶を取り出すってことじゃねえか?! 殺すまでも無く、もう獲ったけど……。

 こいつ、自分が逃れる為には平気で子どもも使うんだな……。


「それに、欲しいスキルがあれば、どんな手を使ってでも手に入れてやる。私の後を継いだ暁には、子爵から伯爵を飛び越えて侯爵に陞爵だ! な? 悪い話ではあるまい? ――ん?」


 そこに、遠くからラッパっつうか、角笛の音が聞こえてきた。

 その音にリンガーが反応する。


「あれは……エトムントのところの『進軍』の号音。チッ」


 音の方向、遠くに薄っすら砂埃が舞う様子も見えた。

 追い詰められていくリンガーが、焦りを増したようだ。俺の手を掴む手に力が籠る。


「なあ、レオ! 頼む、私を逃がしてくれ! 私――いや、我らの・・・ロウブロー家が再起を期すには、今お前に見逃してもらうしかないのだ!」


 リンガーは更に俺に縋り付いてくる。

 その力は強く、縄を引くように俺の手、手首、前腕、と握り替えながらリンガー自身は腰を浮かせて、少しずつ立ち上がってくる。


 ――ッ!?

 また、さっきと同じように視界に何かが流れ込んでくる。でも、今度はさっきより少しだけ長くまだおぼろげだけど、何かは確認できた。

 “今の”リンガーから、残像のような『薄いリンガー』が分かれて出て、俺の後ろに回り込んで、腕を俺の首に回し込んで……締め上げてようとしてくる。


 これ、【先見】だっ!!

 いま視えたのもさっきのも、スキルが俺に定着っつうか“身に付く”途中の段階だったみてえだな。

 何が切っ掛けで発動すんのかな? 悪意? でもスカムが持ってるときに、俺は奴にそんなに強い悪意は向けなかったけどな……?

 まあ、追い追い分かるか。


 そうやって俺が【先見】のことを考えてるうちに、リンガーはその“視た”光景通りの動きをしてくる。

 野郎、俺を締め上げて盾か人質にして、一緒に逃げる気か!


 おっと、それなら手を放されるその前に【初級風魔法】、ついでに持ってるって言ってた【行儀作法】を【スキル吸収】!


 そんで、視えたんなら、それをスカムより断然有効な使い方をしてやる!

 リンガーが俺の背後に来るのに合わせて、俺は身を屈ませて……カウンターだっ!

 ――【スマッシュキック】!!


「ぅぶえっ――ガハッ!!」


 俺の後ろ蹴りがリンガーの顎を捉え、奴は後方へ吹っ飛び城の柱の残骸に激突。

 柱に埋まるようにして止まったリンガーに向かって宣言する。


「確かに俺は捨て子で、親の顔も知らずにひでえ環境で育った。世の中全部がくすんで見えるくらい、身も心もボロボロだったさ」


 俺が覚えてんのは孤児院の後半あたりから。

 スキル無しに加えて黒髪黒眼で、引き取り手がいないから五歳までしか孤児院に置けないって宣言されて、実際に『食べ物を恵んで下さい』って板だけを持たされて追い出された。

 街で浮浪してたトコをネイビスに捕まって“帝国”に連れていかれ……今に至る、ってか。


「けど……そん時に、たった一人、大切な存在に出会えた。そのお陰で、あんたの言う『不遇に染まってしまっている』俺の世界に色が広がって、身の周りのことや生きる術も教わった」


 今頃マリアはどうしてるかな? 無性に会いたくなってきた。

 ベルナールと一緒に、進軍について来てんのかな?


「今ではそいつと一緒に冒険者をやってて、自分の……自分達の力で、他人に迷惑かけねえで暮らしていけてる。これは『不遇』が無きゃ出来なかったことだ。俺の親があんたで、スカムと兄弟かもしれねえってのは本当かもしれねえ。でも! それは俺には必要の無えものだ。俺に本当に必要な人は一人だけで、その人――マリアとは、もう一緒に……これからもずっと一緒にいるつもりだからな!」


「そうだねっ、ずっと一緒だよ!」

「――っ、マリア!?」


 背後からいきなりの声。

 会いたかった人の声に、思わず振り返ると――。

 そこには、膝に手をついて息を切らすマリアの姿があった。


「レオのことが心配で、みんなより先に来ちゃった」

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