第24話 川屋勉、妊婦とあいのりする
俺は走るタクシーの後部座席で悶絶していた。便意と格闘しながら。運転手に急かしてはいるものの、なかなかトイレは見つからない。
ラジオではこの非常事態とは真逆の、眠気を誘う番組がのどかに流れていた。
「真夜中の教養講座。次回は二十世紀になってようやく現れた、イギリス式腰かけ型便器とトルコ式しゃがみ型便器の比較をお送りします。それでは、また来週」
その時、前方の路上に男女が飛び出てきた。あわてて、急停車する。
男性のほうが千鳥足で歩み寄ってきて、助手席側の窓をコツコツと叩く。こいつ、酔っ払っているのか?
運転手が仕方なく窓を下ろした。
「すみません! 産まれそうなんです!」
男の妻と思われる女性が道端で重たいお腹を抱え、うめいていた。
旅は道連れ、世は情け。それとも、一期一会か。
再び走り出したタクシーの後部座席に、先ほどの夫婦が乗り込んでいた。俺と亭主の間に妊婦がおり、ぎゅうぎゅう詰めである。相変わらず妊婦は呼吸を荒くしているが、亭主のほうも今にもリバースしそうなのか、口を押さえている。
「あなた、もうダメっ! 限界っ!」
「我慢しろ! 俺だって、戻しそうなのを耐えてるんだ!」
皆からせかされた運転手は声を張り上げた。
「分かってますって! 私も膀胱がパンパンで、今にもはち切れそうなんですよ!」
運転手は赤信号を無視して突破した。スピードを上げ、対向車線に飛び出しては、次々と車を追い越していく。
「無茶しないでください! みんな、出ちゃいますよ! 私は屁でごまかそうとして、ちょっと漏らしちゃいましたけどね。きっとパンツは汚れて……」
「俺なんか、口の中まで込み上げてきたのを、もう一度、飲み込んだんだぞ!」
「私だって、赤ちゃんの頭が出てきたのに、無理矢理、引っ込めて……」
みんなそれぞれがこらえていた。
その瞬間、他の車を避けようとして、タクシーが激しく横転し、歩道へ乗り上げた。
すべてが静まり返る中、運転手が恐る恐る後ろを振り返ってきた。
俺はゆっくりうなずいた。大丈夫だというサイン。亭主も、妊婦も。みんな、無事だ。
だが、運転手は悲しげな表情で、首を横に振った。
「私はダメでしたよ」
彼の下半身は盛大に漏らし、足もとには水溜りができていた。
(続く)
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