第8話 コラテラル川屋勉

 俺はビルの巨大モニターを、朦朧とした表情で見上げていた。画面には、整腸薬のCMが終わり、再び討論番組が流れていた。

 洋式VS和式。

 どうして俺は、一番初めのトイレ、あの和式で用を足さなかったのだろう。後悔がつのる。

 目の前の大通りを右翼の宣伝カーが静かに通りすぎていった。車体には、和式便器の描かれたポスターが貼られている。

 いや、ダメだ! 俺は心に誓ったんだ。たとえ、どんなことが起ころうと、和式便器は絶対に使わないと……。


 ふらつきながら、コンビニに入店した。レジ前に数人の客が並んでいた。俺は手ぶらで最後尾に並んだが、何か買わなきゃまずいかなと、ふと思った。

 前の男性客の番になった。

「トイレを貸していただけませんか」

 この男、どこかで見覚えがある。そうだ、最初の駅のトイレで、割り込もうとした奴だ。こいつもまだ、ウンコをしていないのか。

「申し訳ありませんが、お客さまにはお貸しできない規則なんです」

 レジの女店員が対応していた。

「いいじゃないですか、減るもんじゃなし……」

「でも、ウチは倉庫を通るので警備上、問題が……」

「お願いします! もう限界なんです!」

「五分ほど行きますと駅なので、そちらでお願いします。次のお客さま」

 女店員は俺に声をかけた。とっさに、近くにあった紙おむつを手に取り、万札とともにカウンターに差し出した。

 だが、お釣りをもらおうとした瞬間、男の声が響き渡った。

「トイレを貸しやがれ! 貸さないとただじゃすまないぞ!」

 売り物のカッターナイフをかざし、レジへ迫ってきた。女店員は背後に後ずさりしながら答えた。

「今、配管がつまっていて……本当です。見れば、分かります。だから、私たちも交代で駅に行って用を済ませているんです……」

 男はうろたえた。脅迫までしたのに、この結果とは。

「警察だ! 武器を捨てて、おとなしくしろ!」

 俺は振り返った。たまたま居合わせていた刑事が、拳銃を構えていた。手にはエロ雑誌。買うつもりだったのだろうか。

 男は俺を捕まえると、喉元にカッターナイフを突きつけてきた。盾にされた俺は恐怖で縮み上がり、声を上げることさえできなかった。

「落ち着け。落ち着いて、落ち着くんだ」

 銃を下ろした刑事が、必死に説得している。

「今なら、まだ間に合う。このままだと、あと戻りできなくなるぞ」

「来るな! こいつがどうなってもいいのか!」

 男はそのまま俺を連れて、外へ出ようとしていた。刑事がじわりじわりと続く。

 女店員が叫んだ。

「勘定がまだです!」

 刑事が持っているエロ雑誌を指差していた。

「ええい! 釣りは取っとけ!」

 刑事は万札を渡した。

 ああ、俺も紙おむつのお釣りをもらっていない。一万円も出したのに。そんなことを思いながら、外へ連れ出された。


                (続く)

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