月のたまご
宵闇の菫色の空に丸い月が浮かぶ。風と水の精霊の輪舞に霞む、夕暮れと夜の境目に溶けた黄色い満月。
そう、満月だ。
全ての生き物、人も魔女も獣人も、特に狼は
マイノの報せを聞いて血相を変えたディルはあっという間に獣の姿に変わり、止める暇もなく走り出した。
「ディル!ディル!待って!」
僕の声は聞こえていても届いていないのだろう。グングン小さくなる影が夕闇に完全に紛れる。
闇雲に匂いを追っても辿り着けるかどうか、攫われたとしたらそれがどんな相手なのかも分からない。心配なのは分かるけど、どうしてああも脳筋なんだ。
慌てて獣化したから抜け殻みたいに置いて行った服や装備を拾い上げ、人型に戻る時どうするんだろうと頭を抱えながら広場に向かう。
集まった人々の中には、母親を宥めるマイノの姿が見えた。他にもいなくなった娘がいるようで、不安げな囁きがそこかしこから聞こえてくる。
僕は柔らかい風と少し湿った空気の中を漂う風と水の精霊に念話を投げかけてみた。ゲームの間は禁じ手だけど、今は緊急事態だ。
『娘達がいなくなった。どこへ行ったか知らない?』
『……知らない』
さわりと風が揺れた。精霊は嘘をつかないけれど、本当のことを言わないこともある。
落ち着かない様子の精霊たちが何かを隠していると感じた僕は、質問を変えることにした。
『娘達を見た?』
『見たよ』
『どっちへ行った?』
『川の方』
『誰かと一緒だった?』
『綺麗な男の人』
『悪い人?』
そう訊いてからこの質問は間違いだと悟った。精霊に善悪の区別はない。彼らはざわざわと森の梢を揺らし、湿った風を川から運んできた。月の輪郭が薄い雲に霞む。
『あの人はかわいそう』
『哀しいの』
『かわいそう。泣いてたの』
『大丈夫よ、娘達は戻って来る』
『だいじょうぶ』
口々にそう言う精霊たちは、心からそう思っているようで、辺りの空気はどんどん湿ってくる。
犯人の正体は分からないまでも、感情や気に同調してしまいがちな水の精霊が泣きそうな顔をしている。
彼らに連れ去りを後押しする意図はないと思う。でもこのままだと風が雲と雨を呼んで、獣人の嗅覚を以てしても捜索がしにくくなる。
『分かったよ。教えてくれてありがとう。泣き虫の彼に酷いことはしないって約束する。だから雨は降らせないで』
僕がそう言うと、彼らは安心したように飛び去った。
精霊たちに聞いたことを頭の中でまとめていると、広場の入り口からたくさんの慌ただしい足音が聞こえて来た。
「レピさん!」
クラウス、いや、ヴォジャの方が馴染みが良いので心の中だけで呼ばせてもらおう。
白金の髪を振り乱した彼が、後ろに兵士らしき男達を従えてバタバタ走ってくる。嫌な予感がする。
「ローズが、ローズがいなくなった!」
異国の王子は、僕に縋りつかんばかりの勢いで胸元に迫り、水色の瞳を潤ませて叫んだ。
嫌な予感ほど当たる。今このタイミングで「逃げられたんじゃないの?」と軽口を叩く余裕は僕にもなかった。
あのお姫様が大人しく連れ去られるとは思えないけど。
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